アンドレイ・ヴァヴィーロフ
アンドレイ・ペトローヴィチ・ヴァヴィーロフ(バビーロフ、ロシア語: Андре́й Петро́вич Вави́лов、ラテン文字表記の例:Andrei Petrovich Vavilov、1961年1月10日 - )は、ロシアの政治家、実業家。1994年ロシア連邦大蔵大臣(財務大臣)代行。ロシア連邦議会上院連邦院代議員。上院予算委員、情報政策委員。2002年5月28日から2010年3月まで、上院ペルミ州代表。上院議員に選出以前には、財政調査研究所所長、慈善基金「科学的可能性」の創設者。経済学博士。
アンドレイ・ヴァヴィーロフ (バビーロフ) Андрей Петрович Вавилов | |
---|---|
生年月日 | 1961年1月10日(63歳) |
出生地 | ソビエト連邦 ロシア共和国ペルミ州ペルミ市 |
出身校 | セルゴ・オルジョニキーゼ名称モスクワ経営大学(現在の国立経営大学)、同大学院 |
称号 | 経済学博士 |
在任期間 | 1994年10月13日 - 1994年11月4日 |
経歴・人物
編集生い立ちと初期の経歴
編集1961年1月10日、ペルミに生まれる。1983年セルゴ・オルジョニキーゼ名称モスクワ経営大学「エコノミスト・サイバネティクス」(現在の国立経営大学)を卒業する。1983年ソ連保健省(厚生省)計算センターにソフトウェアエンジニアとして勤務する。1985年モスクワ経営大学大学院を修了。経済学博士候補号を取得。1985年から1988年まで、ソ連科学アカデミー中央経済数学研究所下級研究員として勤務し、この間、エゴール・ガイダルの知遇を得る。1988年科学アカデミー経済技術進歩予測研究所上級研究員。1990年ミハイル・ゴルバチョフソ連大統領の経済顧問で科学アカデミー会員のスタニスラフ・シャターリンとロシア共和国副首相のグリゴリー・ヤヴリンスキーの率いる作業班に入り、500日計画の策定に参加した。
ロシア連邦財務省
編集1992年4月2日、ロシア連邦第一大蔵次官。健全なマクロ経済政策、連邦予算編成や、国際通貨基金(IMF)、世界銀行などの国際金融機関を担当した[1][2]。 第一大蔵次官在職中の1992年から1997年まで、公的対外債務政府委員を務めた。1994年10月13日から11月4日までルーブル下落の責任を負って解任されたセルゲイ・ドゥビニンの後任として蔵相代行を務めている。
1997年MFK銀行頭取。1998年から2002年まで、財政学研究所所長。2000年から2002年まで、セーヴェルナヤ・ネフチ社取締役会議長。
脚注
編集- ^ Распоряжение Правительства РФ от 02.04.1992 № 643-р О первом заместителе министра финансов Российской Федерации(ロシア連邦政府政令1992年4月2日付け № 643-p ロシア連邦第一大蔵次官に関して)”. ロシア連邦政府 (1992年4月2日). 2013年12月2日閲覧。 “
- ^ これに対して、ヴァヴィーロフは、自身の経歴を「1992年9月に大蔵省マクロ経済部長に任命された。1992年11月から1997年まで、大蔵次官だった。」と紹介している。
|
|