アンドレ・アウヴェス・ダ・クルス
アンドレ・アウベス・ダ・クルス(André Alves da Cruz、1968年9月20日 - )は、ブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手。ポジションはセンターバック(リベロ)[1]。ジーコを手本にフリーキックを磨いたという[2]、左足から繰り出す正確で強烈なFKを得意としていた[1][2][3]。
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名前 | ||||||||||||||
本名 |
アンドレ・アウヴェス・ダ・クルス André Alves da Cruz | |||||||||||||
ラテン文字 | André Cruz | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 | ブラジル | |||||||||||||
生年月日 | 1968年9月20日(56歳) | |||||||||||||
出身地 | ピラシカーバ | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | DF | |||||||||||||
利き足 | 左足 | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
1986-1989 | ポンチ・プレッタ | 14 | (0) | |||||||||||
1990 | フラメンゴ | 26 | (5) | |||||||||||
1990-1994 | スタンダール・リエージュ | 107 | (18) | |||||||||||
1994-1997 | ナポリ | 83 | (13) | |||||||||||
1997-1999 | ミラン | 13 | (1) | |||||||||||
1999 | スタンダール・リエージュ | 10 | (1) | |||||||||||
1999 | トリノ | 13 | (1) | |||||||||||
1999-2002 | スポルティングCP | 78 | (9) | |||||||||||
2002-2003 | ゴイアス | 16 | (1) | |||||||||||
2003-2004 | インテルナシオナル | 10 | (1) | |||||||||||
2004 | ゴイアス | 2 | (0) | |||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||
1985 | ブラジル U-17 | 6 | (1) | |||||||||||
1987 | ブラジル U-20 | 4 | (2) | |||||||||||
1988-1998 | ブラジル | 31 | (1) | |||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集ポンチ・プレッタのユースチームで本格的にサッカーを始めた、最初はウイング、その後中盤でプレーし、10番の役割を与えられていたが、ある日DFがに欠場者が出たことから、DFとして起用されるようになった[2]。ここでブラジルユースチームに召集される活躍を見せ、1987年にパンアメリカン競技大会サッカー競技で優勝を果たした頃には、コモからオファーを受けたが、これを断った[2]。1988年のソウル五輪では準優勝、シルヴァーメダルを獲得した[2]。同年の8月4日、オーストラリア戦でフル代表デビューを果たした[1][2]。1989年10月14日のイタリア戦ではワルテル・ゼンガから代表初ゴールを奪い、イタリアのクラブからも注目される存在となった[2]。その後も暫く代表入りしていたが、セバスティアン・ラザロニとの関係が上手くいかず、1990年、ワールドカップ・イタリア大会のメンバーから落選した[2]。同年、フラメンゴへと移籍した[2]。
1990-91シーズン、スタンダール・リエージュに移籍、4シーズンをほぼレギュラーとして過ごし、ベルギーカップ優勝を果たした[2]。1994-95シーズン、SSCナポリに移籍、このシーズン、リーグ戦30試合で7得点を挙げ、チームは7位に入ったが、UEFAカップ出場権を逃した[2]。1995-96シーズン、チームは一時2位に付けていたが、後半失速して12位に終わり、自身も怪我で1年目程の活躍は出来なかった[2]。ここでの3シーズンのプレーは、自身の評価を高めた[3]。1997年にインテルと仮契約を結んだ、ルイジ・シモーニ監督は中盤で起用したいと考えていたが、本人はリベロでのプレーを望み、レアル・マドリード監督時代にクルスの獲得を希望していた、ACミランのファビオ・カペッロ監督と話し合い、インテルとの契約を破棄し、ミランへの移籍を決めた[2]。しかし怪我を抱え、1998-99シーズン途中に退団した[2]。ミランでの1シーズン半で、14試合で2得点に終わった[2]。この間、ブラジル代表では、アウダイールらとセンターバックのポジションを争ったが[3]、1998年の1998 FIFAワールドカップでは出場機会が無かった[2]。
1999-00シーズン途中、リエージュへ複帰、その後、トリノ、 スポルティングCPなどでもプレーした。
2004年、数か所に怪我を抱え、35歳で現役を引退した[2]。