ジャガン
ポーランドの都市
ジャガン(ポーランド語: Żagań [ˈʐaɡaɲ] ( 音声ファイル)、ドイツ語: Sagan、チェコ語: Záhaň、ラテン語: Saganum は、ポーランド・ルブシュ県の最南部に位置する都市で、ジャガン郡(Żagań County)の主要都市である。2004年6月30日の時点では、人口 26,665人の都市である。
ジャガン | |||
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座標:北緯51度37分 東経15度19分 / 北緯51.617度 東経15.317度座標: 北緯51度37分 東経15度19分 / 北緯51.617度 東経15.317度 | |||
国 | ポーランド | ||
県 | ルブシュ県 | ||
郡 | ジャガン郡 | ||
グミナ | Żagań (urban gmina) | ||
Established | 12世紀 | ||
Town rights | 1280 | ||
政府 | |||
• 市長 | Sławomir Kowal | ||
面積 | |||
• 合計 | 39.92 km2 | ||
人口 (2019年6月30日[1]) | |||
• 合計 | 25,731人 | ||
• 密度 | 640人/km2 | ||
等時帯 | UTC 1 (CET) | ||
• 夏時間 | UTC 2 (CEST) | ||
郵便番号 |
68-100 to 68-103 | ||
市外局番 | 48 68 | ||
ナンバープレート | FZG | ||
ウェブサイト |
urzadmiasta |
ジャガンはブプル川とチェルナ川の沿岸に位置し、南部には森林が広がる。1975年から1998年までは、ジェロナ・グラ県に属していた。
歴史
編集言い伝えによると、ジャガンは700年頃、クラク(ポーランドの伝説上の君主で、クラクフの建設者とされる)の孫娘のジャガンナという公女により建設されたとされる。一方記録によれば、12世紀後半にブプル川の船渡し場の近くに要塞として、ボレスワフ4世により建設されたとされている。
歴史に初めてジャガンの名が現れたのは、1202年にある公爵から修道院に送られた文書内で、そこには「ジャガン城主のステファン、ノヴォグルト城主のヴィトスワフ(comes Stephanus castelanus de Sagan, Vizalus de Novocastro)」と書かれている。1227年にヴロツワフ司教のヴァヴジニェツとヘンリク1世の間で結ばれた十分の一税に関する協約の中にも、ジャガンについての記述が見られる。
経済
編集林業、金属、織物業など。
ジャガンと縁のある有名人
編集- フランツ・リスト – (ピアニスト、作曲家)ジャガンに数回来訪。
- アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン – (軍人)
- ヨハネス・ケプラー – (天文物理学者)
- スタンダール – (小説家)
- オノレ・ド・バルザック – (小説家)
- ヴォルフガング・パーレン – (画家)
その他
編集- 第二次世界大戦開始前、ポーランドの諜報機関はジャガンの鉄道にスパイ運転士を送り込み、ドイツ軍の移動に関する情報を集めさせていた。
- 第二次世界大戦中、映画『大脱走』のモデルとなった「第三空軍捕虜収容所」があった。
- 第二次世界大戦終結直後までの町の名前は「ジェガン(Żegań)」であり、現在の「ジャガン」となったのは1940年代後半になってからのことであった。ジャガン市内のいくつかの通りには、現在でも「ジェガン」の名が残っている。
姉妹都市
編集脚注
編集- ^ “Population. Size and structure and vital statistics in Poland by territorial division in 2019. As of 30th June”. stat.gov.pl. Statistics Poland (2019年10月15日). 2020年4月3日閲覧。
外部リンク
編集- 公式サイト
- Palace in Żagań
- Jewish Community in Żagań on Virtual Shtetl
- Heimatkreisgemeinschaft Sagan Sprottau e.V. Organization of refugees
- Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 23 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 1001–1002.