ブランコ・オブラク
スロベニアのサッカー選手
ブランコ・オブラク(Branko Oblak、1947年5月27日 - )は、スロベニア (旧ユーゴスラビア)・リュブリャナ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。元ユーゴスラビア代表。
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1967年のオブラク | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Branko Oblak | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スロベニア | |||||
生年月日 | 1947年5月27日(77歳) | |||||
出身地 | リュブリャナ | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (OH) | |||||
ユース | ||||||
-1965 | スヴォボダ・リュブリャナ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1965-1973 | オリンピア・リュブリャナ | 181 | (34) | |||
1973-1975 | ハイドゥク・スプリト | 35 | (9) | |||
1975-1977 | シャルケ | 49 | (5) | |||
1977-1980 | バイエルン・ミュンヘン | 71 | (5) | |||
1983-1985 | シュピッタル | |||||
通算 | 336 | (53) | ||||
代表歴 | ||||||
1970-1977 | ユーゴスラビア | 46 | (6) | |||
監督歴 | ||||||
1992-1994 | ナクロ | |||||
1994 | チュルヌチェ | |||||
1994-1995 | オリンピア・リュブリャナ | |||||
1998-2000 | ルダル・ヴェレニエ | |||||
2000-2002 | コペル | |||||
2002-2003 | オリンピア・リュブリャナ | |||||
2004 | スロベニア U-21 | |||||
2004-2006 | スロベニア | |||||
2007 | ルダル・ヴェレニエ | |||||
2009-2010 | オリンピア・リュブリャナ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集1965年にNKオリンピア・リュブリャナでプロデビュー。オリンピア・リュブリャナでの8年間とHNKハイドゥク・スプリトでの2年間で評価を高め、1975年からは渡独し、FCシャルケ04とFCバイエルン・ミュンヘンに在籍。1979-80シーズンにはバイエルン・ミュンヘンでブンデスリーガ優勝に貢献した。
1970年からは、数少ないスロベニア圏出身選手としてユーゴスラビア代表でプレーし、1974年に出場した1974 FIFAワールドカップでは大会ベストイレブンに輝いた。UEFA欧州選手権1976では、ベスト4のドイツ代表戦と3位決定戦のオランダ代表戦に出場してユーゴスラビア代表の大会4位を経験した。
現役を引退した1992年から指導者として活動し始め、主にスロベニアのクラブを率いた[1]。2004年から2年間はスロベニア代表の指揮を執った。
人物
編集2009-10シーズン、監督として指導にあたっていたNKオリンピア・リュブリャナにて、当時16歳だった同性(血縁関係はない)のヤン・オブラクをトップチームデビューさせた[2]。
脚注
編集- ^ “Nogometni klub Olimpija Ljubljana”. nkolimpija.com (28 August 2011). 2022年9月14日閲覧。
- ^ “16歳デビューは偶然だった? アトレティコに君臨する”世界最高級GK”誕生の秘話とは”. theWorld (2018年8月19日). 2022年9月14日閲覧。
外部リンク
編集- ブランコ・オブラク - National-Football-Teams.com
- ブランコ・オブラク - FootballDatabase.eu
- ブランコ・オブラク - WorldFootball.net
- ブランコ・オブラク - Transfermarkt.comによる選手データ
- ブランコ・オブラク - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ブランコ・オブラク - FIFA主催大会成績
- ブランコ・オブラク - UEFA
- ブランコ・オブラク - Fussballdaten.de