タブアエラン島
タブアエラン島 (Tabuaeran)、またはファニング島 (Fanning Island)、ファニング環礁 (Fanning Atoll) は、中部太平洋にあるライン諸島の島のひとつで、キリバス領である。位置は北緯3度51分36秒、西経159度21分52秒である。標高は3メートル。タバアラン島とも表記される。
現地名: Tabuaeran | |
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宇宙から見たタブアエラン島 | |
地理 | |
場所 | 中部太平洋 |
座標 | 北緯3度52分 西経159度22分 / 北緯3.867度 西経159.367度 |
諸島 | ライン諸島 |
面積 | 33.73 km2 (13.02 sq mi) |
最高標高 | 3 m (10 ft) |
行政 | |
地域 | ライン諸島 |
人口統計 | |
人口 | 2539人(2005年時点) |
人口密度 | 75.27 /km2 (194.95 /sq mi) |
追加情報 | |
時間帯 |
ハワイ諸島からおよそ900マイルの距離に位置するタブアエラン島は、最初にハワイに住み着いたポリネシア人の中継地点であったと思われる。クック諸島かトンガからやってきたと思われる人々が住んでいたことを示す遺物が発見されている。
歴史
編集タブアエラン島は1798年6月11日にアメリカ船ベッツィー (Betsy) のアメリカ人船長エドモンド・ファニング (Edmund Fanning) によって発見され、彼にちなみ命名された。発見当時島は無人であった。ファニングによる発見後は複数の国の捕鯨漁師が訪れた。
1855年から、マニヒキ環礁からやってきたヘンリー・イングリッシュ (Henry English) と150人の労働者によって、輸出用のココヤシ油の生産が開始された。1855年10月16日にイギリス海軍のコルベット「ダイドー (HMS Dido)」でモーズヘッド (W.H. Morshead) が訪れ、島はイギリスの保護下に置かれた。
1888年3月15日にイギリス海軍のスループ「キャロライン (HMS Caroline)」 のウィリアム・ワイズマン (William Wiseman) 艦長によって正式にイギリス領とされた。環礁の東側にはイングリッシュ・チャネル (English Channel) と呼ばれる深い水路が作られた。タブアエラン島はカナダとオーストラリアを結ぶ太平洋横断ケーブルの中継地となった。そこは、第一次世界大戦中の1914年9月にドイツ帝国海軍の防護巡洋艦「ニュルンベルク」に艦砲射撃された。
1939年にタブアエラン島はイギリスの植民地ギルバート諸島・エリス諸島の一部となり、1979年には独立してキリバスの一部となった。