パチ・ロペス
フランシスコ・ハビエル・ロペス・アルバレス(バスク語: Francisco Javier López Álvarez、1959年10月4日 - )は、スペインの政治家。パチ・ロペス(Patxi López 発音: [ˈpatʃi ˈlopeθ])の名でも知られている、スペイン社会労働党(PSOE)のバスク支部であるバスク社会党(PSE-EE)に所属しており、2002年から2014年まで書記長(党首)を務めた。2009年から2012年までバスク州政府首相を務め、2016年からスペイン下院議長を務めている。バスクの独立に対して反対の立場を取っている。
パチ・ロペス Patxi López | |
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2010年5月 | |
生年月日 | 1959年10月4日(65歳) |
出生地 | スペイン、ビスカヤ県ポルトゥガレテ |
出身校 | バスク大学工学部 |
所属政党 | バスク社会党 |
親族 | エドゥアルド・ロペス・アルビス(左翼反フランコ活動家 : 父) |
スペイン下院 議員 | |
在任期間 | 1987年11月17日 - 1989年9月2日 |
バスク社会党 書記長 | |
在任期間 | 2002年3月23日 - 2014年9月20日 |
在任期間 | 2009年5月7日 - 2012年12月15日 |
スペイン下院 議長 | |
在任期間 | 2016年1月13日 - 2016年7月19日 |
経歴
編集青年期と初期の政治経歴
編集父親のエドゥアルド・ロペス・アルビスは左翼反フランシスコ・フランコの活動家であり、幼少のパチも大きく影響を受けた。バスク大学では産業工学を専攻した。1975年に青年バスク社会主義者運動に参加し、1977年にはバスク社会党(PSE-EE)に加入。1985年から1988年には青年バスク社会主義者運動の事務総長を務めた。1986年にはビスカヤ県選出のスペイン下院議員となり、1991年にはバスク州議会議員となった。バスク社会党での地位も着実に上昇していき、1997年には事務総長に選出され、2002年には書記長(党首)に就任した。
バスク州首相
編集2005年にはバスク社会党からバスク州政府首相(レンダカリ)の候補となったが、バスク民族主義党(PNV)のフアン・ホセ・イバレチェに敗れた。2009年3月のバスク自治州議会議員選挙で、バスク民族主義党は最多の30議席を獲得したが、単独過半数(38議席)には届かなかった。バスク社会党は25議席で第2党となり、国民党(PP)が13議席で第3党となった。このため、野党のバスク社会党と国民党が手を組んでパチ・ロペスを首相に指名し、1979年から続くバスク自治州の30年の歴史で、初めてバスク民族主義党以外から選出された首相となった[1]。また、極左テロ組織バスク祖国と自由(ETA)との戦いを宣言したため、在任中はETAの「優先的な標的」であり、就任直前の4月18日には爆殺未遂事件が起こった。5月7日にはゲルニカの「ゲルニカの木」の前で就任式が行われたが、バスク民族主義党出身の歴代レンダカリのように「神」という言葉を用いず、また「バスク国民」ではなく「バスク市民」という言葉を用いた。
スペイン下院議長
編集2016年には社会労働党を代表してスペイン下院議長に立候補し、350票中130票(社会労働党とシウダダノス)を集めて下院議長に選出された[2]。
人物
編集同じく社会主義者のベゴニャ・ヒルと結婚している。熱心な音楽愛好者であり、8,000枚のレコードを所有している[3]。青年時代にはブルース・スプリングスティーンなどのロックバンドを支持した。また、写真、スポーツ、新技術などにも興味を持つ。
脚注
編集外部リンク
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