ショーン・ブラッドリー

ドイツのバスケットボール選手 (1972 - )

ショーン・ポール・ブラッドリーShawn Paul Bradley, 1972年3月22日 - )は、西ドイツ(現ドイツランドシュトゥール出身の元プロバスケットボール選手。選手時代にはダラス・マーベリックスセンターとして活躍。父親がアメリカ軍に従軍していた関係で西ドイツで生まれ、アメリカ合衆国ユタ州キャッスルデールで育ったため、ドイツとアメリカの二重国籍を取得している(国際試合はドイツ代表として出場)。また、彼の身長は7 ft 6 in(229cm)であり、NBA史上最も背の高い選手の1人である。

ショーン・ブラッドリー
Shawn Bradley
2008年のブラッドリー
引退
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1972-03-22) 1972年3月22日(52歳)
出身地 西ドイツの旗 西ドイツ
ラインラント=プファルツ州
ランドシュトゥール
身長(現役時) 229cm (7 ft 6 in)
体重(現役時) 125kg (276 lb)
キャリア情報
出身 ブリガムヤング大学
NBAドラフト 1993年 / 1巡目 / 全体2位[1]
プロ選手期間 1993年–2005年
ポジション C
背番号歴 76, 45, 44
選手経歴
1993-1995
1995-1997
1997-2005
フィラデルフィア・76ers
ニュージャージー・ネッツ
ダラス・マーベリックス
受賞歴
NBA通算成績
得点 6,752 (8.1 ppg)
リバウンド 5,268 (6.3 rpg)
ブロック 2,119 (2.5 bpg)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ ドイツの旗 ドイツ

NBA経歴

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フィラデルフィア・76ers

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その高身長ゆえに、ドラフト前から名を馳せていたがために[1]1993年のNBAドラフトにて1巡目全体2位でフィラデルフィア・76ersから指名された。1993年11月5日のワシントン・ブレッツ戦でNBAデビューを果たして6得点、5リバウンド、1アシスト、1スティール、8ブロックを記録し、チームは94-82で勝利した[2]

1994年2月18日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で膝蓋骨を脱臼する怪我を負い、残りのルーキーシーズンを全休することとなった。このシーズン、ブラッドリーはシーズン平均10.3得点、6.2リバウンド、3.0ブロックを記録し、NBAオールルーキーセカンドチームに選出された[3]

2年目となる1994-95シーズン、1994年11月18日のロサンゼルス・クリッパーズ戦でキャリアハイとなる22リバウンドを含む28得点、1アシスト、1スティール、9ブロックを記録し、チームは97-83で勝利した[4]。このシーズン、ブラッドリーは全82試合に出場してシーズン通算274ブロックを記録し、シーズン通算ブロック数のフランチャイズ記録を更新した。

ニュージャージー・ネッツ

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1995年12月頃にデリック・コールマンとのトレードでニュージャージー・ネッツへ移籍した。1996年2月19日のワシントン・ブレッツ戦でNBA史上最も背の高いゲオルゲ・ムレシャン(身長231cm)と対戦し、シーズンハイとなる27得点を含む9リバウンド、4ブロックを記録し、チームは99-81で勝利した。3月5日のダラス・マーベリックス戦でキャリアハイとなる32得点を含む15リバウンド、4アシスト、1スティール、3ブロックを記録したが、チームは117-127で敗れた[5]。同月12日のフェニックス・サンズ戦で8得点、12リバウンド、10ブロックを記録したが、チームは88-98で敗れた。また、翌日のワシントン・ブレッツ戦で自身初のトリプル・ダブルとなる19得点、17リバウンド、11ブロックを記録し、2試合連続で10ブロック以上を記録したNBA史上初の選手となった。

ダラス・マーベリックス

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マブスでのブラッドリー(左)
(2005年)

1997年2月にトレードでダラス・マーベリックスへ移籍した[6]

1998年4月7日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦で、ベンチ出場ながらキャリアハイとなる13ブロックを含む22得点、22リバウンドのトリプル・ダブルを記録したが、チームは91-99で敗れた。なお、1試合で20得点、20リバウンド、10ブロック以上を記録するのは、カリーム・アブドゥル=ジャバーエルヴィン・ヘイズアキーム・オラジュワンシャキール・オニールに次いでNBA史上5人目であり、ベンチ出場ではNBA史上初であった。

2000-01シーズン、ブラッドリーはシーズン通算228ブロックを記録し、シーズン通算ブロック数のフランチャイズ記録を更新した。この頃、マーベリックスはスティーブ・ナッシュダーク・ノヴィツキーなどの台頭もあり、プレーオフ進出などに大きく貢献した。

2005年6月頃に現役引退を表明した。

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ
  リーグリーダー

レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1993–94 PHI 49 45 28.3 .409 .000 .607 6.2 2.0 .9 3.0 10.3
1994–95 82* 59 28.8 .455 .000 .638 8.0 .6 .7 3.3 9.5
1995–96 12 11 27.8 .443 --- .760 8.8 .7 .7 3.2 8.8
NJN 67 57 29.8 .443 .250 .679 7.9 .8 .6 3.7 12.5
1995-96計 79 68 29.5 .443 .250 .687 8.1 .8 .6 3.6 11.9
1996–97 40 38 30.7 .436 .000 .664 8.1 .5 .6 4.0 12.0
DAL 33 32 32.1 .461 .000 .642 8.7 1.0 .5 2.7 14.6
1996-97計 73 70 31.3 .449 .000 .654 8.4 .7 .5 3.4* 13.2
1997–98 64 46 28.5 .422 .333 .722 8.1 .9 .8 3.3 11.4
1998–99 49 33 26.4 .480 .000 .748 8.0 .8 .7 3.2 8.6
1999–00 77 54 24.7 .479 .200 .765 6.5 .8 .9 2.5 8.4
2000–01 82 35 24.4 .490 .167 .787 7.4 .5 .4 2.8 7.1
2001–02 53 16 14.3 .479 .000 .922 3.3 .4 .5 1.2 4.1
2002–03 81 39 21.4 .536 .000 .806 5.9 .7 .8 2.1 6.7
2003–04 66 5 11.7 .473 .000 .837 2.6 .3 .5 1.1 3.3
2004–05 77 14 11.5 .452 --- .683 2.8 .2 .3 .8 2.7
通算 832 484 23.5 .457 .103 .716 6.3 .7 .6 2.5 8.1

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2001 DAL 10 10 25.6 .529 --- .769 7.1 .5 .4 3.9 6.4
2002 7 0 3.6 .500 --- --- .7 .0 .0 .1 .9
2003 17 7 14.5 .400 .000 .750 3.8 .3 .2 .8 2.9
2004 2 0 1.5 --- --- --- .0 .0 .0 .0 .0
2005 7 0 3.9 .667 --- .500 .9 .0 .0 .3 1.3
通算 43 17 13.0 .478 .000 .741 3.4 .2 .2 1.1 3.0

メディア出演

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1996年の映画『スペース・ジャム』にカメオ出演しており、マグシー・ボーグスラリー・ジョンソンチャールズ・バークレーパトリック・ユーイングと並び、不遇のNBAスターの1人として描かれている。

私生活

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両親も背が高く、父親は203cm、母親は183cmある。妻アネットとの間に1人の息子(チャンス)と4人の娘(シャイアン、シエラ、チェルシー、チャリティー)を持つ。ちなみに全員イニシャルが「C」である。[2]

脚注

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外部リンク

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