ボストン (バンド)
ボストン(Boston)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。
ボストン | |
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USA・ボストン公演(2013年5月) | |
基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 ボストン |
ジャンル | |
活動期間 | 1976年 - |
レーベル | |
共同作業者 |
オリオン・ザ・ハンター
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メンバー | |
旧メンバー | 別記参照 |
1970年代後半から1980年代にかけて隆盛した「アメリカン・プログレ・ハード(スタジアム・ロック)」の代表的グループの一つとして知られ、創設者トム・ショルツが全般を創作するプロジェクトの一面を持つ。デビュー早々からミリオンセラーを連発し、全世界での総売り上げは7,500万枚以上を記録している。
概要・略歴
編集創始者トム・ショルツは、アメリカ合衆国オハイオ州の出身。7歳からピアノを習い、マサチューセッツ工科大学在学中にギターを独学で覚える。大学卒業後はポラロイド社に就職しプロダクト・エンジニアとなった。仕事の傍ら、電気工学の知識を生かして自宅アパートに多重録音可能なスタジオを構築、そこで作り上げたデモ・テープがCBSレコードに認められ契約する。
1976年、ファースト・アルバム『幻想飛行』をリリース[3]。シングル・カットされた「宇宙の彼方へ(More Than A Feeling)」[4]と共に全米チャートで上昇。アルバムは全米3位を獲得し、アメリカだけで1,700万枚、全世界で2,500万枚売り上げている[5]。
1978年、ツアーの合間を縫って慌ただしく制作されたセカンド・アルバム『ドント・ルック・バック』も全米1位の大ヒットを記録する。ただ大手のCBSに所属し、ポップなロック・サウンドだったため、ジャーニー、TOTO、スティクスらとともに、産業ロックとの批判を浴びた。
1979年4月、初来日公演「CHERRY BLOSSOM TOUR '79」を開催。
以降次作の発表が待ち望まれたが、完璧主義者のショルツのレコーディング作業はなかなか進まず、ついにはCBSレコードに契約不履行で訴えられ長期間の法廷闘争に突入、ボストンの活動は一時停止する。
1986年、法廷闘争が決着しMCAレコードへ移籍。8年ぶりのサード・アルバム『サード・ステージ』を発表。シングル・カットされた「アマンダ」が全米1位を獲得し、アルバムも2作連続で1位を記録。
その後も悠々自適のペースでアルバムを制作、1994年に4thアルバム『ウォーク・オン』、1997年のベスト盤をはさんで、2002年に5thアルバム『コーポレイト・アメリカ』を発表。
2007年、リードボーカルを務めるオリジナル・メンバーのブラッド・デルプが急死(自殺)。この件によって同年夏のボストン全米ツアーは中止。翌年、HR/HMバンド「ストライパー」のマイケル・スウィートが参加し、ツアーを再開。
デビュー・アルバム制作エピソード
編集デビュー・アルバム『幻想飛行』のほとんどをトム・ショルツ一人で作った事実を、当初CBS側はにわかには信じなかった。デモテープを聞いた担当者は「現存するあらゆる(ロック・ミュージック)作品の中で、最も素晴らしい作品である」と評価したと言われる。
- 制作
- アルバムの制作はショルツの完成度の高いデモ・テープの内容を、プロのスタジオのクオリティで忠実に再現することに費やされた。ブラッド・デルプのボーカル以外はほとんどすべての楽器をショルツ自身が演奏しており、バンドのメンバーはデビューにあたってライブ活動を行なうために集められた。当初はライブ活動のことは念頭になかったショルツであるが、アルバムの発売に合わせてツアーを敢行することでプロモートとし、アルバムの売上を確実なものへとするのが当時のセオリーであったので、当然ツアーはするものと考えていたレーベルの強い勧めに従って急遽オーディションを行ったと言われている。
- 再録音にあたっては、デモ・テープ同様ブラッド・デルプによりボーカルが付けられた(メインボーカルだけにとどまらず、ハーモニーやあらゆるコーラスはデルプによるもの)。またシブ・ハシアンとジム・マスデアによってドラム・パートが録音され、バリー・グドローによる印象的なリードギターも付け加えられた。それらの音源を持って、ショルツは自身のスタジオにこもりミックス作業に没頭する。しかしレーベル側からの「プロのクオリティで」という強い圧力はかかり続けた。エピック・レコードから立てられた音楽プロデューサーのジョン・ボイランはこの問題を解決するため、集められたバンド・メンバーによるレコーディングを「1曲だけ」プロのスタジオで行い、レーベル側の目くらましに利用したと言われる。
- 全曲さまざまな音源を何重にも重ね、独特の分厚い重厚感を持たせた楽曲群だが、多重録音に必要とされるリズムボックスを一切使用せず、曲のテンポは全て「手拍子」で測っていた。ただしそのことにより、いわゆる「一発録り」的な迫力が生まれ、ほとんどショルツ一人の演奏であるにもかかわらず、あたかもビッグバンドであるかのような迫力あるサウンドとなっている。しかし、逆にショルツ一人が関わったミックス作業には、大変な労力が必要となった。
- リマスター盤
- 発表から30年後の2006年、デビューアルバム『幻想飛行』発売30周年記念として、『幻想飛行』『ドント・ルック・バック』のショルツ自身によるデジタル・リマスターの再発盤がリリースされ話題となり、今の「CD時代」に合わせ音質は向上したが、そもそもこの「30年前の録音〜ミックスのクオリティの高さ」がかえって浮き彫りとなった。
- その他
- アルバム・ジャケットに刻印された「No Synthesizers Used(シンセサイザー使用せず)」「No Computers Used(コンピュータ使用せず)」という有名なクレジットは決してハッタリではなく、その綿密に手を加えられた音源と、膨大な時間と労力を費やしたミックス作業を物語るものである。
- 初期の作品は、各バンドメンバーのクレジットがあり体裁上はバンドの形を取っているが、実際には全てショルツの指示通りプレイされているなど、完全にショルツが演出していた。
ブラッド・デルプの自死
編集- 2007年3月9日、リード・ボーカルを務めるオリジナル・メンバーのブラッド・デルプが急死した。この時間、デルプはニューハンプシャー州アトキンスの自宅に一人でおり、争った形跡などはなかったという。地元メディアのウェブサイトなどによると、デルプはボストンの夏のツアー・コンサートと自身の結婚に備えていた時期だったという。死の数時間後にはボストンのウェブサイトに「We've just lost the nicest guy in rock and roll.」というシンプルな追悼メッセージが表示された。
音楽機器開発
編集- 1980年代にショルツは、ロックマン・ブランドのギター・アンプやエフェクターを開発・販売している。「これ一台でボストンと同じ分厚いギターの音が出せる」というのが特徴。中でもヘッドホンアンプはその手軽さからヒット商品となった。これらの商品開発でいくつかの音響工学関連の特許を取っている(現在はロックマンのブランドを他者に売却している)。さらには、「留守中の植物への水やり機」「絶対にチューニングの狂わないギター」など特許は数多くとっているという。
メンバー
編集現ラインナップ
編集- トム・ショルツ (Tom Scholz) - 全楽器、ボーカル (1976年- ) ライブでは主にギター/キーボード等を担当
- ギャリー・ピール (Gary Pihl) - ギター、キーボード (1985年- )
- トミー・デカーロ (Tommy DeCarlo) - リードボーカル、キーボード (2008年- )
- トレーシー・フェリー (Tracy Ferrie) - ベース (2012年- )
- ジェフ・ニール (Jeff Neal) - ドラムス (2002年- )
- ベス・コーエン (Beth Cohen) - キーボード、ギター (2002年、2012年、2015年- ) 女性プレイヤー
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トム・ショルツ 2008年
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ギャリー・ピール(G) 2008年
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トミー・デカーロ(Vo/Key) 2012年
旧メンバー
編集- ブラッド・デルプ (Brad Delp) - ボーカル、リズムギター、キーボード (1976年-1991年、1994年-2007年) ※2007年死去
- フラン・シーン (Fran Sheehan) - ベース (1976年-1986年)
- ジム・マスデア (Jim Masdea) - ドラムス (1976年、1987年-1994年)
- バリー・グドロー (Barry Goudreau) - リードギター (1976年-1981年)
- シブ・ハシアン (Sib Hashian) - ドラムス (1976年-1982年) ※2017年死去[9]
- クリス・リヴァス (Chris Rivas) - ドラムス (1985年)
- デヴィッド・サイクス (David Sikes) - ベース (1987年-1997年)
- ダグ・ハフマン (Doug Huffman) - ドラムス (1987年、1994年)
- フラン・コスモ (Fran Cosmo) - ボーカル、ギター (1992年-2009年)
- カーリー・スミス (Curly Smith) - ドラムス (1994年-2000年、2012年-2014年)
- キンバリー・ダーム (Kimberley Dahme) - ボーカル、ベース (2001年-2014年) ※女性プレイヤー
- アンソニー・コスモ (Anthony Cosmo) - ギター、キーボード、ベース (2002年-2006年) ※フラン・コスモの息子
- アンソニー・シトリナイト (Anthony Citrinite) - ドラムス (2001年)
- トム・ハムブリッジ (Tom Hambridge) - ドラムス (2002年)
- マイケル・スウィート (Michael Sweet) - ボーカル (2008年-2011年)
- デヴィッド・ビクター (David Victor) - ギター (2012年-2014年)
ディスコグラフィ
編集アルバム
編集- 『幻想飛行』 - Boston (1976年) ※全米3位 1700万枚
- 『ドント・ルック・バック』 - Don't Look Back (1978年) ※全米1位 700万枚
- 『サード・ステージ』 - Third Stage (1986年) ※全米1位 400万枚
- 『ウォーク・オン』 - Walk On (1994年) ※全米7位 100万枚
- 『グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (1997年) ※全米47位 200万枚
- 『コーポレイト・アメリカ』 - Corporate America (2002年) ※全米42位 50万枚
- 『ライフ、ラブ&ホープ』 - Life, Love & Hope (2013年)
※注:順位はビルボード・アルバムチャートによる。売上枚数はRIAA(全米レコード協会)による認定枚数。
シングル
編集- 「宇宙の彼方へ」 - "More Than A Feeling" (1976年) ※全米5位
- 「ロング・タイム」 - "Long Time" (1977年) ※全米22位
- "Peace Of Mind" (1977年) ※全米38位
- 「ドント・ルック・バック」 - "Don't Look Back" (1978年) ※全米4位
- 「遥かなる想い」 - "A Man I'll Never Be" (1978年) ※全米31位
- 「フィーリン・サティスファイド」 - "Feelin' Satisfied" (1979年) ※全米46位
- 「アマンダ」 - "Amanda" (1986年) ※全米1位
- 「ウィア・レディ」 - "We're Ready" (1986年) ※全米9位
- 「キャンチャ・セイ」 - "Can'tcha Say (You Believe In Me)" (1987年) ※全米20位
- 「アイ・ニード・ユア・ラヴ」 - "I Need Your Love" (1994年) ※全米51位
- "Walk On Medley" (1994年)
来日公演
編集- 1979年 「CHERRY BLOSSOM TOUR '79」 招聘元:バン・プランニング(VAN PLANNING)
- 4月13・14日 大阪府立体育館
- 4月16日 福岡・九電記念体育館
- 4月18日・19日・20日 東京・日本武道館
- 2014年
- 10月2・9日 東京・日本武道館
- 10月4日 愛知県体育館
- 10月6日 大阪市中央体育館
脚注
編集- ^ a b Weinstein, Deena (2015). Rock'n America: A Social and Cultural History. University of Toronto Press. p. 164. ISBN 978-1-442-60015-7
- ^ a b Nicholson, Kris (1976年10月7日). “Boston: Boston : Music Reviews”. Rolling Stone. 2007年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月3日閲覧。
- ^ ボストン、残された最後の奇跡! 天才トム・ショルツ率いる伝説のバンドが35年振りとなる日本への幻想飛行 - BARKS
- ^ https://www.discogs.com/Boston-More-Than-A-Feeling/master/59373
- ^ http://www.ra17.com/kbh/info/beatlesriaa-2-htlm
- ^ ボストン、11年振りとなる待望のニュー・アルバム - タワーレコード
- ^ ボストン 日本武道館ライブレポート - RO69
- ^ 米ロックバンド「ボストン」のB・デルプ氏、死因は自殺 - ロイター
- ^ ボストン初期のドラマー、シブ・ハシアン、死去 - TMZ.com