キョーエイ
株式会社キョーエイ(KYOEI Co., Ltd.)は、徳島県を中心に展開するスーパーマーケット。本部は徳島市川内町加賀須野463番地15にある[3]。オール日本スーパーマーケット協会会員。
種類 | 株式会社[1] |
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略称 | キョーエイ |
本社所在地 |
日本 〒771-0198 徳島県徳島市秋田町3-24[2] ↓ 徳島県徳島市伊月町3-8[1] ↓ 徳島県徳島市川内町加賀須野463番地15[3] |
設立 | 1958年(昭和33年)7月24日[1] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 1480001000545 |
事業内容 | スーパーマーケットの経営・運営[4] |
代表者 | 代表取締役 埴渕恒平 |
資本金 | 4800万円 |
売上高 | 388億円(2017年2月期)[3] |
純利益 | ▲842万4000円(2019年02月28日時点)[広報 1] |
総資産 | 145億5582万5000円(2019年02月28日時点)[広報 1] |
従業員数 | 1,834名 |
主要子会社 |
株式会社京屋サンティー 株式会社寶積運輸 株式会社共通開発 有限会社徳栄興産 |
関係する人物 | 埴渕一 |
外部リンク | www.kyoei-group.co.jp/ |
歴史・概要
編集埴渕一が徳島県那賀郡羽ノ浦町で「京屋呉服店」を創業したのが始まりである[5]。 1949年(昭和24年)に徳島市籠屋町に移転し[6]、1951年(昭和26年)5月4日に「有限会社京屋呉服店」を設立して法人化した[5]。 1958年(昭和33年)7月24日に[7]資本金550万円で「株式会社徳島主婦の店」を設立し[8]、同年8月19日に[9]徳島市中央通り1丁目に[7]後の中央店を開店した[9]。
1966年(昭和41年)2月に徳島市栄町4-10-3に本部を移転した[7]。 1969年(昭和44年)7月に[10]「株式会社サカエヤ」を買収して[11]、サカエヤ跡地には1971年(昭和46年)9月25日に衣料品専門大型店「ファッションセンター京屋」を開店し[12]、同年10月に「有限会社京屋呉服店」を「株式会社京屋」に改組すると同時に商号を変更した[10]。
1976年(昭和51年)6月に「株式会社キョーエイ」に商号を変更し[8]、同年10月3日に松島店を開店して香川県へ進出した[13]。
1979年(昭和54年)10月に[6]家具・家電専門店「京屋リビング」1号店を石井店に隣接して出店した[8]。
1988年(昭和63年)7月にポイントカードの「キョーツーカード」を発行を開始し、1991年(平成3年)にキャッシングサービスを開始した[14]。
1992年(平成4年)2月に衣料品・呉服・家電等の小売り事業をキョーエイ本体に集約し、食品事業部・衣料事業部・住居事業部の3事業部制へ移行した[15]。 これに伴い、ホームセンター「ケイ・ツー」1号店を徳島県石井町に出店した[15]。 また、同年6月には折込チラシを廃止した[14]。
1998年(平成10年)頃から「ファミリーファッション」や「キョーエイドラッグ」、「ダイソー」などへの業態転換を進めた[広報 2]。
2006年(平成18年)4月に家電量販店「K-1」3店舗をデオデオへ譲渡して家電販売事業から撤退した[広報 3]。
2007年には四国の企業として初めてマツモトキヨシとフランチャイズ契約を結んだ。[要出典]
スーパーマーケット、衣料品店、ホームセンター、ドラッグストアなどを運営する。徳島県内資本ではトップのスーパーマーケットであり、県内一般消費者への浸透度は抜群に高い[4]。
ポイントカード
編集独自のポイントカードとして「キョーツーカード」を18歳以上の顧客(高校生を除く)に発行しており、各加盟店で使用することが出来る。かつてはクレジット機能がついており、キャッシングや翌月一括払いといったサービスを利用出来たが、2011年4月30日までにクレジット機能のサービスを終了した。[要出典]
そのほか、クレジット機能がない18歳未満向けの「キョーツージュニアカード」、ブックオフコーポレーションのフランチャイジーとしてブックオフ店舗を運営していたため「キョーツーブックオフカード」も発行していたが、それぞれ2012年10月をもって取扱いを終了した。[要出典]
沿革
編集- 1946年(昭和21年)5月 - 徳島県那賀郡にて呉服商[注釈 1]創業[16]。
- 1958年(昭和33年)
- 1976年(昭和51年)6月 - 現商号に変更[16][17]。
- 1986年(昭和61年)
- 1992年(平成2年)3月 - 「京屋」「京屋家電」他のグループ会社4社の営業部門をキョーエイに移管する[19]。
- 1994年(平成6年) - オートラマ徳島の社名を「株式会社フォード徳島」に変更する。[要出典]
- 2002年(平成14年) - フォード徳島の運営をキョーエイグループから分離。店舗スタッフが立ち上げた別資本の新会社「ニューセンチュリーモータース」へ移管する[20][注釈 2]。
- 2006年(平成18年) - K-1 京屋家電が撤退。[要出典]
- 2007年(平成19年) - 四国の企業として初めてマツモトキヨシとフランチャイズ契約。[要出典]
施設
編集キョーエイが運営する主なショッピングセンター
編集店舗名 | 画像 | 場所 |
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タクト | 徳島市南島田町 | |
アピカ | 阿南市西路見町 | |
ルピア | 小松島市小松島町 | |
パルシー | 美馬市脇町猪尻 |
運営する主な業態
編集- キョーエイ - スーパーマーケット[21]。
- チャップリン - 靴店[21]。
- ケイ・ツー - ホームセンター[15]。
- ファミリーファッション[広報 2]。
- キョーエイドラッグ[広報 2]。
- ダイソーフランチャイズ店[広報 4]。
過去に存在した店舗
編集徳島県
編集- 末広店(徳島県徳島市末広町4-7-3[22]、1960年(昭和35年)8月1日開店[22])
- 店舗面積240m²[22]。
- 滑北店(徳島県徳島市北前川町3-24[23]、1965年(昭和40年)9月5日開店[22])
- 店舗面積205.5m²[23]。
- 蔵本店(徳島県徳島市蔵本町2-20[24]、1968年(昭和43年)11月21日開店[24] - 1994年(平成6年)11月閉店[25])
- 新町店(徳島県徳島市東新町1-26[23]、1971年(昭和46年)9月開店[23]、店舗面積572.6m²[23]。
- 矢三店(徳島県徳島市北矢三[1]、1980年(昭和55年)11月開店[1])
- 店舗面積490m²[1])
- 津田店(徳島県徳島市津田本町2-1241[23]、1978年(昭和53年)5月開店[23])
- 店舗面積200m²[23]。
- 田宮店(徳島県徳島市北田宮3丁目680-2[1]、1987年(昭和62年)8月開店[1])
- 店舗面積498m²[1]。
- 黒崎店(徳島県鳴門市撫養町[1]、1984年(昭和59年)7月開店[1])
- 店舗面積496m²[1]。
・佐古店(徳島県・徳島市佐古三番丁15-33[23]、1973年(昭和48年)10月10日開店[26])
- オートラマ徳島(徳島県徳島市昭和町1-34[27])
香川県
編集- 松島店(香川県高松市松島町2-7-9[23]、1976年(昭和51年)10月3日開店[13])
- 店舗面積1,105.5m²[23])
- 仏生山店(香川県高松市)
- 志度店(香川県大川郡[1]、1982年(昭和57年)9月開店[1])
- 店舗面積2,548m²[1]。
- 国分寺店(香川県綾歌郡国分寺町国分566-2[1]、1987年(昭和62年)11月開店[1])
- 店舗面積600m²[1]。
- 宇多津店(香川県綾歌郡宇多津町)
過去に存在した業態
編集関連企業
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『流通会社年鑑 1990年版』 日本経済新聞社、1990年11月24日。
- ^ 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
- ^ a b c 『2013 帝国データバンク会社年鑑 第93版 西日本II』帝国データバンク、2012年
- ^ a b 『平成23年版 東商信用録(四国版)』東京商工リサーチ高松支社、2011年、ISBN 978-4-88754-672-1
- ^ a b 『全国繊維企業要覧 昭和47年版 西日本篇』 信用交換所大阪本社、1971年9月1日。pp1331
- ^ a b 『全国繊維企業要覧 昭和62年版 西日本編』 信用交換所大阪本社、1986年9月20日。pp1803
- ^ a b c 『全国繊維企業要覧 昭和47年版 西日本篇』 信用交換所大阪本社、1971年9月1日。pp1356-1359
- ^ a b c d 『流通会社年鑑 1981年版』 日本経済新聞社、1980年11月17日。 pp143
- ^ a b c 『AJS20年の歩み』 オール日本スーパーマーケット協会、1984年1月。 pp40
- ^ a b 『全国繊維企業要覧 昭和58年版 西日本篇』 信用交換所大阪本社、1982年9月20日。pp1592
- ^ “徳島・忘れられていた有望商圏の夜明け”. 商店界 1969年10月号 (誠文堂新光社) (1969年10月).pp70-71
- ^ 『十年の歩み』 徳島商工会議所、1977年4月13日。pp87
- ^ a b “(4) キメ細かい売場づくりで新商勢圏へなぐり込み「キョーエイ松島店」”. 販売革新 1977年7月号 (アール・アイ・シー) (1977年7月).pp218
- ^ a b “第4章.対顧客シーンに見られる新たなマーケティング戦略”. 興銀調査 288 1999 No.3 (日本興業銀行産業調査部) (1999年10月20日).pp80
- ^ a b c “ホームセンター最前線”. AM network 1993年3月号 (オートマート・ネットワーク) (1993年2月25日).pp114
- ^ a b 『日本スーパー名鑑 2013年版 本部編』商業界、2012年、ISBN 978-4-7855-0441-0
- ^ a b 『日経小売・卸売企業年鑑 2006年版』日本経済新聞社、2005年、ISBN 4-532-21115-8
- ^ 「日本経済新聞」1986年3月8日地方経済面・四国記事より
- ^ 「日本経済新聞」1992年2月29日地方経済面・四国記事より
- ^ 「日刊自動車新聞」2002年1月27日記事より
- ^ a b c d e f “新たな"地域侵攻作戦"の動きを追う!!”. 商店界 1988年7月号 (誠文堂新光社) (1988年7月).pp47-69
- ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp532
- ^ a b c d e f g h i j k 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp287
- ^ a b c 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp184
- ^ a b 平松徹 “やさしい思いやりで着々と成果を上げている『パティオくらもと』”. 専門店 1999年4月号 (協同組合連合会日本専門店会連盟) (1999年4月).pp14
- ^ a b c d e 『十年の歩み』 徳島商工会議所、1977年4月13日。pp102
- ^ 『自動車部品・用品名鑑 1987年版』 自動車産業通信社、1986年12月25日。pp610
広報資料・プレスリリースなど一次資料
編集- ^ a b 株式会社キョーエイ 第61期決算公告
- ^ a b c “キョーエイの歴史 3”. キョーエイ. 2024年3月27日閲覧。
- ^ “株式会社キョーエイの家電事業の営業譲受に関するお知らせす”. エディオン (2006年2月27日). 2024年3月27日閲覧。
- ^ “ご挨拶”. キョーエイ (2006-05-00). 2024年3月27日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- キョーエイ
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