サン・ブエナ・ベントゥーラ

サン・ブエナ・ベントゥーラスペイン語: San Buena Ventura)は、日本ガレオン船徳川家康から要請を受けたウィリアム・アダムス(三浦按針)により1607年に建造された120tの船である。ガレオン船サン・フランシスコの難破により漂着したロドリゴ・デ・ビベロ一行の帰国に用いられた[1]

サン・ブエナ・ベントゥーラ
基本情報
船種 ガレオン
所有者 徳川家康
経歴
竣工 1607年
要目
総トン数 120
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概要

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ウィリアム・アダムスが日本への航海で利用したリーフデ号は、江戸湾に係留されていたが、その後沈没した。そこで、アダムスは船大工としての経験を買われて、徳川家康から西洋式の帆船を建造することを要請される。

永らく造船の現場から遠ざかっていたアダムスは、当初は固辞したものの受け入れざるを得なくなり、伊東に日本で初めての造船ドックを設けて80tの帆船を建造した。これが1604年(慶長9年)に完成すると、気をよくした家康は大型船の建造をアダムスに指示し、1607年(慶長12年)に120tの船舶(ガレオン船)であるサン・ブエナ・ベントゥーラが完成した。

1610年8月1日、サン・ブエナ・ベントゥーラは浦賀を発ちアカプルコへ向かった[2]。10月27日にアカプルコ近くのマタンチェンに到着したが、この時23人の日本人が同乗しており、その中には田中勝介が含まれていた[3][4][2][5]

到着後は、マニラとアカプルコを結ぶ航路に投入された[5]

関連項目

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出典

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  1. ^ 三浦按針と横須賀” (PDF). 横須賀市市政策推進部文化振興課. 2021年2月7日閲覧。
  2. ^ a b 柳沼孝一郎 (2014-05). “Trasfondo histórico del envío del embajador Hasekura a España y la Nueva España en 1614” (PDF). México y la Cuenca del Pacífico (グアダラハラ大学) 17 (50): 19-20. 
  3. ^ The Friendship that Plowed through the Pacific”. PRO MEXICO (2014年1月14日). 2017年1月14日閲覧。
  4. ^ 田中勝介”. コトバンク. 2017年1月14日閲覧。
  5. ^ a b C R Boxer (2010-10-18). The Affair of the Madre de Deus: A Chapter in the History of the Portuguese in Japan. p. 49. ISBN 9781136907272