マイケル・チャップマン
アメリカの撮影監督 (1935-2020)
マイケル・チャップマン(Michael Chapman, 1935年12月21日 - 2020年9月20日[1])は、アメリカ合衆国の映画撮影監督。
マイケル・チャップマン Michael Chapman | |||||||||
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マイケル・チャップマン | |||||||||
生年月日 | 1935年12月21日 | ||||||||
没年月日 | 2020年9月20日(84歳没) | ||||||||
出生地 | アメリカ合衆国・ニューヨーク州 ニューヨーク[1] | ||||||||
死没地 | アメリカ合衆国・カリフォルニア州 ロサンゼルス[1] | ||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||
配偶者 | エイミー・ホールデン・ジョーンズ(脚本家)[1] | ||||||||
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略歴
編集ニューヨークに生まれ、マサチューセッツ州ウェルズリーで育った。コロンビア大学で英語を専攻した。
『真夜中の青春』(1970年)、『コールガール』(1971年)[1]、『ゴッドファーザー』(1972年)[1]などの作品でカメラ・オペレーターとしてキャリアをスタートさせた。
1973年、ハル・アシュビー監督の『さらば冬のかもめ』で撮影監督デビュー[1]。その後『タクシードライバー』や『ラスト・ワルツ』、『レイジング・ブル』[1]などマーティン・スコセッシの作品を多く撮影した。また、自身が撮影した作品に端役で出演していることが時々ある。
『テラビシアにかける橋』の撮影を最後に現役を引退した。
撮影作品
編集- さらば冬のかもめ The Last Detail (1973)
- タクシードライバー Taxi Driver (1976)
- ウディ・アレンのザ・フロント The Front (1976)
- SF/ボディ・スナッチャー Invasion of the Body Snatchers (1978)
- ラスト・ワルツ The Last Waltz (1978)
- マッド・フィンガーズ Fingers (1978)
- ハードコアの夜 Hardcore (1979)
- レイジング・ブル Raging Bull (1980)
- スティーブ・マーティンの 四つ数えろ Dead Men Don't Wear Plaid (1982)
- マイ・ライバル Personal Best (1982)
- トム・クルーズ/栄光の彼方に All the Right Moves (1983) 監督
- 2つの頭脳を持つ男 The Man with Two Brains (1983)
- ロストボーイ The Lost Boys (1987)
- 影なき男 Shoot to Kill (1988)
- 3人のゴースト Scrooged (1988)
- ゴーストバスターズ2 Ghostbusters II (1989)
- キンダガートン・コップ Kindergarten Cop (1990)
- クイック・チェンジ Quick Change (1990)
- ドク・ハリウッド Doc Hollywood (1991)
- ライジング・サン Rising Sun (1993)
- 逃亡者 The Fugitive (1993)
- 真実の行方 Primal Fear (1996)
- スペース・ジャム Space Jam (1996)
- 6デイズ/7ナイツ Six Days Seven Nights (1998)
- ストーリー・オブ・ラブ The Story of Us (1999)
- ザ・ウォッチャー The Watcher (2000)
- エボリューション Evolution (2001)
- サスペクト・ゼロ Suspect Zero (2004)
- 最高のともだち House of D (2004)
- テラビシアにかける橋 Bridge to Terabithia (2007)