ペルニク

ブルガリアの都市

ペルニクブルガリア語:Пѐрник / Pernik)はブルガリア西部の町、およびそれを中心とした基礎自治体ペルニク州の州都である。ヴィスキャル山Вискяр / Viskyar)、ヴィトシャ山Витоша / Vitosha)、ゴロ・ブルド山Голо бърдо / Golo Bardo)にはさまれたペルニク渓谷の中にあり、ストルマ川Струма)の両岸に広がっている。

ペルニク

Перник
ペルニクの旗
ペルニクの紋章
紋章
ペルニクの位置(ブルガリア内)
ペルニク
ペルニク
ペルニクの位置(バルカン半島内)
ペルニク
ペルニク
座標:北緯42度36分 東経23度02分 / 北緯42.600度 東経23.033度 / 42.600; 23.033座標: 北緯42度36分 東経23度02分 / 北緯42.600度 東経23.033度 / 42.600; 23.033
ブルガリアの旗 ブルガリア
ペルニク州
政府
 • 町長 Stanislav Vladimirov
面積
 • 町 72.289 km2
標高
710 m
人口
2020年
 • 町 75,964人
 • 密度 1,100人/km2
 • 都市部
97,181人
等時帯 UTC 2 (EET)
 • 夏時間 UTC 3 (EEST)
郵便番号
2300
市外局番 076
ウェブサイト 公式ウェブサイト
ペルニク
炭鉱の中央事務所
冬の文化宮殿
クラクラ公の要塞跡

町では毎年1月、スルヴァ国際仮装大会(The Surva International Festival of the Masquerade Games)が開かれる。ペルニクにはPFKミニョル・ペルニクPFC Minyor Pernik)とFKメタルルク・ペルニクФК Металург)の2つのサッカー・クラブがある。

気候

編集
ペルニクの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 15.2
(59.4)
19.1
(66.4)
29
(84)
30
(86)
33.1
(91.6)
34.7
(94.5)
38.2
(100.8)
37.5
(99.5)
34.5
(94.1)
32.2
(90)
23.2
(73.8)
17.4
(63.3)
38.2
(100.8)
平均最高気温 °C°F 4.0
(39.2)
5.6
(42.1)
11.1
(52)
17.2
(63)
22.5
(72.5)
26.5
(79.7)
29.3
(84.7)
29.5
(85.1)
24.0
(75.2)
18.3
(64.9)
11.8
(53.2)
4.7
(40.5)
17.2
(63)
日平均気温 °C°F −0.8
(30.6)
1.0
(33.8)
5.4
(41.7)
11.2
(52.2)
16.0
(60.8)
20.0
(68)
22.5
(72.5)
22.5
(72.5)
17.8
(64)
12.0
(53.6)
6.9
(44.4)
0.7
(33.3)
11.3
(52.3)
平均最低気温 °C°F −4.5
(23.9)
−3.5
(25.7)
0.8
(33.4)
5.1
(41.2)
9.5
(49.1)
12.6
(54.7)
14.5
(58.1)
14.5
(58.1)
10.5
(50.9)
5.6
(42.1)
2.0
(35.6)
−2.3
(27.9)
5.4
(41.7)
最低気温記録 °C°F −26.8
(−16.2)
−26.5
(−15.7)
−21.5
(−6.7)
−6.4
(20.5)
−3.6
(25.5)
1.7
(35.1)
3.5
(38.3)
3.5
(38.3)
−3
(27)
−4.9
(23.2)
−14.6
(5.7)
−18.7
(−1.7)
−26.8
(−16.2)
降水量 mm (inch) 43
(1.69)
37
(1.46)
37
(1.46)
53
(2.09)
71
(2.8)
77
(3.03)
48
(1.89)
39
(1.54)
43
(1.69)
52
(2.05)
56
(2.2)
48
(1.89)
604
(23.78)
出典:Stringmeteo[1]

StringMeteo.com » Начало

歴史

編集

この地はかつては紀元前4世紀に築かれたトラキア人の要塞であった。後に古代ローマ人の居住地となった。後期新石器時代からこの地にトラキア人がいたことを示す豊富な考古学的な資料が残されている。この時代のバルカン半島中部で最も豊かな陶器のコレクションが歴史博物館に保存されている。また、健康や医学の神であるアスクレーピオスヒュギエイアに捧げられた、多くのレリーフや彫刻が保存されている。これらはこの地にある鉱泉への畏敬を示したものである。

ペルニクは9世紀初頭に、重要な要塞の一つとして第一次ブルガリア帝国のものとなった。ペルニクの名前はスラヴ神話の神・ペルーンに由来しており、その語尾にスラヴ語の地名の接尾辞-nikがついてペルニクとなった。ペルニクの名前は9世紀に初めて文献に記録されている。

11世紀ブルガリア帝国サムイルによる東ローマ帝国への抵抗では、ペルニクの要塞は決定的な役割を果たした。当時のペルニクを支配していたクラクラ公Кракра / Krakra)は、東ローマによる包囲攻撃に何度も耐えた。後に、町はラスカの大公ステファン・ネマニャによって占領された。

1396年から1878年まで、町はオスマン帝国の支配下となった。この時代、ペルニクは完全に帝国の内側にあり、要塞としての重要性は低下した。オスマン帝国からの独立後、ペルニクは小さな畜産の町であった。

20世紀、ペルニクは炭鉱重工業の町として急速に発展した。ペルニクの炭鉱が開発されるまでの間、石炭はイギリスカーディフから運ばれてきた。

ブルガリアの社会主義政権時代1949年から1962年までブルガリアの共産主義指導者ゲオルギ・ディミトロフの名をとって、ディミトロヴォДимитрово / Dimitrovo)と呼ばれた。

みどころ

編集

著名な出身者

編集

町村

編集

ペルニク基礎自治体(Община Перник)にはその中心であるペルニクをはじめとする、以下の町村(集落)が存在している。

姉妹都市

編集

ペルニクは以下の都市と姉妹都市提携を結んでいる。

脚注

編集
  1. ^ Stringmeteo – Pernik Climate”. Stringmeteo (2012年). Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 Retrieved on July 9, 2012.

外部リンク

編集