クロード・ボーズ=ライアン (第13代ストラスモア=キングホーン伯爵)
第13代ストラスモア=キングホーン伯爵クロード・ボーズ=ライアン(英: Claude Bowes-Lyon, 13th Earl of Strathmore and Kinghorne、1824年7月21日 – 1904年2月16日)は、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国の貴族。第14代ストラスモア伯爵クロードの父。イギリス王ジョージ6世王妃のエリザベス・ボーズ=ライアンの祖父。現国王チャールズ3世の高祖父にあたる。
生涯
編集グラームズ卿トマス・ジョージ・ライアン=ボーズ(第11代ストラスモア=キングホーン伯爵トマス・ライアン=ボーズの息子)とシャーロット・グリムステッドの三男として、1824年7月21日に生まれた[1]。1838年にウィンチェスター・カレッジで教育を受けた[2]。
1852年から1854年までライフガーズ第2連隊で士官を務めた[2]。1853年9月23日にフランシス・ドラ・スミス(Frances Dora Smith、1922年2月5日没、オズワルド・スミスの娘)と結婚、7男4女を儲けた[1]。
- クロード(1855年 – 1944年) - 第14代ストラスモア=キングホーン伯爵、子供あり
- フランシス(1856年 – 1948年) - 子供あり
- アーネスト(1858年 – 1891年) - 子供あり
- ハーバート(1860年 – 1897年) - 生涯未婚
- パトリック(1863年 – 1946年) - テニス選手
- コンスタンス(1865年 – 1951年) - 子供あり
- ケネス(1867年 – 1911年) - 生涯未婚
- ミルドレッド(1868年 – 1897年) - 子供あり
- モード(1870年 – 1941年) - 生涯未婚
- イヴリン(1872年 – 1876年) - 早世
- マルコム(1874年 – 1957年) - 子供あり
1865年9月13日に兄トマスが死去すると、ストラスモア=キングホーン伯爵の爵位を継承した[1]。その後、1870年から1886年までスコットランド貴族代表議員を務め、1887年7月1日に連合王国貴族であるストリートラム城のボーズ男爵に叙された[2]。
脚注
編集- ^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. pp. 1925–1926.
- ^ a b c Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 291.
名誉職 | ||
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先代 ダルハウジー伯爵 |
アンガス統監 1874年 – 1904年 |
次代 ストラスモア=キングホーン伯爵 |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | ボーズ男爵 1887年 – 1904年 |
次代 クロード・ジョージ・ボーズ=ライアン |
スコットランドの爵位 | ||
先代 トマス・ジョージ・ライアン=ボーズ |
ストラスモア=キングホーン伯爵 1865年 – 1904年 |
次代 クロード・ジョージ・ボーズ=ライアン |