クラーク郡 (ジョージア州)
クラーク郡(英: Clarke County)は、アメリカ合衆国ジョージア州の郡である。人口は12万8671人(2020年)[1]。郡庁所在地はアセンズであり、アセンズとクラーク郡は統合市郡を構成している。
ジョージア州クラーク郡 | |
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設立 | 1801年 |
郡庁所在地 | アセンズ |
最大の都市 | アセンズ |
面積 - 総面積 - 陸 - 水 |
314 km2 (121.28 mi2) 313 km2 (120.79 mi2) 1 km2 (0.49 mi2), 0.40% |
人口 - (2020年) - 密度 |
128,671人 |
標準時 | 東部: UTC-5/-4 |
ウェブサイト | www |
歴史
編集クラーク郡は1801年12月5日にジョージア州議会の法により設立された。郡名はアメリカ独立戦争の英雄エリジャー・クラークに因んで名付けられた。クラーク大佐は1779年にウィルクス郡で起きたケトルクリークの戦いでの勝利に重要な役割を果たした。アセンズ市のブロード通りには、アメリカ独立戦争の娘たちエリジャー・クラーク支部が建てた記念碑がある。当初の郡域はジャクソン郡から分離し、広さは250平方マイル (647.5 km2) あった。
19世紀に郡人口が増加してくると、綿花を中心とする農業が栄えた。隣接するプランテーションで収穫されたものが町の加工所に流れた。1841年にアセンズに鉄道が開通した後は特に、繊維産業が主要産業になった。1840年代の製造業への投資額は、サバンナ市のあるチャタム郡に次いで多かった。
南北戦争の1864年、郡内で2つの小戦闘が起きた。1つはバーバー・クリークの近くで、もう1つはミッチェル道路近くでだった。同年5月29日、アセンズ市が北軍に占領され、憲兵司令官が支配した。1864年12月までに軍事支配は終わったが、1866年初期まで軍隊が留まっていた。
1801年、クラーク郡郡政委員会がワトキンスビル(現在はオコニー郡)を郡庁所在地に選んだ。1871年11月24日、郡庁所在地がアセンズ市に移され、郡庁舎や監獄を含めすべての郡事務所が移転した。郡政委員会の会合は旧アセンズ市役所で開催されていたが、1876年に新しい郡庁舎が建設された。現庁舎は1914年に建設されたものである。
1875年2月12日、郡庁所在地がアセンズに移されたことに対する苦情に応える形で、州議会が郡南西部からオコニー郡を創設し、ワトキンスビルをその郡庁所在地にした。クラーク郡は人口の3分の1と陸地面積の5分の3を減らした。
議会によって「道路と歳入の委員」の役職が作られ、これが現在の郡政委員会と呼ばれるものになった。州の外郭機関として、福祉と健康の計画を実行し、道路を建設維持し、裁判所を運営することになった。
1973年3月29日、ジョージア州議会が郡政委員を3人から5人に増員し、また郡管理官も追加した。
1990年、郡民の投票でアセンズ市とクラーク郡の統合を承認し、コロンバス市・マスコギー郡に次いで州内2つ目の統合市郡になった。
地理
編集アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は121.28平方マイル (314.1 km2)であり、このうち陸地120.79平方マイル (312.8 km2)、水域は0.49平方マイル (1.3 km2)で水域率は0.40%である[3]。 クラーク郡は北緯33度57分20秒 西経83度23分00秒 / 北緯33.955464度 西経83.383245度座標: 北緯33度57分20秒 西経83度23分00秒 / 北緯33.955464度 西経83.383245度に位置する[4]。
主要高規格道路
編集アメリカ国道
編集- アメリカ国道29号線
- アメリカ国道78号線
-
アメリカ国道78号線産業道路(アセンズ) - アメリカ国道129号線
- アメリカ国道441号線
ジョージア州道
編集隣接する郡
編集人口動態
編集人口推移 | |||
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年 | 人口 | %± | |
1810 | 7,628 | — | |
1820 | 8,767 | 14.9% | |
1830 | 10,176 | 16.1% | |
1840 | 10,522 | 3.4% | |
1850 | 11,119 | 5.7% | |
1860 | 11,218 | 0.9% | |
1870 | 12,941 | 15.4% | |
1880 | 11,702 | −9.6% | |
1890 | 15,186 | 29.8% | |
1900 | 17,708 | 16.6% | |
1910 | 23,273 | 31.4% | |
1920 | 26,111 | 12.2% | |
1930 | 25,613 | −1.9% | |
1940 | 28,398 | 10.9% | |
1950 | 36,550 | 28.7% | |
1960 | 45,363 | 24.1% | |
1970 | 65,177 | 43.7% | |
1980 | 74,498 | 14.3% | |
1990 | 87,863 | 17.6% | |
2000 | 101,489 | 15.9% | |
2010 | 116,714 | 15.0% | |
2020 | 128,671 | 10.2% | |
U.S. Decennial Census |
以下は2000年の国勢調査による人口統計データである。
基礎データ
人種別人口構成
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年齢別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
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収入編集収入と家計(2008年) シティデータの「貧困な生活を送る住民比率が高い都市101」の中で第4位になった。 |
都市と町
編集脚注
編集- ^ “Quickfacts.census.gov”. 16 Oct 2023閲覧。
- ^ http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/omb/bulletins/fy05/b05-02_appendix.pdf U.S. Whitehouse OMB Bulletin No. 05-02 Appendix (Code 12020*)
- ^ “Census 2010 U.S. Gazetteer Files: Counties”. United States Census. 2011年11月5日閲覧。
- ^ US Gazetteer files: 2010, 2000, and 1990, United States Census Bureau, (2011-02-12) 2011年4月23日閲覧。