アンデルス・オロフソン
アンデルス・オロフソン(Anders Olofsson, 1952年3月31日 - 2008年1月22日)は、スウェーデン人のレーシングドライバーである。アンダース・オロフソン等と記述される場合もある。
来歴
編集F3/ツーリングカー
編集1974年よりスウェーデン、ドイツ、イギリスのフォーミュラ3選手権に参戦。1975年からヨーロッパF3選手権に参戦し最終戦デンマークラウンドで2位を獲得する。1977年のヨーロッパF3でシーズン3勝を挙げてランキング2位を獲得し、同年のスウェーデンF3ではチャンピオンを獲得。
翌1978年もヨーロッパF3で5回のポールポジション獲得とシーズン4勝と活躍しランキング2位、スウェーデンF3ではチャンピオンを獲得した。1981年までプライベーターとしてフォーミュラに参戦していたが、1982年よりヨーロッパツーリングカー選手権に参戦カテゴリーを移し、1986年までボルボ陣営の主力としてボルボ・240で参戦した。
1986年11月に富士スピードウェイで開催されたインターTECにボルボのワークスドライバーとして来日し、「空飛ぶレンガ(Flying Brick)」の異名をとる240ターボで勝利を挙げた。
日産ワークス
編集1987年に日産のワークスチームNISMOに加入し、日本でのレース活動が本格化。主に長谷見昌弘とのコンビでスカイラインGTS-R/GT-Rをドライブし、全日本ツーリングカー選手権(グループA)にエントリーした。1989年、1991年とチャンピオンに輝いている。
グループC(JSPC)には当初チームルマンより参戦を開始したが、1989年より日産ワークスチームのマシンをドライブした。1991年のスパ24時間レースでは、デビッド・ブラバム、服部尚貴とともにスカイラインGT-Rで優勝した。
1992年にはデイトナ24時間レースで長谷見昌弘、星野一義、鈴木利男の3人とともに日産・R91CPでエントリーし総合優勝を果たしたが、オロフソンが決勝でドライブすることはなかった。
JGTCなど
編集その後は一度ヨーロッパに帰り、BPR GTシリーズ及びFIA GT選手権に参戦した。また1994年から1997年までル・マン24時間レースにも参戦している。特に1997年ではマクラーレン・F1GTRを駆り総合2位GT1クラス優勝を果たした。1997年からは活動の場を主に日本に戻し、「TEAM FCJ FERRARI」(チーム・フェラーリ・クラブ・オブ・ジャパン)からエントリー、太田哲也と組み全日本GT選手権を戦った。しかし翌年の1998年に富士スピードウェイで開催された全日本GT選手権第2戦で、ペアを組んでいた太田が瀕死の重傷を負う大事故に見舞われた事からチームの参戦継続が困難となった。1999年はNISMOから本山哲の代わりとして第2戦富士に参戦した。この年をもって帰国、現役を去った。
引退後
編集現役引退後は母国でレーシングドライバーの育成やマネージメントに尽力。2008年1月22日、自宅で就寝中に死去。55歳没[1]。
人物
編集長くコンビを組んだ長谷見昌弘は、「オロフソンはレースから離れると品の良い紳士で、日本の文化に順応できていた。納豆やウニなども好んで食べられるんですよ。」と述べている。またレーシングドライバーとしての評価も「決勝レースで速いラップタイムを正確に刻み続けることが出来る。雨の日でも真夏の暑い日でも、途中でタイムが落ちてしまうということが無い。タイヤの使い方も上手で、計算できる最高のパートナーでした。」と称えている[2]。
レース戦績
編集ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権
編集年 | エントラント | シャシ | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1975年 | ローテル・レーシング | GRD・373 | フォード | MON DNQ |
NÜR | 10位 | 6 | |||||||||||||||
アンデルス・オロフソン | AND 8 |
MNZ 7 |
CET | DJU 2 |
||||||||||||||||||
1976年 | Viktor Trave | NÜR 25 |
ZAN 18 |
AVU Ret |
NC | 0 | ||||||||||||||||
Viking TH1A | トヨタ 2T-G | MAN DNQ |
PER | MNZ | CET | |||||||||||||||||
マーチ・753 | KAS DNQ |
KNU 7 |
VLL | |||||||||||||||||||
1977年 | パス・オ・カラムジーンズ・レーシング | ラルト・RT1 | トヨタ・2T-G | G | LEC 4 |
NÜR DNS |
ZAN 1 |
ZOL Ret |
ÖST 1 |
IMO 5 |
PER | MNZ 15 |
CET 6 |
KNU 1 |
KAS 3 |
DON 8 |
JAR 4 |
VLL | 2位 | 46 | ||
1978年 | ストライクアップ・レーシング | G | ZAN 4 |
NÜR 1 |
ÖST 1 |
ZOL 2 |
IMO 3 |
NÜR Ret |
DIJ 3 |
MNZ Ret |
PER 3 |
MAG 10 |
KNU 1 |
KAR 2 |
DON 5 |
KAS 1 |
JAR 2 |
VLL 7 |
2位 | 71 | ||
1979年 | アンデルス・オロフソン | VLL | ÖST DNS |
ZOL | MAG | DON DNS |
ZAN | PER | MNZ | KNU 2 |
KIN | JAR | KAS | 13位 | 6 | |||||||
1980年 | マルティニ・Mk31 | NÜR | ÖST | ZOL | MAG | ZAN | LAC | MUG | MNZ | MIS | KNU Ret |
SIL | JAR | KAS | ZOL | NC | 0 |
ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権
編集年 | エントラント | シャシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1979年 | BMWジュニアチーム | マーチ・792 | BMW M12/7 | SIL | HOC | THR | NÜR | VLL | MUG | PAU | HOC | ZAN 15 |
PER | MIS | DON | NC | 0 |
1981年 | アンデルス・オロフソン | ハート | SIL DNS |
HOC | THR | NÜR | VLL | MUG | PAU | PER | SPA | DON | MIS Ret |
MAN 9 |
NC | 0 |
全日本ツーリングカー選手権(JTC)
編集年 | チーム | コドライバー | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986年 | RAS | ジョニー・チェコット | ボルボ・240 | DIV.3 | NIS | SUG | TSU | SEN | FSW 1 |
SUZ | |||||
1987年 | ロバート・L・クヴィスト | DIV.3 | NIS | SEN | TSU Ret |
SUG Ret |
|||||||||
リコー NISMO | 星野一義(Rd.5) グレン・セトン(Rd.6) |
日産・スカイラインGTS-R | DIV.3 | FSW 9 |
SUZ 4 |
||||||||||
1988年 | 鈴木亜久里 都平健二(Rd.3-4) |
JTC-1 | SUZ 1 |
NIS 1 |
SEN 4 |
TSU 3 |
SUG 7 |
FSW Ret |
134 | ||||||
1989年 | ハセミモータースポーツ | 長谷見昌弘 | JTC-1 | NIS 4 |
SEN 2 |
TSU 1 |
SUG 1 |
SUZ 1 |
FSW Ret |
1位 | 161 | ||||
1990年 | 長谷見昌弘 | 日産・スカイラインGT-R | JTC-1 | SUG 2 |
SUZ 2 |
TSU 1 |
SEN Ret |
AUT 2 |
FSW 2 |
3位 | 160 | ||||
1991年 | 長谷見昌弘 | JTC-1 | SUG 2 |
SUZ 1 |
TSU 1 |
SEN 2 |
AUT 1 |
FSW 4 |
1位 | 200 | |||||
1992年 | Kyoseki GP-1プラス NISMO | 木下隆之 | JTC-1 | TAI 5 |
AUT 1 |
SUG 2 |
SUZ 4 |
MIN NC |
TSU 3 |
SEN 2 |
FSW 1 |
3位 | 100 | ||
1993年 | 一ツ山レーシング | 一ツ山康 | BMW・M3 | JTC-2 | MIN | AUT 3 |
17位 | 12 | |||||||
カルソニックIMPUL | 影山正彦 | 日産・スカイラインGT-R | JTC-1 | SUG 2 |
SUZ | TAI | TSU | TOK | SEN | FSW | 15位 | 15 |
BPRグローバルGTシリーズ
編集年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994年 | ストランデル | フェラーリ・F40 GTE | GT1 | PRI | JAR Ret |
DIJ 8 |
PAR Ret |
VLL 1 |
SPA 2 |
SUZ Ret |
ZHU | NC | 0 | ||||
1995年 | エネアSRL・イゴル | GT1 | JER |
PRI |
MNZ 3 |
JAR Ret |
NÜR Ret |
DON | PAR Ret |
AND Ret |
SUZ 3 |
SIL 3 |
NOG Ret |
ZHU Ret |
18位 | 87 | |
1996年 | GT1 | PRI 2 |
MNZ Ret |
JAR Ret |
SIL 7 |
NÜR Ret |
AND 1 |
SUZ 2 |
BRH 5 |
SPA 4 |
NOG 4 |
ZHU 8 |
4位 | 164 |
FIA GT選手権
編集年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | ガルフ・チーム・ダビドフ | マクラーレン・F1-GTR | GT1 | HOC | SIL | HEL | NÜR Ret |
SPA Ret |
A1R 5 |
SUZ 3 |
DON 7 |
MUG 8 |
SEB 10 |
LAG 6 |
16位 | 7 |
(key)
全日本GT選手権
編集年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | タイヤ | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | TEAM FERRARI CULB of JAPAN | 太田哲也 | フェラーリ・F355 | Y | GT300 | SUZ 11 |
FSW 4 |
SEN | FSW 2 |
MIN | SUG Ret |
9位 | 25 | |
1998年 | 太田哲也 | Y | GT300 | SUZ Ret |
FSW | SEN | FSW | TRM | MIN | SUG | NC | 0 | ||
ESSO INGING | 高木真一 | トヨタ・スープラ | B | GT500 | SUZ | FSW C |
SEN | FSW | TRM | MIN | SUG | NC | 0 | |
1999年 | PENNZOIL NISMO | エリック・コマス | 日産・スカイラインGT-R | B | GT500 | SUZ | FSW 5 |
SUG | MIN | FSW | TAI | TRM | 21位 | 8 |
(key)
ル・マン24時間レース
編集年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1987年 | 伊太利屋スポーツ | アラン・フェルテ パトリック・ゴーニン |
日産・R86V | C1 | 86 | DNF | DNF |
1988年 | 伊太利屋スポーツ チーム・ル・マン |
ランベルト・レオーニ 森本晃生 |
マーチ・88G-日産 | C1 | 69 | DNF | DNF |
1989年 | チーム・ル・マン クラージュ・コンペティション |
和田孝夫 森本晃生 |
マーチ・88G-日産 | C1 | 221 | DNF | DNF |
1990年 | チーム・ル・マン | 和田孝夫 マウリツィオ・サンドロ・サーラ |
日産・R89C | C1 | 182 | DNF | DNF |
1991年 | クラージュ・コンペティション | ジョニー・ダンフリーズ トーマス・ダニエルソン |
クーガー・C26S-ポルシェ | C2 | 45 | DNF | DNF |
1994年 | ストランデル オーベルマイヤー・レーシング |
マックス・アンジェレッリ サンドロ・アンジェラストロ |
フェラーリ・F40 | GT1 | 51 | DNF | DNF |
1995年 | エネアSRL・イゴル フェラーリ・クラブ・イタリア |
ルキアーノ・デラ=ノース 太田哲也 |
フェラーリ・F40 GTE | GT1 | 42 | DNF | DNF |
1996年 | エネアSRL・イゴル | ルキアーノ・デラ=ノース カール・ローゼンブラッド |
フェラーリ・F40 GTE | GT1 | 98 | DNF | DNF |
1997年 | ガルフ・チーム・ダビドフ GTCレーシング |
ジャン=マルク・グーノン ピエール=アンリ・ラファネル |
マクラーレン・F1 GTR | GT1 | 360 | 2位 | 1位 |
スパ・フランコルシャン24時間レース
編集年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1987年 | バストス・トヨタ・チーム | ピエール=アラン・ティーポ エリック・バシュラール |
トヨタ・スープラ | DV.3 | 346 | DNF | DNF |
1988年 | ニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパ | アラン・グライス ウィン・パーシー |
日産・スカイラインGT-SR | DV.3 | 482 | 6位 | 4位 |
1991年 | チーム・ゼクセル | 服部尚貴 デビッド・ブラバム |
日産・スカイラインGT-R | A/DV.3 | 517 | 1位 | 1位 |
1992年 | NISMO | 長谷見昌弘 デビッド・ブラバム |
A/Div.3 | 102 | DNF | DNF | |
1998年 | 日産・ベルギー・ターボ・チーム | ヴィンセント・フォッセ アンソニー・レイド |
日産・プリメーラ | SP | DNF | DNF | |
1999年 | 日産・ベルギー | アラン・クーディニ ディディエ・デフォールニ |
SP | DNF | DNF |
デイトナ24時間レース
編集年 | チーム | コ・ドライバー | 車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1992年 | NISMO | 星野一義 長谷見昌弘 鈴木利男 |
日産・R91CP | LM | 762 | 1位 | 1位 |
脚注
編集- ^ 日本のレースにも縁が深いアンダース・オロフソン氏逝去 MotorSports Forum 2008年1月25日
- ^ アンデルス・オロフソン、彼は最高のパートナーだった 日本ダンロップ
タイトル | ||
---|---|---|
先代 コニー・リュングフェルド |
スウェーデンF3選手権 1977年 |
次代 アンデルス・オロフソン |
先代 アンデルス・オロフソン |
スウェーデンF3選手権 1978年 |
次代 スリム・ボルグッド |