エンリコ・カルーソー

オペラ史上最も有名なテノール歌手の一人

エンリコ・カルーソー(Enrico Caruso、標準イタリア語ではエンリーコ・カルーゾ [enˈriːko kaˈruːzo], 1873年2月25日 - 1921年8月2日)は、イタリアテノール歌手オペラ史上における高名なテノール歌手の一人である。

エンリコ・カルーソー
基本情報
生誕 (1873-02-25) 1873年2月25日
出身地 イタリア王国の旗 イタリア王国 ナポリ
死没 (1921-08-02) 1921年8月2日(48歳没)
ジャンル クラシック音楽オペラ
職業 オペラ歌手(テノール)
ランメルモールのルチアから (1908).

経歴

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イタリアナポリに生まれる。父と共に工場で働きつつ教会の聖歌隊で歌い、18歳から正式に声楽を学び、ナポリで1894年にデビューした[1]。翌年ミラノで大きな成功を収め、ゾノフォンレコードに最初の20回のレコード録音を行った。1903年、ニューヨーク市を訪れ、メトロポリタン歌劇場(メト)で歌った。その年から、米ビクター社にレコード録音を開始する。カルーソーのメトおよび米ビクターとの関係は1920年まで継続した。

カルーソーは約60作品ものオペラをレパートリーにしていた。主にイタリアオペラであったが、フランスとイギリスのオペラも、ひどいイタリア訛りではあったが歌った。また、約500曲の歌曲もレパートリーとしており、それらはイタリアの古典歌曲や民謡から当時のポピュラーソングまで及んでいた。レコード録音を盛んに行ったスター歌手は彼が最初だったことにより、20世紀最初の20年間という時代もあって、カルーソーは円盤型蓄音機の普及を助け、それが彼の知名度も高めた。カルーソーが行った大衆的なレコード録音と彼の並外れた声、特にその声域の広さ、声量と声の美しさによって彼は当時の最も著名なスター歌手となったのである。

1909年に咽頭癌の手術を受けた後は高域の発声に以前の輝きを失った、とする評もあるが、それを力強さを増した中低域によってうまく補った。1920年、メトでの舞台中に喀血、故郷ナポリで療養中の翌1921年に48歳の働き盛りで亡くなった。カルーソーは後輩の歌手へ「たばこを吸うことは,歌うに当たって喉にダメージを与えるので,一番避けた方が良い習慣である」と教えていたが、自らはヘビースモーカーであり、たばこを吸っているところが写真に撮影されている。

カルーソーの生涯は1951年のハリウッド映画歌劇王カルーソ』(マリオ・ランツァ主演)で大々的に脚色されて映画化された。

2000年、BMGから『カルーソー2000』("CARUSO 2000")と題されたCDが発売された。これは、最新のコンピュータ技術により雑音に満ちたSPレコードからカルーソーの声のみを抽出し、そこへ1999年に新たに録音したウィーン放送交響楽団の音をミックスする、という手法がとられている。

カルーソーの録音集

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  • The Great Caruso
  • Complete Recordings Vol. 12
  • Memories of Caruso
  • Tenor of the Century
  • Caruso-A Legendary Performer

音源

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ヴェルディの『リゴレット』より『風の中の羽根のように(女心の歌)』(1908年録音)

脚注

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  1. ^ 20世紀西洋人名事典『エンリコ カルーソー』 - コトバンク

関連項目

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