ホージャ・アファーク(Khoja Afaq、1626年頃 - 1694年[2])は、今の中国西北部新疆ウイグル自治区南部カシュガル白山党中国語版ホージャ。「ホージャ・ヒダーヤット・アッラー(Khoja Hidayat Allah)」とも呼ばれた。

アパク(アファーク)・ホージャ廟英語版。アファーク派一族の墓所[1]

概要

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アファークはナクシュバンディー教団の有名なスーフィーだったアフマド・カーサーニー中国語版の曾孫であり、尊敬されていた。

ヤルカンド・ハン国における権力争いにおいて、1670年に白山党が支持するヨルバルスが殺害され、黒山党中国語版が支持するイスマーイールがハン位に就任すると、アファークは国外に追放されることとなった[3]。アファークの影響は新疆ウイグル自治区外にも広く及んでおり、1671年から1672年にかけて、父親のムハンマド・ユースフ中国語版が以前に説教したこともある甘粛省(当時は青海省の一部を含む)で説教を行った。その行程で、アファークは西寧(今の青海省)、臨洮県、河州(今の臨夏回族自治州)を訪れ、そこで何人かの回族と多くのサラール族をナクシュバンディー教団に改派させたと言われている。

脚注

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  1. ^ 澤田稔 2018, p. 8.
  2. ^ 澤田稔 2018, p. 11.
  3. ^ 丸山鋼二 2014, p. 54.

参考文献

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  • 澤田稔「歴史書としての聖者伝─16~18世紀カシュガル・ホージャ家の伝記『タズキラ・イ・ホージャガーン』」(PDF)『日本中央アジア学会報』第14号、日本中央アジア学会、2018年7月31日、1-22頁、ISSN 1880-00762022年3月23日閲覧 
  • 丸山鋼二「ヤルカンド・ハン朝の建国と「聖戦」: 新疆イスラム教小史⑦」『文教大学国際学部紀要』第24巻第2号、文教大学、2014年1月1日、47-64頁、CRID 1050001338027025664ISSN 0917-3072NAID 120006420345 

関連項目

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