スタン・ミュージアル

アメリカ合衆国の野球選手 (1920-2013)

スタンリー・フランク・ミュージアルStanley Frank Musial, 1920年11月21日 - 2013年1月19日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ワシントン郡出身のプロ野球選手外野手一塁手)。愛称は「The Man男の中の男)」。

スタン・ミュージアル
Stan Musial
1953年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州ワシントン郡
生年月日 (1920-11-21) 1920年11月21日
没年月日 (2013-01-19) 2013年1月19日(92歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1938年 (ドラフト制度なし)
初出場 1941年9月17日
最終出場 1963年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1969年
得票率 93.2%
選出方法 全米野球担当記者協会選出

現役生活の全てをセントルイス・カージナルスで送り、人格者として知られた。

経歴

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プロ入り前

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ポーランド系移民の父とチェコ系移民の母の間にスタニスワフ・フランツィシェク・ムーシャウ(Stanisław Franciszek Musiał)として生まれる。高校時代から抜群の運動能力を発揮し、野球のみならず、バスケットボールでも大学から奨学生の誘いが来るほどだった。

現役時代

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1938年にカージナルスと契約。投手としてマイナーで実績を積み重ねていくが打撃でも非凡な才能を発揮し、登板日以外は外野手としても活躍していた。

1940年に試合で外野守備の際にダイビングキャッチを試み、左肩をグラウンドに強打したことで投手を諦め、打撃に専念することになる[1]

1941年9月17日のブレーブス戦でメジャーデビュー。ダブルヘッダーとなったデビュー戦で6安打を放ち、ブレーブスのケーシー・ステンゲル監督をして「あの小僧、5年やそこらで消えるタマじゃないぞ。10年、15年、いやもしかしたら20年近くもつかもしれん」と言わしめた[1]。ミュージアルはその後ステンゲルの予測を上回る22年間メジャーでプレイした。

1942年はフルシーズン1年目で打率3割を達成しオールスターにも初出場。チームもワールドシリーズヤンキースを破り、世界一に輝いた。これ以降カージナルスは5年間で3度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。

1943年は初の首位打者、リーグ最多得点に加え、最多安打最多二塁打最多三塁打の塁打三冠も獲得しMVPを受賞する。

1945年は兵役で試合への出場はなかった。

1946年は3年前と同様に首位打者、最多得点、塁打三冠獲得でMVPを受賞。

1948年にはタイ・カッブ以来史上2人目の1シーズン4回の5打数5安打を記録。特に4度目となった9月22日は両手首の故障により満足にバットが振れない中で、5スイング5安打を記録した[2]。首位打者、打点王を獲得し、本塁打は自己最多の39本で1位と1本差の2位。降雨ノーゲームとなった試合での本塁打1本が記録されていればナ・リーグ史上5人目の三冠王になるところだったが、3度目のMVPを受賞した。

1950年から3年連続で首位打者を獲得。

1954年5月2日にはダブルヘッダー第1試合で3本塁打、第2試合で2本塁打[3]、史上初の一日5本塁打を記録した[4]

1955年7月12日ミルウォーキー開催の第22回オールスターゲームのスコア5-5の延長12回裏、先頭打者として打席に向かうとき、自軍のベンチに向かって「残業手当なんかいらないだろう。これでこの試合は終わりにするからな」と宣言し、フランク・サリバンの初球を叩いて右翼席へサヨナラソロ本塁打を放つ[5]

1957年37歳で7度目の首位打者を獲得した。MVPの投票では二冠王ハンク・アーロンの239ポイントに9ポイント及ばなかった[6]

1958年5月13日には史上8人目となる3000本安打を達成[7]。シーズン終了後にカージナルスが日米野球で来日した際は、稲尾和久杉浦忠から本塁打を放っている。また、試合前に長嶋茂雄山内一弘中西太と写った写真も現存している。

1959年に初めて打率が3割を割り込み、3割以上は16年で途切れる。

1962年は42歳でリーグ3位の打率.330を記録した。

1963年8月12日に今シーズン限りでの引退を表明し、9月25日にミュージアルの背番号6』はカージナルス初の永久欠番に指定され[8]、9月29日の試合で引退[7]。引退時に29のリーグ記録、17のMLB記録、9のオールスター記録を保持していた[4]

引退後

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ミュージアルの背番号「6」。
セントルイス・カージナルスの永久欠番1963年指定。

引退後はカージナルス球団副社長も務め、1967年のワールドシリーズ制覇時はGMとして貢献した。

1969年野球殿堂入り。

2006年にはDHLホームタウン・ヒーローズに選出されている。

2013年1月19日、セントルイスの自宅で死去[9]。92歳没。ちなみに、同じくMLB殿堂入り(1996年)を果たしたアール・ウィーバーや大横綱の大鵬幸喜も同じ日に没している。

選手としての特徴

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通算3630安打は2022年時点で歴代4位[10]。内訳はホーム1815安打、ビジター1815安打である。 二塁打が非常に多く、1942年から戦争を挟んで1958年まで実に16シーズン連続で30本以上の二塁打を記録した。通算725二塁打は2022年時点で歴代3位。 キャリアを通して長打を量産したため、通算6134塁打は2022年時点で歴代3位。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1941 STL 12 49 47 8 20 4 0 1 27 7 1 -- 0 -- 2 -- 0 1 0 .426 .449 .574 1.023
1942 140 536 467 87 147 32 10 10 229 72 6 -- 5 -- 62 -- 2 25 3 .315 .397 .490 .888
1943 157 701 617 108 220 48 20 13 347 81 9 -- 10 -- 72 -- 2 18 17 .357 .425 .562 .988
1944 146 667 568 112 197 51 14 12 312 94 7 -- 4 -- 90 -- 5 28 7 .347 .440 .549 .990
1946 156 702 624 124 228 50 20 16 366 103 7 -- 2 -- 73 -- 3 31 7 .365 .434 .587 1.021
1947 149 677 587 113 183 30 13 19 296 95 4 -- 6 -- 80 -- 4 24 18 .312 .398 .504 .902
1948 155 694 611 135 230 46 18 39 429 131 7 -- 1 -- 79 -- 3 34 18 .376 .450 .702 1.152
1949 157 721 612 128 207 41 13 36 382 123 3 -- 0 -- 107 -- 2 38 12 .338 .438 .624 1.062
1950 146 645 555 105 192 41 7 28 331 109 5 -- 0 -- 87 -- 3 36 11 .346 .437 .596 1.034
1951 152 678 578 124 205 30 12 32 355 108 4 5 1 -- 98 -- 1 40 6 .355 .449 .614 1.063
1952 154 676 578 105 194 42 6 21 311 91 7 7 0 -- 96 -- 2 29 11 .336 .432 .538 .970
1953 157 698 593 127 200 53 9 30 361 113 3 4 0 -- 105 -- 0 32 10 .337 .437 .609 1.046
1954 153 705 591 120 195 41 9 35 359 126 1 7 0 7 103 -- 4 39 20 .330 .428 .607 1.036
1955 154 656 562 97 179 30 5 33 318 108 5 4 2 4 80 19 8 39 12 .319 .408 .566 .974
1956 156 682 863 87 184 33 6 27 310 109 2 0 3 7 75 15 3 39 19 .310 .386 .522 .908
1957 134 579 502 82 176 38 3 29 307 102 1 1 1 8 66 19 2 34 13 .351 .422 .612 1.034
1958 135 549 472 64 159 35 2 17 249 62 0 0 0 4 72 26 1 26 19 .337 .423 .528 .950
1959 115 404 341 37 87 13 2 14 146 44 0 2 0 3 60 11 0 25 12 .255 .364 .428 .792
1960 116 378 331 49 91 17 1 17 161 63 1 1 0 4 41 7 2 34 5 .275 .354 .486 .841
1961 123 431 372 46 107 22 4 15 182 70 0 0 0 6 52 17 1 35 7 .288 .371 .489 .860
1962 135 505 433 57 143 18 1 19 220 82 3 0 0 5 64 4 3 46 13 .330 .416 .508 .924
1963 124 379 337 34 86 10 2 12 136 58 2 0 0 5 35 9 2 43 3 .255 .325 .404 .728
MLB:22年 3026 12712 10972 1949 3630 725 177 475 6134 1951 78 31 35 53 1599 127 53 696 243 .331 .417 .559 .976
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別投手成績

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W
H
I
P
1952 STL 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0.0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
MLB 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0.0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

年度別守備成績

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一塁(1B) 左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)
















































1941 STL - 3 0 0 0 0 - 8 12 1 0 0 1.000
1942 - 133 225 6 5 0 .979 2 4 0 0 0 1.000 2 1 0 0 0 1.000
1943 - 28 71 1 4 0 .947 10 11 2 0 1 1.000 122 235 15 3 4 .988
1944 - - 39 88 2 1 0 .989 124 243 13 4 3 .985
1946 114 1056 65 13 119 .989 42 99 4 2 0 .981 - -
1947 149 1360 77 8 138 .994 - - -
1948 2 7 1 0 0 1.000 42 96 1 3 1 .970 65 128 1 2 0 .985 81 90 8 2 2 .980
1949 1 11 1 0 0 1.000 5 4 0 0 0 1.000 76 160 3 2 2 .988 123 144 7 1 3 .993
1950 69 628 37 3 66 .996 57 98 2 2 1 .980 13 21 0 1 0 .955 11 15 0 2 0 .882
1951 60 600 32 4 60 .994 83 183 12 5 4 .975 11 28 0 1 0 .966 1 1 0 0 0 1.000
1952 25 204 12 1 13 .995 22 36 0 0 0 1.000 106 248 5 3 2 .988 9 10 1 1 0 .917
1953 - 139 240 6 5 0 .980 9 2 0 0 0 1.000 29 37 2 0 1 1.000
1954 10 36 2 2 4 .950 10 17 0 1 0 .944 - 146 251 13 3 4 .989
1955 110 925 92 8 93 .992 5 6 0 0 0 1.000 - 48 71 2 1 0 .986
1956 103 870 90 7 96 .993 3 5 0 0 0 1.000 - 51 78 4 1 0 .988
1957 130 1167 99 10 131 .992 - - -
1958 124 1019 100 13 127 .989 - - -
1959 90 623 63 7 72 .990 3 1 0 0 0 1.000 - -
1960 29 203 17 2 16 .991 58 97 1 1 0 .990 - 6 1 1 0 0 1.000
1961 - 102 150 9 1 0 .994 - -
1962 - 98 125 5 2 1 .985 - 22 36 1 2 0 .949
1963 - 96 118 1 4 0 .967 - -
MLB 1016 8709 688 78 935 .992 929 1571 48 35 7 .979 331 690 13 10 5 .986 783 1225 68 20 17 .985


投手(P)












1952 STL 1 0 0 0 0
MLB 1 0 0 0 0

タイトル

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  • 首位打者:7回(1943年、1946年、1948年、1950年 - 1952年、1957年)
  • 打点王:2回(1948年、1956年)

表彰

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記録

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諸記録

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  • 通算安打数:3630(歴代4位)
  • 通算試合:3026(歴代6位)
  • 通算打席:12718(歴代8位)
  • 通算打数:10972(歴代10位)
  • 通算得点:1949(歴代10位)
  • 通算塁打数:6134(歴代2位)
  • 通算二塁打:725(歴代3位)
  • 通算打点:1951(歴代7位)

カージナルス球団記録

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  • 歴代1位(通算試合、通算打席、通算打数、通算得点、通算安打、通算塁打数、通算二塁打、通算三塁打、通算本塁打、通算打点、通算四球、通算単打)
  • 歴代2位(シーズン塁打数)

背番号

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  • 6(1941年 - 1944年、1946年 - 1963年)

出典

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  1. ^ a b 芝山幹郎「誇り高き歴史を築いた男たち スタン・ミュージアル」『月刊メジャー・リーグ』1998年1月号、ベースボールマガジン社、1998年、雑誌 08625-1、58 - 59頁。
  2. ^ 藤澤文洋『メジャーリーグ・スーパースター名鑑』研究社、2003年、192頁頁。ISBN 4-327-37689-2 
  3. ^ Stan Musial 1954 Batting Gamelogs” (英語). Baseball-Reference.com. 2009年9月17日閲覧。
  4. ^ a b The Ballplayers - Stan Musial” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年10月29日閲覧。
  5. ^ ハンク・アーロン「ハンク・アーロン自伝 I had a hammer.」講談社、1993年、120頁。ISBN 4-06-206365-4
  6. ^ Baseball Awards Voting for 1957” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年10月29日閲覧。
  7. ^ a b Stan Musial from the Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年10月29日閲覧。
  8. ^ なお、現役の大部分を背番号導入前の時代で活躍したロジャース・ホーンスビーも引退直後の1937年に当時のチームロゴ「SL」で顕彰し、ミュージアル引退の同1963年1月に死去したため同年、ミュージアルとほぼ同時の永久欠番扱いとなっている。
  9. ^ STAN 'THE MAN' MUSIAL DIES AT 92 : Stltoday stltoday.com 2013年1月20日閲覧
  10. ^ “追悼2013 写真特集”. 時事ドットコム. https://www.jiji.com/jc/d4?p=tit124-jlp13909650&d=d4_psn 2020年2月21日閲覧。 
  11. ^ All-Star Game Records : Miscellaneous Records” (英語). Baseball Almanac.com. 2008年10月29日閲覧。

伝記

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関連項目

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外部リンク

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