ベラトアルバニア語: Berati英語: Berat)はアルバニア中南部の都市で、ベラト州の州都およびベラト県の県都[1]。人口は約65,000人(2006年現在)。ベラティとも表記する[2]

ベラト
Berati
砦から見るベラト市街
砦から見るベラト市街
ベラトの市章
市章
位置
の位置図
位置
ベラトの位置(アルバニア内)
ベラト
ベラト (アルバニア)
ベラトの位置(バルカン半島内)
ベラト
ベラト (バルカン半島)
座標 : 北緯40度42分 東経19度57分 / 北緯40.700度 東経19.950度 / 40.700; 19.950
行政
アルバニアの旗 アルバニア
 州 ベラト州
 県 ベラト県
 市 ベラト
人口
人口 (2005現在)
  市域 65,000人
その他
等時帯 CET (UTC 1)
夏時間 CEST (UTC 2)
郵便番号 5001-5006
市外局番 032
世界遺産 ベラトとジロカストラの歴史地区
アルバニア
ベラトの景観
ベラトの景観
英名 Historic Centres of Berat and Gjirokastra
仏名 Centres historiques de Berat et de Gjirokastra
面積 58.9 ha
(緩衝地域 136.2 ha)
(※ベラトのみの値)
登録区分 文化遺産
登録基準 (3), (4)
登録年 2005年
拡張年 2008年
備考 ベラト自体の登録は2008年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示

オスム川中流に位置し、農産物加工の中心地である[1]オリーブ油製造が盛ん[1]。住民の多くはイスラム教を信仰する。近隣の都市としては、約35キロメートル西のフィエル、35キロメートル北西のルシュニヤ、50キロメートル南西のブローナなどが挙げられる。

歴史

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ビザンツ帝国ブルガリア帝国セルビア王国などの支配を経て、15世紀半ばよりオスマン帝国の支配下におかれた。1914年アルバニア公国独立にともないアルバニア領となった。古称アンティパトリア(Antipatria)。

世界遺産

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オスマン帝国時代の町並みが保存されており、2005年に世界遺産に登録されていた「ジロカストラの博物館都市」の拡大登録という形で、2008年に世界遺産リストに加えられた。

登録基準

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この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

観光

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脚注

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  1. ^ a b c 『コンサイス地名辞典 外国編』、三省堂、1977年7月、P929。
  2. ^ a b 『地球の歩き方 2017〜18 中欧』ダイヤモンド・ビッグ社、2017年、420頁。ISBN 978-4-478-06007-0 

外部リンク

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