マイラ・ヘス
マイラ・ヘス(Dame Myra Hess DBE, 1890年2月25日 - 1965年11月25日)は、英国のピアニスト。
マイラ・ヘス Myra Hess | |
---|---|
マイラ・ヘス | |
基本情報 | |
生誕 | 1890年2月25日 |
出身地 | イギリス・ロンドン |
死没 | 1965年11月25日(75歳没) |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
活動期間 | 1907年 - 1961年 |
配偶者 | なし |
人物・来歴
編集1890年、ロンドンでユダヤ系の家庭に生まれる。王立音楽アカデミーに学び、1907年にベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を演奏してデビュー。その後、イギリスと北米で演奏旅行に取り組む。第二次世界大戦中にすべての演奏会場が閉鎖されると、ロンドンのナショナル・ギャラリーなどでランチタイム・コンサートを企画して、自ら演奏家として出演し、大きな評判を呼んだ。この功績に対して、1941年にデイムの称号を授与された。
特にモーツァルトやベートーヴェン、シューマンの演奏家として有名だが、ドメニコ・スカルラッティから現代音楽に至るまでレパートリーは幅広く、ハワード・ファーガソンのピアノ・ソナタやピアノ協奏曲の初演者でもある。従姉のアイリーン・シャラーと組んだピアノ・デュオや、室内楽でも活躍した。ヘスがバッハのカンタータから編曲した「主よ、人の望みの喜びよ」は現在も広く愛奏されている。
1961年に脳梗塞のため演奏活動の引退を余儀なくされたが、晩年までスティーヴン・コヴァセヴィチなどの弟子を育てた。
結婚することなく、生涯独身を貫いた[1]。
家族・親族
編集同じくピアニストのハリエット・コーエンともいとこ同士にあたる[2]。