カルセン岬
カルセン岬(カルセンみさき、英語: Karlsen Cape、ロシア語: Мыс Карлсена)は、ノヴァヤゼムリャのセヴェルヌィ島最北端の地である。[1]
歴史
編集この岬は1872年にドイツの測量師であるペーターマンによって命名された。バレンツ海とカラ海でアザラシ漁をしていた、カルセンというノルウェー人のハンティングスクーナーの船長に敬意を表して名付けられた。 また、この地には1597年6月20日にノヴァヤゼムリャ付近で命を落としたウィレム・バレンツとアンドリソン・クラス(Andrison Class、Класса Андрисона)の墓場がある。[1][2][3]
画像
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オーガスト・ハインリヒ・ペーターマン
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ウィレム・バレンツ
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エリング・カルセン
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ウィレム・バレンツの最期
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1871年にエリング・カルセンが発見した、ノヴァヤゼムリャにあったウィレム・バレンツが拠点としていた小屋(殆ど無傷であった)のスケッチ
脚注
編集- ^ a b http://wikimapia.org/10148710/ru/Мыс-Карлсена
- ^ ウィレム・バレンツがどこに葬られたかは未だに確定していない(バレンツ海に葬られたという説もある)
- ^ "Search for Barents: Evaluation of Possible Burial Sites on North Novaya Zemlya, Russia", Jaapjan J. Zeeberg et al., Arctic Vol. 55, No. 4 (December 2002) p. 329–338