アート・ガードナー
アーサー・ジュニア・ガードナー(Arthur Junior Gardner, 1952年9月21日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ミシシッピ州マッデン |
生年月日 | 1952年9月21日(72歳) |
身長 体重 |
5' 11" =約180.3 cm 175 lb =約79.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト2巡目 |
初出場 |
MLB / 1975年9月2日 NPB / 1981年4月7日 |
最終出場 |
MLB / 1978年9月17日 NPB / 1982年10月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴
編集1971年のMLBドラフトでヒューストン・アストロズから2巡目(全体36位)で指名されプロ入り[2]。
1975年9月にメジャー初昇格。この年は13試合に出場した。
1976年はメジャー昇格の機会はなかったが、1977年は開幕戦にスタメン出場すると、シーズンを通じてメジャーに定着し66試合に出場した。
サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍した1978年はわずか7試合の出場にとどまり、モントリオール・エクスポズに移籍した1979年と1980年はAAA級では好成績を残したがメジャー昇格はなかった。
1981年に広島東洋カープに入団。広島では左翼を守り、主に6番か7番を打った。1年目は打率.281、26本塁打、77打点をマークしまずまずの成績を残したが、2年目の1982年は相手球団の徹底マークなどから成績不振となり、11月18日に自由契約となった。
1984年から故郷ミシシッピ州のジャクソン州立大学の野球部コーチを務めたが、1986年にテキサス・レンジャーズ傘下AA級タルサ・ドリラーズで現役復帰。しかし1年限りで退団し現役引退。その後はスカウトを務めた。
エピソード
編集1981年7月19日の大洋戦(横浜スタジアム)で3点本塁打を放ったが、ホームベースを踏み忘れたために本塁打を取り消された[3]。なお記録上は三塁打として処理され、走者2人の生還は認められた[3]。またベース踏み忘れの本塁打取り消しは1958年9月19日の長嶋茂雄に次ぐ2人目でホームベースの踏み忘れは史上初であった。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1975 | HOU | 13 | 33 | 31 | 3 | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 8 | 2 | .194 | .242 | .194 | .436 |
1977 | 66 | 70 | 65 | 7 | 10 | 0 | 0 | 0 | 10 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 1 | 1 | 15 | 3 | .154 | .203 | .154 | .357 | |
1978 | SF | 7 | 3 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1981 | 広島 | 129 | 514 | 480 | 61 | 135 | 22 | 2 | 26 | 239 | 77 | 10 | 14 | 0 | 3 | 26 | 12 | 5 | 78 | 13 | .281 | .325 | .498 | .823 |
1982 | 89 | 246 | 236 | 19 | 60 | 9 | 1 | 4 | 83 | 28 | 3 | 4 | 0 | 0 | 9 | 5 | 1 | 45 | 4 | .254 | .285 | .352 | .636 | |
MLB:3年 | 86 | 106 | 99 | 12 | 16 | 0 | 0 | 0 | 16 | 5 | 1 | 1 | 1 | 0 | 4 | 2 | 2 | 25 | 5 | .162 | .210 | .162 | .371 | |
NPB:2年 | 218 | 760 | 716 | 80 | 195 | 31 | 3 | 30 | 322 | 105 | 13 | 18 | 0 | 3 | 35 | 17 | 6 | 123 | 17 | .272 | .312 | .450 | .761 |
・各年度の太字はリーグ最高
表彰
編集- NPB
- 月間MVP:1回 (1981年5月)
記録
編集- NPB
- 初出場・初先発出場:1981年4月7日、対阪神タイガース1回戦(広島市民球場)、7番・左翼手で先発出場、4打数無安打(投手・伊藤文隆)
- 初安打・初打点・初本塁打:1981年4月8日、対阪神タイガース2回戦(広島市民球場)、2回裏に工藤一彦から左越先制ソロ
背番号
編集- 24 (1975年、1977年)
- 35 (1978年)
- 5 (1981年 - 1982年)
関連項目
編集出典
編集- ^ MLB公式プロフィール参照。2024年2月12日閲覧。
- ^ “2nd Round of the 1971 MLB June Amateur Draft”. Baseball-Reference.com. 2024年2月12日閲覧。
- ^ a b “【9月19日】1958年(昭33) ミスター、幻の28号本塁打でトリプルスリーを逃す”. スポーツニッポン (2007年9月19日). 2012年9月1日閲覧。
外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 MLB、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- 個人年度別成績 アート・ガードナー - NPB.jp 日本野球機構