エルンスト・マイヤー
エルンスト・ウォルター・マイヤー(Ernst Walter Mayr [ˈmaɪər], 1904年7月5日 - 2005年2月3日)は、ドイツ生まれの生物学者・生物哲学者である。メンデルの遺伝学とダーウィンの進化論を総合する生物進化のネオダーウィニズム(総合説)の形成に関わった。鳥類の種の分化の研究などをおこなった。
エルンスト・ウォルター・マイヤー Ernst Walter Mayr | |
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エルンスト・ウォルター・マイヤー(1994) | |
生誕 |
1904年7月5日 ドイツ帝国 ケンプテン |
死没 |
2005年2月3日(100歳没) アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 ベッドフォード |
国籍 |
ドイツ アメリカ合衆国 |
研究分野 | 進化生物学、生物学の哲学 |
出身校 | フンボルト大学ベルリン |
主な受賞歴 |
ダーウィン=ウォレス・メダル(1958年) アメリカ国家科学賞(1969年) |
プロジェクト:人物伝 |
人物
編集1953年からハーバード大学の教職に就き、1975年に定年退職してハーバード大学のアレキザンダー・アガシー記念動物学名誉教授となった。1904年生まれの長寿の自然科学者で100歳の誕生日にサイエンティフィック・アメリカン誌のインタービューを受けた。生物学以外にも、科学史や科学哲学などの著書があり、とくに生物学史と生物哲学の分野の開拓者として知られる[1]。
19歳のとき、ドイツでたまたまアカハシハジロを見つけ、鳥類学者エルヴィン・シュトレーゼマン(de:Erwin Stresemann)に紹介されたことから鳥類学の研究を始めた。当時、アカハシハジロは77年間も目撃例がなく絶滅したと考えられていたうえに、写真や映像の撮影に成功したわけではなかったので、その発見には疑いがもたれた。しかし、シュトレーゼマンはマイヤーの知識、観察力、識別能力を試した後に、発見を確信しただけでなく、自分のもとで働くようマイヤーを誘った[2]。その後アメリカ自然史博物館に移り、鳥類の剥製のロスチャイルド・コレクションの形成に重要な役割をはたした。
集団遺伝学者J・B・S・ホールデンなどの進化に対する数学的アプローチに批判的で、その手法を「ビーン・バッグ(豆袋)」にたとえて批判した。同様にカール・ウーズなどの分子進化生物学にも批判的である。
多くの著書のなかでマイヤーは進化をひきおこす要因が単一の種にたいしてだけでなく、すべての種に加わること、他の種の存在によってある種が影響をうけることを論じて、進化における還元主義(reductionism)に反対している。隔離された種の進化のみを扱わない研究を支持している。
近年の進化と種の分化の分子学的研究は、鳥のような移動性の大きい生物が局所的種分化(allopatric speciation)を起こすのが一般的であるにもかかわらず、昆虫などの無脊椎動物が同所的種分化(sympatric speciation)を起こす場合の多いことを示している。
受賞
編集- アメリカ国家科学賞(1969年)
- グレゴール・メンデル・メダル(1980年)
- ダーウィン・メダル(1984年)
- ジョージ・サートン・メダル(1986年)
- 国際生物学賞(1994年)
- ベンジャミン・フランクリン・メダル(1995年)
- クラフォード賞(1999年)
日本語訳
編集出典
編集- ^ Carol Kaesuk Yoon, "Ernst Mayr, 100, Premier Evolutionary Biologist", New York Times. Published: February 4, 2005: http://www.nytimes.com/2005/02/04/science/04cnd-mayr.html
- ^ ニューヨーク・タイムズ紙のマイヤー訃報記事を執筆したキャロル・キサク・ヨーンは、著書『自然を名づける: なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか』(三中信宏・野中香方子訳, NTT出版, 2013年, pp. 97〜305)において、アカハシハジロ発見以降のマイヤーの業績、分岐学者を含む他の研究者との論争や、自信に満ちていながら古風で紳士的な人柄などを紹介している。
参考資料
編集ウィキメディア・コモンズには、エルンスト・マイヤーに関するカテゴリがあります。
- Provine, W.B. 2004. "Ernst Mayr: Genetics and Speciation" Genetics 167: 1041-1046.