ハワード・ウィルキンソン・アウターブリッジ
ハワード・ウィルキンソン・アウターブリッジ(Howard Wilkinson Outerbridge、1886年6月29日 - 1976年3月26日[1])は、カナダ・メソヂスト教会の宣教師。関西学院大学学長(1947年-1951年)、同学院院長(第7代, 1954年から1956年6月まで)を歴任した。
人物・生涯
編集1886年6月29日に、カナダ・ノバスコシア州で生まれる。1907年に、 マウント・アリソン大学を卒業し、B.A.を取得。1909年にM.A.を取得。引き続き神学を専攻し、1910年にB.D. を取得する。
カナダ・メソヂスト教会が関西学院の経営に参画するのを機に、1910年に来日。東京で2年間、日本語を修業した後、1912年に関西学院に赴任する。ギリシア語、神学などを教える。1916年から1917年にかけて、コロンビア大学とユニオン神学校で学ぶ。1924年に、ユニオン神学校で再び学び、1925年5月にモントリオールの合同神学校から博士号を取得する。1936年6月、関西学院大学教員として文部大臣の認可を受ける。1939年3月、関西学院大学文学部兼専門部文学部長に就任する。しかし、第二次世界大戦による情勢悪化に伴い、間もなく辞任し、カナダに帰国することになる。1941年3月31日横浜港から帰国し、1947年3月31日に再び来日する。その間の6年間は、カナダで牧会を従事した。
1947年4月に再び関西学院に戻り、当時神崎驥一が兼職していた大学長の職に、就任する。その後、神学部学部長、同学院院長(1954年から1956年6月まで)の職についた。
脚注
編集- ^ アウターブリッヂ,H.W. | 学校法人関西学院
参考文献
編集- 今田恵「アウターブリッジ先生年譜」『神學研究』第7号、1958年、21-26頁。
- 神田健次「関西学院におけるH・W・アウターブリッヂ宣教師」『関西学院史紀要』第28号、7-35頁、2022年 。
学職 | ||
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先代 今田恵 1950年2月3日-1954年3月31日 |
関西学院院長 1954年4月1日-1956年6月22日 |
次代 加藤秀次郎 1956年6月22日-1958年3月31日 |
先代 古武弥四郎 (学長事務取扱) 1946年- 1947年 |
関西学院大学学長 1947年-1951年 |
次代 大石兵太郎 1951年- 1955年 |