アントワーヌ・デュアメル
アントワーヌ・デュアメル(Antoine Duhamel、1925年7月30日 - 2014年9月11日)は、フランスの作曲家、音楽学者である[1]。
アントワーヌ・デュアメル Antoine Duhamel | |
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2008年6月4日、シネマテーク・フランセーズで | |
基本情報 | |
生誕 | 1925年7月30日 |
出身地 |
フランス ヴァル=ドワーズ県ヴァルモンドワ |
死没 | 2014年9月11日 |
ジャンル | 映画音楽 |
職業 | 作曲家、音楽学者 |
活動期間 | 1962年 - 2014年 |
共同作業者 |
フランソワ・トリュフォー ジャン=ダニエル・ポレ ベルトラン・タヴェルニエ フェルナンド・トルエバ |
人物・来歴
編集1925年7月30日、フランスのセーヌ県(現在のヴァル=ドワーズ県)ヴァルモンドワに、作家・詩人のジョルジュ・デュアメルと女優ブランシュ・アルバーヌの子息として生まれる[1]。
1944年 - 1945年、オリヴィエ・メシアン、ルネ・レイボヴィッツに学び、ソルボンヌで心理学と音楽学を学ぶ[1]。
アンリ・シャンプティエ、レオンス・ペイヤールのドキュメンタリー短篇映画『文壇の人々』(Les gens de lettres)の音楽スコアを書き、映画界にデビューする。翌1961年、ヌーヴェルヴァーグの映画監督・ジャン=ダニエル・ポレの3作目の短篇映画『ガラ』の音楽を担当、以来、ポレが遺作にいたるまで、終生のつきあいとなる。フランソワ・トリュフォー、ベルトラン・タヴェルニエ作品も多く手がけた。
2002年2月、タヴェルニエの監督作『レセ・パセ 自由への通行許可証』(2002年)の音楽で、第52回ベルリン国際映画祭で音楽賞を受賞、2003年のエトワール・ドールを受賞した。同作を含め、セザール賞のノミネートは多数である。
おもなフィルモグラフィ
編集- 『ガラ』 Gala、監督ジャン=ダニエル・ポレ、短篇、1961年
- 『夜の自由』 Liberté de la nuit、監督フランシス・ブーシェ、短篇、1963年
- 『気狂いピエロ』、監督ジャン=リュック・ゴダール、1965年
- 『シンガポールの5人の水兵』 Cinq gars pour Singapour、監督ベルナール・トゥブラン=ミシェル、1967年
- 『消される男』、監督フィリップ・コンドロワイエール、1967年
- 『ウイークエンド』、監督ジャン=リュック・ゴダール、1967年
- 『夜霧の恋人たち』、監督フランソワ・トリュフォー、1968年
- 『フランソワの青春』、監督ロバート・フリーマン、1969年
- 『野性の少年』、監督フランソワ・トリュフォー、1969年
- 『暗くなるまでこの恋を』、監督フランソワ・トリュフォー、1969年
- 『汚れた刑事 (でか)』、監督イヴ・ボワッセ、1970年
- 『家庭』、監督フランソワ・トリュフォー、1970年
- 『処女シルビア・クリステル/初体験』、監督ビム・ド・ラ・パラ・Jr、1972年
- 『SFデス・ブロードキャスト』、監督ベルトラン・タヴェルニエ、1980年
- 『禁断のつぼみ』、監督フェルナンド・トルエバ、1989年
- 『ダディ・ノスタルジー』、監督ベルトラン・タヴェルニエ、1990年
- 『ベルエポック』、監督フェルナンド・トルエバ、1992年
- 『リディキュール』、監督パトリス・ルコント、1996年
- 『美しき虜』、監督フェルナンド・トルエバ、1998年
- 『レセ・パセ 自由への通行許可証』、監督ベルトラン・タヴェルニエ、2002年 - 第52回ベルリン国際映画祭音楽賞受賞
関連事項
編集註
編集- ^ a b c fr:Antoine Duhamel(12 juillet 2009 à 21:45)の記述を参照。