ジャレコ

かつて存在した日本のゲーム開発会社

株式会社ジャレコ(JALECO LTD.)は、かつて存在した日本のゲーム開発会社。

(旧)株式会社ジャレコ
JALECO LTD.

2代目ジャレコ設立当初のロゴ
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
141-0031
東京都品川区西五反田1丁目21番8号
KSS五反田ビル 6階
設立 2006年7月3日
業種 その他製品
事業内容 家庭用テレビゲームソフト、携帯アプリ用ゲーム、オンラインゲームの企画、開発、販売他
資本金 5000万円
主要株主 株式会社ゲームヤロウ
関係する人物 金沢義秋(創業者、元・代表取締役社長)
羽田寛(ジャレコHD元社長)
特記事項:※旧株式会社ジャレコ(現:EMCOMホールディングス)の持株会社化に伴う新旧分割という形での設立日。創業は旧ジャレコ設立の1974年10月3日。
テンプレートを表示

概要

編集

旧:ジャレコ

編集

1974年10月3日株式会社ジャパンレジャーとして東京都渋谷区で創業。創業者は金沢義秋1945年11月12日 - )。1983年4月1日に株式会社ジャレコに社名変更[1]

ハドソンナムコタイトーコナミカプコンとともにファミリーコンピュータの初期サードパーティー6社の一角で、任天堂はこれら6社を優遇していた。

1988年3月にコーポレートアイデンティティを導入した。国際科学技術博覧会でシンボルマークをデザインした田中一光によるもので、三本の波線が入ったロゴとなっている。この波線は「エンタテインメント」「テクノロジー」「クリエイティビティ」を表している[2]。なお、2004年に社名を「PCCW Japan」からジャレコに戻してからはロゴが度々変更されたが、シティコネクションが権利を取得してからのジャレコ関連製品は波線ロゴを使用している。

かつてはアーケードゲームの開発販売やアミューズメント施設ギャレッソ」「you&you」の運営、一般家庭向けのビアサーバーJAQNOブランドでのアクアリウム用品も製造販売しており、最盛期には世田谷区新町(国道246号線沿い)に直営店「MIZUKUSA倶楽部」を構えていた。これらはいずれも現在は撤退、業務移管済みである。

2000年8月10日に香港のパシフィック・センチュリー・サイバーワークス(PCCW, 電訊盈科)がジャレコを買収したことを発表し[3]2000年11月1日に社名を「パシフィック・センチュリー・サイバーワークス・ジャパン株式会社」(略称:PCCW Japan)に変更した[4]

2004年1月26日にゲーム事業を中核事業に据えていることを明確にする目的で、「株式会社ジャレコ」に社名を戻した[5][6]2005年には、主要株主が香港のPCCWからSandringham Fund SPC Limited(サンドリンガム)に変更。

ジャレコ(2代目)

編集

2006年7月3日付けで、従来の株式会社ジャレコ(初代、旧ジャレコ)がゲーム事業について会社分割簡易分割)を行い、「2代目」株式会社ジャレコ(代表取締役社長 本杉進也)を新設。旧ジャレコは株式会社ジャレコ・ホールディングに社名変更して、持株会社制へ移行。なお、ジャレコ・ホールディングは、引き続きJASDAQに上場(銘柄コード:7954)した。また、ジャレコ・ホールディングの経営陣は、旧武富士、旧ライブドア関係者が多数集結しており[7]、不動産業、金融業(証券、FX取引)といった投資関係の業務がメインだった。

2009年1月15日、早期経営改善が見込めないことからジャレコの全株式が1円でジャレコ・ホールディングから提携先のゲームヤロウ株式会社に売却され、ゲームヤロウの完全子会社となった[8]。この際、ジャレコ・ホールディングは、ジャレコに対する貸付金16億9500万円のうち9億9500万円を放棄している。つまり、ゲームヤロウはジャレコの7億円の負債を引き継ぐ代わりに名目上1円で全株式を購入したという事である。なお、ジャレコ・ホールディングはその後の2009年4月、EMCOMホールディングスに社名変更している。

2013年には事実上の事業停止状態となる。公式ウェブサイトも閉鎖。

2014年5月21日、親会社であるゲームヤロウが、東京地方裁判所において破産手続き開始。負債総額は約22億4000万円と報道されている[9][10]。これに伴いジャレコは名実共に消滅した。

現在の動向

編集

2013年夏ごろ、株式会社シティコネクションがジャレコ製タイトルの知的財産権(ライセンス)を継承[11]。その後、シティコネクション社が他社にライセンスを貸与する形で、ジャレコIPタイトルの家庭用ゲーム機・スマートフォンのアプリケーションなどへの移植が行われている。

沿革

編集

旧:ジャレコ

編集

ジャレコ(2代目)

編集

業務用(アーケード)ゲーム作品

編集

家庭用(コンシューマ)ゲーム作品

編集

オンラインゲーム作品

編集

モバイルゲーム作品

編集

脚注

編集
  1. ^ a b ジャパンレジャー、4月からジャレコに社名変更」『ゲームマシン』第209号(アミューズメント通信社)1983年4月1日、7面。オリジナルの2019年12月1日時点におけるアーカイブ。
  2. ^ ジャレコ、新本社ビル竣工で 新たにCI導入 3月15日から新ビルで営業開始」『ゲームマシン』第327号(アミューズメント通信社)1988年3月1日、3面。オリジナルの2019年12月1日時点におけるアーカイブ。
  3. ^ a b 別井貴志 (2000年8月10日). "ジャレコがゲームからコンテンツ・サービス企業に変身~PCCW傘下入り". FINANCE Watch. インプレス. 2000年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月15日閲覧
  4. ^ a b "PCCWがPCCWジャパンの持ち株比率を83%に拡大". ITmediaニュース. アイティメディア株式会社. 2000年11月8日. 2024年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月15日閲覧
  5. ^ a b "ジャレコが復活!パシフィック・センチュリー・サイバーワークスが商号を変更". 電撃オンライン. 2003年12月19日. 2006年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月15日閲覧
  6. ^ a b 臨時株主総会開催(新任取締役の選出、商号変更)に関するお知らせ』(プレスリリース)パシフィック・センチュリー・サイバーワークス・ ジャパン株式会社、2003年12月18日。オリジナルの2004年7月19日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20040719194655/https://www.pccw.co.jp/corporate/investor/news/20031218.pdf 
  7. ^ 不振ジャレコに集結、ライブドア人脈の謎(東洋経済オンライン2008年4月17日)
  8. ^ 連結子会社の移動(譲渡)および特別損失の発生に関するお知らせ 株式会社ジャレコ・ホールディング・平成21年1月15日プレスリリース
  9. ^ “ゲームヤロウが東京地裁より破産手続きの開始決定を受ける”. 4Gamer.net. (2014年5月28日). https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20140528115/ 2014年5月28日閲覧。 
  10. ^ “ゲームヤロウ、破産手続きを開始”. Impress GAME Watch. (2014年5月28日). https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/650753.html 2014年5月28日閲覧。 
  11. ^ “【インタビュー】まさに衝撃!PS4版『燃えプロ』最大の疑問「なぜ作ることになったのか」を開発陣に訊いた”. 総合ゲーム情報メディア:インサイド(株式会社イード). (2015年8月25日). https://www.inside-games.jp/article/2015/08/25/90561.html 2014年8月27日閲覧。 

関連項目

編集
  • ヘクト - 1988年、当時のジャレコでプロデューサーを務めた関雅行が独立し、設立したコンピュータゲーム開発会社。
  • シティコネクション - 現在、クラリスゲームス名義でジャレコの知的財産権を管理所有している。
  • ハムスター - 現在、バーチャルコンソール、ゲームアーカイブスでジャレコタイトルの販売権を取得している。

外部リンク

編集