タルチシオ・ブルニチ
イタリアのサッカー選手
タルチシオ・ブルニチ(Tarcisio Burgnich、1939年4月25日 - 2021年5月26日[3])は、イタリア、ルーダ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF(スイーパー、右サイドバック)。
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Tarcisio Burgnich | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1939年4月25日 | |||||
出身地 | ルーダ | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 72kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
ウディネーゼ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1958-1960 | ウディネーゼ | 8 | (0) | |||
1960-1961 | ユヴェントス | 13 | (0) | |||
1961-1962 | パレルモ | 31 | (1) | |||
1962-1974 | インテル | 358 | (5) | |||
1974-1977 | ナポリ | 84 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1963–1974[2] | イタリア | 66 | (2) | |||
監督歴 | ||||||
1978-1980 | リヴォルノ | |||||
1980-1981 | カタンザーロ | |||||
1981-1982 | ボローニャ | |||||
1982-1984 | コモ | |||||
1984-1986 | ジェノア | |||||
1986-1987 | ヴィチェンツァ | |||||
1987-1988 | コモ | |||||
1988-1989 | カタンザーロ | |||||
1989-1991 | クレモネーゼ | |||||
1991-1992 | サレルニターナ | |||||
1995-1997 | フォッジャ | |||||
1997-1998 | ジェノア | |||||
1998-1999 | ルッケーゼ | |||||
1999-2000 | テルナーナ | |||||
2000-2001 | ペスカーラ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集SSCナポリのユース出身。1958年にウディネーゼでデビューし、ユヴェントス、パレルモを経て1962年にインテルへ加入。エレニオ・エレーラに率いられグランデ・インテルと呼ばれたインテルの一員として多くのタイトルに恵まれた。インテルでは12年所属し、467試合に出場した。1974年にナポリへ移籍し、1977年に引退した。
イタリア代表としても10年以上に亘って活躍、1968年にはUEFA欧州選手権優勝に貢献した。FIFAワールドカップにも3度出場し、1970年大会ではブラジル代表に敗れるも準優勝となった。決勝で対戦したペレは、「試合前、"彼も他の人と同じく皮と骨でできている"と自分に言い聞かせたが、それは間違いだった(I told myself before the game, he's made of skin and bones just like everyone else. But I was wrong.)」と語った[4]。
引退後、1978年にASリヴォルノ・カルチョの監督に就任。その後も多くのチームを率いた。
獲得タイトル
編集- スクデット 1960-61, 1962-63, 1964-65, 1965-66, 1970-71
- UEFAチャンピオンズカップ 1963-64, 1964-65
- インターコンチネンタルカップ 1964, 1965
- UEFA欧州選手権 1968
注釈
編集- ^ Tarcisio Burgnich Profile Archived 2009年8月21日, at the Wayback Machine.
- ^ “Tarcisio Burgnich - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “E' morto Tarcisio Burgnich, con l'Inter salì in cima al mondo” (イタリア語). ANSA. (2021年5月26日) 2021年5月27日閲覧。
- ^ Pele, King of Futbol