マリオ・アンドレッティ

イタリア系アメリカ人のレーシングドライバー (1940 - )

マリオ・ガブリエレ・アンドレッティMario Gabriele Andretti, 1940年2月28日 - )は、イタリア出身のアメリカ人レーシングドライバー1978年F1ワールドチャンピオンであり、インディカーでも1965年英語版1966年英語版1969年英語版アメリカ合衆国自動車クラブ(USAC)選手権及び1984年のインディカー・シリーズの4回のチャンピオンを獲得した。インディ500デイトナ500とF1チャンピオンを全て獲得した唯一のドライバーである。

マリオ・アンドレッティ
Mario Andretti
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1940-02-28) 1940年2月28日(84歳)
出身地

マリオ・ガブリエレ・アンドレッティ
Mario Gabriele Andretti
イタリア王国の旗 イタリア王国モントーナ(現・クロアチアの旗 クロアチアモトヴン)

基本情報
F1での経歴
活動時期 1968-1972,1974-1982
所属チーム '68-'69,'76-'80 ロータス
'70 マーチ
'71-'72,'82 フェラーリ
'74-'76 パーネリ
'81 アルファロメオ
'82 ウィリアムズ
出走回数 131 (128スタート)
タイトル 1 (1978)
優勝回数 12
表彰台(3位以内)回数 19
通算獲得ポイント 180
ポールポジション 18
ファステストラップ 10
初戦 1968年イタリアGP
初勝利 1971年南アフリカGP
最終勝利 1978年オランダGP
最終戦 1982年ラスベガスGP
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ル・マン24時間での経歴
1966-1967,1982-1983,1988,1995-1997,2000
チームホルマン・ムーディ
グランド・ツーリング・カーズ Inc.
ポルシェクレマー・レーシング
ポルシェAG
クラージュ・コンペティション
パノス・モータースポーツ
最高位2位 (1995)
クラス優勝1 (1995)

プロフィール

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アメリカでの成功

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1969年のインディ500で優勝したホークのレプリカ

マリオ・アンドレッティは当時イタリア領のモントーナ(Montona d'Istria 、現在のクロアチアモトヴン)で生まれ、第二次世界大戦後に一家でアメリカへ移住した。

アメリカへ移るとすぐ、1959年にダートオーバルレースからレーシングキャリアをスタートさせた。1964年にアメリカ国籍を獲得し、アメリカ合衆国自動車クラブ (USAC) のオープンホイールカー・シリーズ(後のCARTシリーズ)に参戦するようになる。1965年にはUSACのナショナルチャンピオンを獲得し、1966年、1969年にもチャンピオンに輝いた。

世界三大レースのひとつであるインディ500では1965年にルーキー・オブ・ザ・イヤー、1966年に初ポールポジション、1969年に初優勝を達成した。また、ストックカーレースNASCAR)のデイトナ500でも1967年に優勝し、名実共にアメリカを代表するドライバーのひとりになった。

また、スポーツカーレースにおいてもセブリング12時間レースで3勝、デイトナ24時間レースで1勝し、ル・マン24時間レースカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ (Can-Am) に参戦するなど、車両やコースの種類を問わないオールマイティーな才能をみせた。

F1参戦

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4WDロータス・63をドライブするアンドレッティ(1969年)
 
1978年オランダグランプリで優勝したアンドレッティ

1968年、アンドレッティはロータスよりスポット参戦でF1に参戦を開始した。初参戦はイタリアグランプリだったが、予選走行後、同週末に開催されたフージャー100に参戦するためにアメリカに戻った。イタリアグランプリ主催者は、アンドレッティがフージャー100に参戦した場合には、レースの24時間以内に別のレースに参戦することを禁じたルールに従い、イタリアグランプリへの出走を禁じるとしていた。アンドレッティはアメリカに戻り、イタリアグランプリ決勝には出走しなかった[1]。2度目の参戦はアメリカグランプリだった。このレースでアンドレッティはポールポジションを獲得した。F1では、初めて決勝に進出したレースをデビュー戦とするため、アンドレッティは「デビュー戦でポールポジション」を獲得したことになる。F1デビュー戦でPPを獲得したのは史上4人しかいない[2]

1971年にはフェラーリに乗り、開幕戦南アフリカグランプリでF1初優勝を記録。1975年にはアメリカチームのパーネリでフル参戦するが、撤退により1976年途中からロータスに加入。コーリン・チャップマンと協力して当時低迷していたチームを徐々に上位に押し上げて行く。同年に日本で初めて開催されたF1レース、F1世界選手権イン・ジャパンでは、豪雨の中でロータス・77を見事に操り、5年ぶりの優勝を飾った。1977年シーズンは年間最多勝(4勝)を記録した。

1978年は最強のウィングカーロータス・79を得て年間6勝を挙げ、フィル・ヒル(1961年)以来2人目となるアメリカ人F1ワールドチャンピオンとなった。ただし一部には「チームメイトのロニー・ピーターソンの方がアンドレッティより速いのに、チームオーダーでアンドレッティを先行させていた」という説も存在する。当時アンドレッティ自身、「チーム内の約束がなければロニーが勝てたレースはまだ2つか3つはあっただろう」と述べている。しかしながら、同年のロータス・79の活躍はアンドレッティのマシン開発能力によるものであることは総帥コーリン・チャップマンも認める所であった。

ロータスには1980年まで在籍し、1981年にアルファロメオへ移籍。同年でF1フル参戦に区切りをつけた。しかし1982年、カルロス・ロイテマンフォークランド紛争激化によるあおりを受け突然の引退を発表したため、その穴を埋める形でウィリアムズに加わり、アメリカ西グランプリに出走。同年終盤のイタリアグランプリとラスベガスグランプリには、ジル・ヴィルヌーヴディディエ・ピローニのレギュラードライバー2人を相次いで欠く事態に見舞われたフェラーリからのオファーを受諾し、フェラーリ・126C2で参戦する。イタリアグランプリでは予選ポールポジションを獲得。決勝でも3位表彰台を獲得し、フェラーリのコンストラクターズ・チャンピオン獲得に貢献した。

再びアメリカへ

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ニューマン・ハース・レーシングで活躍したアンドレッティ(1991年)

1982年をもってF1での活動は完全に終了し、活躍の場をアメリカに戻した。アンドレッティのF1撤退後に、F1に参戦したアメリカ人ドライバーはエディ・チーバーダニー・サリバン、息子のマイケル、スコット・スピードアレクサンダー・ロッシローガン・サージェントのわずか6人のだけである。

1984年には4回目となるCARTのタイトルを獲得し、1994年までCARTにレギュラー参戦した。その後も2000年までル・マン24時間レースに参戦。アメリカとヨーロッパの大レースで輝かしい成績を残してきたものの、ル・マンでの勝利だけは実現できなかった(最高位は1995年の2位)。

2000年には国際モータースポーツ殿堂に殿堂入りした。

2003年には負傷したトニー・カナーンの代役として、63歳にしてインディ500参戦を表明[3]。プライベートテストに参加したが、直前にケニー・ブラックがクラッシュした際の破片を踏んだマシンが空中高く舞い上がるクラッシュを演じてしまう。マシンはフェンスに接触した上に縦に3回転したものの幸い元の体勢で着地し、アンドレッティ自身に怪我はなかった。

2006年にはディズニーピクサーの映画カーズで、本人役で声優として出演した(ただし、アニメの設定上のマリオ・アンドレッティは往年の名レーサーの「車」である)。

2012年にはアンバサダーを務めるサーキット・オブ・ジ・アメリカズ (COTA) の開業セレモニーで、往年のロータス・79をドライブして初走行を行った[4][5]

2013年には、アニメ映画『ターボ』にゲスト声優として参加した[6]ほか、エイミー・グラントの1991年のヒット曲『Good For Me』の中で歌われている。

F1界に復帰

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2024年11月、2026年シーズンよりゼネラルモーターズからキャデラックのコンストラクターとしてF1に参戦が決定し、チームの非常勤取締役に内定した[7]

人物

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2022年10月16日、F1アメリカグランプリの行われる前週に2013年型のF1「マクラーレン・メルセデス MP4-28[8]を82歳にしてデモ走行させた[9]ラグナ・セカで行われたこのデモランはミカ・ハッキネンの乗るマクラーレン・MP4/2とのランデブー走行で行われ、走行を終えてマシンから降りたアンドレッティは、「近代のF1に乗った感想は、とてもスウィートだった。私はスーパーライセンスのポイントがもらえるかな?(直近にコルトン・ハータに対してのスーパーライセンス発給の可否を巡り論争が発生していた。)」とジョークを交えてコメントした[10]

イタリア系アメリカ人である為、イタリアでも人気がある。

発言

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歯に衣着せぬ発言で知られる。

1982年のインディ500でスタート直後に、ケビン・コーガンの乗るペンスキーと衝突してリタイアした際、アンドレッティは激怒し、インタビューでは「ガキに運転をやらせた結果だ」と発言している。

ルイス・ハミルトンBLM活動について評価しつつも、「F1に政治を持ち込んでいる」「思い上がっているだけ」「(メルセデスAMG F1は)マシンを黒に塗っていたが、それが何の役に立つのか分からない」と批判している。NASCARドライバーのババ・ウォレスについても「酷い状況に見えたが、実際にはそうではなく(ロープが吊り縄状になっていたのには)特に理由がなかった。これは偏った見方によるもので、政治的なことを考えた結果起きたこと」と発言し物議を醸した。この発言についてハミルトンは「年配の世代の一部が、固定観念から抜け出せずに、認めることが出来ていないという現実があるのは確かだ」と落胆している[11]

アンドレッティ・ファミリー

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マリオと甥のジョン(2007年のインディ500にて)

アンドレッティ家はレーシング一族としても知られ、息子のマイケルジェフもレーサーになった。マイケルはCARTでチャンピオンを獲得し、1993年にはF1に参戦した。マイケルの子である孫のマルコもレーシングドライバーとしてデビューし、IRLで参戦1年目で史上最年少優勝を遂げている。

マリオの一卵性双生児の兄アルドも元レーシングドライバーで、その息子でマリオの甥となるジョンアダムNASCARで活躍。ジョンはCART/チャンプカーにもフル参戦し優勝経験もあるなど活躍したが、2020年に大腸癌のため56歳で死去した。

アンドレッティ家のドライバーは、最大のイベントである『インディ500』で予選ポールポジションや決勝で好走しながらもトラブルに見舞われるなど最終的に勝利できないというジンクスを持ち、長い参戦歴の中でいまだマリオが1勝したのみである。息子であるマイケルとジェフ兄弟や、マイケルの従兄ジョン、果ては孫のマルコまでもインディ500は未勝利で、アンサーファミリーが一族で何度か勝利経験を持つのとは対照的な結果となっている。2006年には500マイルレース最終盤までマルコ-マイケルの親子1-2態勢を築きながら、ラスト3周でマイケルが、更にチェッカー寸前にマルコが、それまで3位につけていたサム・ホーニッシュ・ジュニアに交わされ、2位と3位に終わるという結末になり話題となった。

レース戦績

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アメリカン・オープン=ホイール・レーシング

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USAC・チャンピオンシップ

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 順位 ポイント
1964年 ダッグ・ステアリー エルダー・61 FE オッフェンハウザー PHX TRE
11
INDY MIL 11位 530
リー・S・グレスナー メスコウスキー・58 D LAN
9
ディーン・ヴァン・ラインズ・レーシング・ディヴィジョン ブルーム・64 FE TRE
11
MIL
3
TRE
22
PHX
18
クーズマ・60 D ISF
6
DSF
15
INF
10
SAC
8
1965年 ブルーム・64 FE PHX
6
TRE
2
ATL
2
LAN
4
1位 3110
ホーク・I フォード・DOHC INDY
3
MIL
4
LAN
2
PPR TRE
DNS
IRP
1
MIL
2
MIL
16
TRE
13
PHX
2
クーズマ・60 D オッフェンハウザー ISF
3
DSF
15
INF
2
SAC
3
1966年 ホーク・I フォード・DOHC PHX
15
TRE
4
INDY
18
MIL
1
LAN
1
ATL
1
PPR IRP
1
MIL
1
TRE
1
PHX
1
1位 3070
ジム・ロビンス ヴォルシュテット・65 LAN
21
ディーン・ヴァン・ラインズ・レーシング・ディヴィジョン クーズマ・60 D オッフェンハウザー ISF
2
DSF
15
INF
1
SAC
10
1967年 ホーク・I フォード・DOHC PHX
DNS
2位 3360
ホーク・II TRE
1
INDY
30
MIL
DNS
LAN
3
IRP
1
LAN
1
MTR
1
MTR
1
MIL
1
TRE
25
HAN
24
PHX
1
RSD
3
ボビー・アンサー ロータス18/21 シボレー V8 PPR
14
ディーン・ヴァン・ラインズ・レーシング・ディヴィジョン ホーク・II MOS
21
MOS
11
クーズマ・60 D オッフェンハウザー ISF
2
DSF
2
INF
1
SAC
2
1968年 アンドレッティ・レーシング・エンタープライゼス ホーク・II フォード・DOHC HAN
23
LVS
2
PHX
15
TRE
2
PPR
4
MIL
2
2位 4319
ホーク・III フォード・DOHCターボ INDY
33
フォード・DOHC MIL
2
MOS
2
MOS
2
LAN
17
CDR
15
IRP
2
IRP
2
MTR
1
MTR
1
RSD
18
クーズマ・60 D オッフェンハウザー NAZ
2
ISF
18
DSF
1
INF
2
SAC
4
リーダー・カード・レーサーズ ワトソン・68 オッフィ 159 ci V8 LAN
23
LAN
アンドレッティ・レーシング・エンタープライゼス ホーク・II TRE
1
MCH
2
HAN
3
PHX
24
1969年 STP・コーポレーション ホーク・III フォード・DOHCターボ PHX
16
HAN
1
INDY
1
MIL
7
TRE
1
MIL
4
DOV
11
TRE
1
PHX
21
1位 5055
フォード・DOHC LAN
5
CDR
10
IRP
9
IRP
2
BRN
4
BRN
3
SIR
1
SIR
2
RSD
1
キングフィッシュ・D シボレー V8 PPR
1
クーズマ・60 D オッフェンハウザー NAZ
1
ISF
1
DSF
2
INF
6
SAC
15
1970年 ホーク・III フォード・DOHCターボ PHX
13
TRE
2
LAN
8
MCH
21
MIL
24
PHX
8
5位 1890
フォード・DOHC SON
2
マクナマラ・500 フォード・DOHCターボ INDY
6
MIL
5
ONT
10
TRE
21
フォード・DOHC CDR
1
IRP
18
キングフィッシュ・70D フォード・ウエスレイク Mk.IV ISF
24
DSF
17
INF
11
SED
2
SAC
14
1971年 マクナマラ・501 フォード・DOHCターボ RAF RAF PHX
9
TRE
18
INDY
30
MIL
11
POC
4
MCH
12
MIL
19
ONT
33
TRE
2
PHX
4
9位 1370
1972年 ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシング コルト・70/72 オッフィ 159 ci V8 PHX
2
11位 1135
パーネリ・VPJ1 TRE
22
INDY
8
MIL
8
MCH
12
POC
7
MIL
11
ONT
27
TRE
28
PHX
3
1973年 パーネリ・VPJ2 TWS
25
TRE
4
TRE
1
INDY
30
MIL
8
POC
7
MCH
5
MIL
19
ONT ONT
12
ONT
2
MCH
5
MCH
2
TRE
7
TWS
17
PHX
7
5位 2400
1974年 ONT ONT
9
ONT
25
15位 655
イーグル・74 PHX
5
INDY
31
POC
17
MCH
18
MIL
8
MCH
10
TRE TRE PHX
3
パーネリ・VPJ3 TRE
9
MIL
17
1975年 イーグル・74 ONT ONT ONT
28
PHX TRE INDY
28
MIL POC
25
MCH MIL MCH TRE 23位 210
シュガリペ・プルーン・レーシング・チーム PHX
3
1976年 ペンスキー・レーシング マクラーレン・M16C PHX TRE INDY
8
MIL POC
5
MCH TWS TRE MIL ONT MCH TWS
4
PHX
3
9位 1200
1977年 マクラーレン・M24 フォード・DFX ONT PHX
DNS
TWS TRE
16
INDY
26
MIL POC
2
MOS MCH TWS MIL ONT
4
PHX
4
7位 1580
ペンスキー・PC-5 MCH
20
1978年 ペンスキー・PC-6 PHX ONT
15
TWS
5
TRE
13
INDY
12
MOS MIL POC
23
MCH ATL TWS MIL ONT MCH
20
TRE
1
SIL BRH PHX
7
17位 680
1980年 ペンスキー・レーシング ペンスキー・PC-9 フォード・DFX ONT INDY
20
MIL POC
17
MDO 37位 40
1981-82年 パトリック・レーシング ワイルドキャット・MK8 INDY
2
POC ISF DSF INF 6位 805
ワイルドキャット・MK8B INDY
31
1982-83年 ニューマン/ハース・レーシング ローラ・T700 ISF DSF NAZ INDY
23
32位 15
1983-84年 ローラ・T800 DSF INDY
17
20位 20

PPG・インディーカー・ワールド・シリーズ

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1979年 ペンスキー・レーシング ペンスキー・PC-7 フォード・DFX PHX ATL ATL INDY TRE TRE MCH MCH WGL TRE ONT
3
MCH
DNS
ATL PHX 11位 700
1980年 ペンスキー・PC-8 ONT INDY
20
MIL POC
17
MDO MCH WGL MIL ONT MCH
1
MEX PHX
2
16位 580
1981年 ワイルドキャット・MK8 PHX
11
MIL
3
ATL
3
ATL
2
MCH RIV MIL MCH
2
WGL
16
MEX PHX
4
11位 81
1982年 ワイルドキャット・MK8B PHX
2
ATL
11
MIL
9
CLE
2
MCH
2
MIL
3
POC
14
RIV
23
ROA
14
MCH
2
PHX
3
3位 188
1983年 ニューマン/ハース・レーシング ローラ・T700 ATL
5
INDY
23
MIL
18
CLE
14
MCH
3
ROA
1
POC
7
RIV
16
MDO
2
MCH
4
CPL
1
LAG
2
PHX
2
3位 133
1984年 ローラ・T800 LBH
1
PHX
20
INDY
17
MIL
8
POR
26
MEA
1
CLE
21
MCH
1
ROA
1
POC
19
MDO
1
SAN
7
MCH
1
PHX
12
LAG
2
CPL
2
1位 176
1985年 ローラ・T900 LBH
1
INDY
2
MIL
1
POR
1
MEA
26
CLE
14
MCH
10
ROA POC
7
MDO
7
SAN
15
MCH
21
LAG
11
PHX
3
MIA
27
5位 114
1986年 ローラ・T86/00 PHX
7
LBH
5
INDY
32
MIL
5
POR
1
MEA
24
CLE
3
TOR
3
MCH
21
POC
1
MDO
24
SAN
8
MCH
10
ROA
9
LAG
4
PHX
4
MIA
11
5位 114
1987年 ローラ・T87/00 シボレー 265A V8t LBH
1
PHX
5
INDY
9
MIL
17
POR
10
MEA
2
CLE
10
TOR
15
MCH
19
POC
19
ROA
1
MDO
17
NAZ
19
LAG
17
MIA
4
6位 100
1988年 ローラ・T88/00 PHX
1
LBH
15
MIL
17
POR
5
CLE
1
TOR
25
MEA
2
MCH
12
POC
17
MDO
2
ROA
3
NAZ
3
LAG
3
MIA
15
5位 126
ローラ・T87/00 INDY
20
1989年 ローラ・T89/00 PHX
8
LBH
18
INDY
4
MIL
7
DET
3
POR
25
CLE
2
MEA
20
TOR
26
MCH
3
POC
5
MDO
7
ROA
7
NAZ
8
LAG
2
6位 110
1990年 ローラ・T90/00 PHX
4
LBH
5
INDY
27
MIL
21
DET
25
POR
2
CLE
4
MEA
24
TOR
6
MCH
3
DEN
4
VAN
3
MDO
2
ROA
5
NAZ
4
LAG
26
7位 136
1991年 ローラ・T91/00 SRF
17
LBH
19
PHX
9
INDY
7
MIL
3
DET
7
POR
5
CLE
6
MEA
15
TOR
2
MCH
4
DEN
15
VAN
4
MDO
7
ROA
3
NAZ
5
LAG
3
7位 132
1992年 フォード XB V8t SRF
7
6位 105
ローラ・T92/00 PHX
17
LBH
23
INDY
23
DET POR
6
MIL
6
NHA
7
TOR
4
MCH
15
CLE
5
ROA
5
VAN
6
MDO
5
NAZ
5
LAG
2
1993年 ローラ・T93/00 SRF
4
PHX
1
LBH
18
INDY
5
MIL
18
DET
3
POR
6
CLE
5
TOR
8
MCH
2
NHA
20
ROA
15
VAN
5
MDO
7
NAZ
13
LAG
9
6位 117
1994年 ローラ・T94/00 SRF
3
PHX
21
LBH
5
INDY
32
MIL
14
DET
18
POR
9
CLE
27
TOR
4
MCH
18
MDO
10
NHA
19
VAN
11
ROA
16
NAZ
25
LAG
19
14位 45

インディアナポリス500

編集
シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
1965年 ホーク フォード 4位 3位 ディーン・ヴァン・ラインズ・レーシング・ディヴィジョン
1966年 1位 18位
1967年 1位 30位
1968年 4位 33位 アンドレッティ・レーシング・エンタープライゼス
1969年 2位 1位 STP・コーポレーション
1970年 マクナマラ 8位 6位
1971年 9位 30位
1972年 パーネリ オッフェンハウザー 5位 8位 ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシング
1973年 6位 30位
1974年 イーグル 5位 31位
1975年 27位 28位
1976年 マクラーレン 19位 8位 ペンスキー・レーシング
1977年 コスワース 6位 26位
1978年 ペンスキー 33位 12位
1980年 ペンスキー コスワース 2位 20位 ペンスキー・レーシング
1981年 ワイルドキャット 32位 2位 パトリック・レーシング
1982年 4位 31位
1983年 ローラ 11位 23位 ニューマン/ハース・レーシング
1984年 6位 17位
1985年 4位 2位
1986年 30位 32位
1987年 シボレー 1位 9位
1988年 4位 20位
1989年 5位 4位
1990年 6位 27位
1991年 3位 7位
1992年 フォード・コスワース 3位 23位
1993年 2位 5位
1994年 9位 32位

NASCAR

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グランド・ナショナル・シリーズ

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チーム No. 製造 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 NGNC Pts.
1966年 ボンディ・ロング 71 シェヴィー AUG RSD
16
DAY NA 0
スモーキー・ユニック 13 DAY
20
DAY
37
CAR
BRI
ATL
HCY
CLB
GPS
BGS
NWS
MAR
DAR
LGY
MGR
MON
RCH
CLT
DTS
ASH
PIF
SMR
AWS
BLV
GPS
オーウェンズ・レーシング 5 ダッジ DAY
ODS
BRR
OXF
FON
ISP
BRI
SMR
NSV
ATL
CLB
AWS
BLV
BGS
DAR
HCY
RCH
HBO
MAR
NWS
CLT
CAR
1967年 ホルマン・ムーディ 114 フォード AUG RSD
9
DAY NA 0
11 DAY
6
DAY
1*
AWS BRI GPS BGS ATL
19
CLB HCY NWS MAR SVH RCH DAR BLV LGY CLT ASH MGR SMR BIR CAR GPS MGY DAY
27
TRN OXF FDA ISP BRI SMR NSV ATL BGS CLB SVH DAR HCY RCH BLV HBO MAR NWS CLT
27
CAR AWS
1968年 MGR MGY RSD
27
DAY
12
ISP OXF FDA TRN BRI SMR NSV ATL CLB BGS AWS SBO LGY DAR HCY RCH BLV HBO MAR NWS AUG CLT CAR JFC NA 0
マーキュリー DAY
29
BRI RCH ATL HCY GPS CLB NWS MAR AUG AWS DAR BLV LGY CLT ASH MGR SMR BIR CAR GPS
1969年 97 フォード MGR MGY RSD
18
DAY DAY DAY CAR AUG BRI ATL CLB HCY GPS RCH NWS MAR AWS DAR BLV LGY CLT MGR SMR MCH KPT GPS NCF DAY DOV TPN TRN BLV BRI NSV SMR ATL MCH SBO BGS AWS DAR HCY RCH TAL CLB MAR NWS CLT SVH AUG CAR JFC MGR TWS NA 0

デイトナ500

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チーム マニュファクチャラー スタート フィニッシュ
1966年 スモーキー・ユニック シボレー 39位 37位
1967年 ホルマン・ムーディ フォード 12位 1位*
1968年 マーキュリー 20位 29位

ル・マン24時間レース

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チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合
順位
クラス
順位
1966年   ホルマン&ムーディ   ルシアン・ビアンキ フォード・GT Mk.II P
5.0
97 DNF DNF
1967年   ルシアン・ビアンキ フォード・マークIV 188 DNF DNF
1982年   ギャンド・ツーリング・カーズ Inc.   マイケル・アンドレッティ ミラージュ・M12-フォードコスワース C - DNS DNS
1983年   ポルシェ・クレマー・レーシング   マイケル・アンドレッティ
  フィリップ・アリオー
ポルシェ・956 C 364 3位 3位
1988年   ポルシェAG   マイケル・アンドレッティ
  ジョン・アンドレッティ
ポルシェ・962C C1 375 6位 6位
1995年   クラージュ・コンペティション   ボブ・ウォレク
  エリック・エラリー
クラージュ・C34-ポルシェ WSC 297 2位 1位
1996年   ヤン・ラマース
  デレック・ワーウィック
クラージュ・C36-ポルシェ LMP1 315 13位 3位
1997年   マイケル・アンドレッティ
  オリビエ・グルイヤール
LMP 197 DNF DNF
2000年   パノス・モータースポーツ   デビッド・ブラバム
  ヤン・マグヌッセン
パノス・LMP-1 Roadster-S-エラン LMP900 315 15位 8位
エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1968年 ロータス 49B フォード・コスワース DFV 3.0 V8 RSA ESP MON BEL NED FRA GBR GER ITA
DNS
CAN USA
Ret
MEX NC 0
1969年 RSA
Ret
ESP MON NED FRA GBR NC 0
63 GER
Ret
ITA CAN USA
Ret
MEX
1970年 STPマーチ 701 RSA
Ret
ESP
3
MON BEL NED FRA GBR
Ret
GER
Ret
AUT
Ret
ITA CAN USA MEX 16位 4
1971年 フェラーリ 312B フェラーリ 001 3.0 F12 RSA
1
ESP
Ret
MON
DSQ
NED
Ret
FRA GBR 8位 12
312B2 フェラーリ 001/1 3.0 F12 GER
4
AUT ITA CAN
13
USA
DNS
1972年 ARG
Ret
RSA
4
ESP
Ret
MON BEL FRA GBR GER AUT ITA
7
CAN USA
6
12位 4
1974年 パーネリ VPJ4 フォード・コスワース DFV 3.0 V8 ARG BRA RSA ESP BEL MON SWE NED FRA GBR GER AUT ITA CAN
7
DSQ
DSQ
NC 0
1975年 ARG
Ret
BRA
7
RSA
17
ESP
Ret
MON
Ret
BEL SWE
4
NED FRA
5
GBR
12
GER
10
AUT
Ret
ITA
Ret
USA
Ret
14位 5
1976年 ロータス 77 BRA
Ret
ESP
Ret
BEL
Ret
MON SWE
Ret
FRA
5
GBR
Ret
GER
12
AUT
5
NED
3
ITA
Ret
CAN
3
USA
Ret
JPN
1
6位 22
パーネリ VPJ4B RSA
6
USW
Ret
1977年 ロータス 78 ARG
5
BRA
Ret
RSA
Ret
USW
1
ESP
1
MON
5
BEL
Ret
SWE
6
FRA
1
GBR
14
GER
Ret
AUT
Ret
NED
Ret
ITA
1
USA
2
CAN
9
JPN
Ret
3位 47
1978年 ARG
1
BRA
4
RSA
7
USW
2
MON
11
1位 64
79 BEL
1
ESP
1
SWE
Ret
FRA
1
GBR
Ret
GER
1
AUT
Ret
NED
1
ITA
6
USA
Ret
CAN
10
1979年 ARG
5
BRA
Ret
RSA
4
USW
4
BEL
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
AUT
Ret
NED
Ret
ITA
5
CAN
10
USA
Ret
12位 14
80 ESP
3
MON
Ret
FRA
Ret
1980年 81 ARG
Ret
BRA
Ret
RSA
12
USW
Ret
BEL
Ret
MON
7
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
7
AUT
Ret
NED
8
ITA
Ret
CAN
Ret
USA
6
20位 1
1981年 アルファロメオ 179C アルファロメオ 1260 3.0 V12 USW
4
BRA
Ret
ARG
8
SMR
Ret
BEL
10
MON
Ret
ESP
8
17位 3
179B FRA
8
GBR
Ret
GER
9
AUT
Ret
179D NED
Ret
ITA
Ret
CAN
7
CPL
Ret
1982年 ウィリアムズ FW07C フォード・コスワース DFV 3.0 V8 RSA BRA USW
Ret
SMR BEL MON DET CAN NED GBR FRA GER AUT SUI 19位 4
フェラーリ 126C2 フェラーリ 021 1.5 V6t ITA
3
CPL
Ret

各種レース戦績

編集

脚注

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  1. ^ GRAND PRIX RESULTS: ITALIAN GP, 1968” (英語). 2009年8月20日閲覧。
  2. ^ 他の3人はジュゼッペ・ファリーナカルロス・ロイテマンジャック・ヴィルヌーヴ。但しジュゼッペ・ファリーナはF1開催第一回目に当るので実質2人。
  3. ^ "マリオ・アンドレッティ、インディで復活". Web CG.(2003年4月25日)2013年5月28日閲覧。
  4. ^ 【あなたは何しに?】元F1チャンピオンのマリオ・アンドレッティがホンダを激励 | F1 | autosport web”. AUTO SPORT web (2019年11月6日). 2019年11月7日閲覧。
  5. ^ (日本語) Andretti First Lap at COTA, https://www.youtube.com/watch?v=j_hE6mznDnc 2019年11月7日閲覧。 
  6. ^ Turbo: Can This Little Guy Save IndyCar?”. 2014年2月22日閲覧。
  7. ^ キャデラックの新F1チーム、アンドレッティとのつながり残る。マリオ・アンドレッティが非常勤の取締役に”. motorsport.com (2024年11月26日). 2024年11月27日閲覧。
  8. ^ 82歳のマリオ・アンドレッティ、マクラーレンの2013年型F1マシンで爆走F1-gate 2022年10月17日
  9. ^ マリオ・アンドレッティ、アメリカGPの前にマクラーレンのF1マシンをドライブオートスポーツ 2022年5月16日
  10. ^ The Flying Finn MikaHakkinen meets MarioAndretti at LagunaSeca. Goodwood FOS 2022年10月16日
  11. ^ F1に政治を持ち込むな! 差別問題に取り組むハミルトンは「思い上がっている」とマリオ・アンドレッティが苦言”. jp.motorsport.com (2020年7月21日). 2023年8月23日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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タイトル
先代
ニキ・ラウダ
F1ドライバーズチャンピオン
1978年
次代
ジョディー・シェクター