エヴルー
エヴルー (Évreux) は、フランス北西部、ノルマンディー地域圏のコミューンである。ウール県の県庁所在地。
Évreux | |
---|---|
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ノルマンディー地域圏 |
県 (département) | ウール県 |
郡 (arrondissement) | Arrondissement of Évreux |
小郡 (canton) | 4 |
INSEEコード | 27229 |
郵便番号 | 27000 |
市長(任期) |
ギィ・ルフラン (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté d'agglomération d'Évreux |
人口動態 | |
人口 |
49 634人 (2012年) |
人口密度 | 1877人/km2 |
住民の呼称 | Ébroïcien, Ébroïcienne |
地理 | |
座標 | 北緯49度01分07秒 東経1度08分56秒 / 北緯49.0187度 東経1.1489度座標: 北緯49度01分07秒 東経1度08分56秒 / 北緯49.0187度 東経1.1489度 |
標高 |
最低:58 m 最高:146m |
面積 | 市: 26,45km2 (2 645ha) |
公式サイト | http://www.evreux.fr/ |
歴史
編集古代、エヴルーはMediolanum Aulercorumの名で呼ばれていた。ガリア系のエブロウィス族(Eburovici)がここに本拠地をおき、紀元前1世紀に定住地を建設したのである。ローマ帝国時代初期にはガロ=ローマの人々は、ローマ神話の神を讃え、現在のコミューン郊外にギサクム神殿(Gisacum)を建設した。ルーアン=シャルトル間、パリ=エヴルー間の交易路の間にあった町は、貿易で繁栄した。劇場やフォルム、浴場といった公共の建物が建てられた。ネクロポリスからは花器が発見され、碑文からはガロ=ローマ時代からエヴルーに織物産業が存在したことを示している。蛮族の侵攻が相次いだ3世紀末には、現在コミューン博物館で保存されているような城壁で町は覆われていた。
エヴルー初代司教は聖トラン (fr) である。989年にエヴルー伯領が、そして司教座がおかれた。892年にはノルマン人に占領され、962年には西フランク王ロテールに荒らされた。1120年にはイングランド王ヘンリー1世に略奪され、1194年にはフランス王フィリップ2世に火を放たれた。イングランド貴族デヴァルー家(Devereux)の家名は、エヴルーにちなんでいる。
14世紀から15世紀初めにかけて、カペー家の分枝エヴルー家が栄えた。エヴルー家の嫡系は1400年のエタンプ伯ルイ (fr) の死で断絶したが、フィリップ・デヴルー(のちのナバラ王フェリペ3世)とナバラ女王フアナ2世の結婚によりナバラ王国の王家となったエヴルー=ナヴァール家は1441年まで存続した。百年戦争中の1418年、イングランド王ヘンリー5世によりエヴルーは占領された。フランスの主権下に復帰したのは1440年であった。
姉妹都市
編集関係者
編集- 出身者
- レオン・ワルラス:経済学者、理論経済学者「一般均衡理論」
- エステバン・オコン:レーシングドライバー
- シモン・オクー:フィギュアスケート選手
- ジュリアン・デュバル:自転車競技選手
- ベルナール・メンディ:サッカー選手、仏代表
- 居住その他ゆかりある人物
ギャラリー
編集-
ガロ=ローマ時代の城壁
-
エヴルー大聖堂
外部リンク
編集- City council website (フランス語)