アメリカ空軍参謀総長
アメリカ空軍参謀総長(Chief of Staff of the United States Air Force)はアメリカ空軍における最高位の軍人であり、アメリカ合衆国及び海外で勤務する70万以上の現役・州兵・予備役・軍属の、編成・訓練・装備に関して責任を負う。
アメリカ空軍参謀総長
Chief of Staff of the Air Force | |
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アメリカ空軍参謀総長紋章 | |
アメリカ空軍参謀総長旗 | |
組織 | アメリカ合衆国空軍省 |
所属機関 | アメリカ統合参謀本部 |
上官 | アメリカ合衆国空軍長官 |
任命 | アメリカ合衆国大統領 上院の承認 |
任期 | 4年 戦争または国家緊急事態の間のみ、1回更新可能 |
根拠法令 | 合衆国法典第10編第9033条 10 U.S.C. § 9033 |
前身 | アメリカ陸軍航空軍司令官 |
創設 | 1947年9月26日 |
初代 | カール・スパーツ大将 |
略称 | CSAF AF/CC |
職務代行者 | 空軍参謀次長 |
ウェブサイト | Official Website |
任期は4年であり、上院の助言と承認(advice and consent)のもと、大統領が任命する[1]。有事においては、4年以上の任に就くことができる[1]。在任中は、大将の階級があてられる[1]。
統合参謀本部の一員として、他の参謀総長や各軍種の長と同じように、国防長官や国家安全保障会議、アメリカ合衆国大統領への軍事顧問としての職務を担う[2]。 他の軍種の参謀総長等と同様に、軍事作戦上の指揮権限を有しない。
現在の空軍参謀総長は、デビッド・W・アルヴィン空軍大将。
歴代アメリカ空軍参謀総長
編集代 | 写真 | 氏名 | 階級 | 在任期間 | 出身校 | 前職 | 後職 | バックグラウンド | 備考 | |
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着任 | 退任 | |||||||||
1 | カール・スパーツ | 空軍大将 | 1947年9月26日 | 1948年4月29日 | 陸軍士官学校 | 陸軍航空軍総司令官 | 民間航空パトロール団司令官 | 戦闘機パイロット(第一次世界大戦で3機撃墜) | ||
2 | ホイト・ヴァンデンバーグ | 空軍大将 | 1948年4月30日 | 1953年6月29日 | 陸軍士官学校 | 空軍参謀次長 | 戦闘機および戦術爆撃機パイロット | |||
3 | ネーサン・トワイニング | 空軍大将 | 1953年6月30日 | 1957年6月30日 | 陸軍士官学校 | 空軍参謀次長 | 統合参謀本部議長 | 戦闘機および爆撃機パイロット | ||
4 | トーマス・D・ホワイト | 空軍大将 | 1957年7月1日 | 1961年6月30日 | 陸軍士官学校 | 空軍参謀次長 | 戦闘機パイロット | |||
5 | カーチス・ルメイ | 空軍大将 | 1961年6月30日 | 1965年1月31日 | オハイオ州立大学(ROTC) | 空軍参謀次長 | 重爆撃機パイロット | |||
6 | ジョン・マコンネル | 空軍大将 | 1965年2月1日 | 1969年7月31日 | 陸軍士官学校 | 空軍参謀次長 | 戦闘機パイロット | |||
7 | ジョン・ライアン | 空軍大将 | 1969年8月1日 | 1973年7月31日 | 陸軍士官学校 | 空軍参謀次長 | 爆撃機パイロット | |||
8 | ジョージ・ブラウン | 空軍大将 | 1973年8月1日 | 1974年6月30日 | 陸軍士官学校 | 空軍システム集団司令官 | 統合参謀本部議長 | 爆撃機パイロット | ||
9 | デイヴィッド・ジョーンズ | 空軍大将 | 1973年8月1日 | 1974年6月30日 | マイノット州立大学(中退) | 在欧アメリカ空軍司令官 兼 NATO中央ヨーロッパ連合空軍司令官 |
統合参謀本部議長 | 爆撃機パイロット | ||
10 | ルー・アレン | 空軍大将 | 1978年7月1日 | 1982年6月30日 | 陸軍士官学校 | 空軍参謀次長 | NASAジェット推進研究所長 | 爆撃機パイロット | ||
11 | チャールズ・ゲイブリエル | 空軍大将 | 1982年7月1日 | 1986年6月30日 | 陸軍士官学校 | 在欧アメリカ空軍司令官 兼 NATO中央ヨーロッパ連合空軍司令官 |
戦闘機パイロット(朝鮮戦争で2機撃墜) | |||
12 | ラリー・ウェルチ | 空軍大将 | 1986年7月1日 | 1990年6月30日 | リベラル高校(カンザス州) | 戦略航空軍団司令官 | 戦闘機パイロット | |||
13 | マイケル・デューガン | 空軍大将 | 1990年7月1日 | 1990年9月17日 | 陸軍士官学校 | 在欧アメリカ空軍司令官 兼 NATO中央ヨーロッパ連合空軍司令官 |
国立多発性硬化症協会総裁 | 戦闘機パイロット | 最後の陸軍士官学校卒の参謀総長。
イラクのクウェート侵攻に関する問題発言により、就任から僅か2ヶ月半で罷免。 | |
代行 | ジョン・ロー | 空軍大将 | 1990年9月18日 | 1990年10月29日 | 空軍士官学校 | 空軍参謀次長 | 戦術空軍司令官 | 戦闘機パイロット | ||
14 | メリル・マクピーク | 空軍大将 | 1990年10月30日 | 1994年10月25日 | サンディエゴ州立大学(ROTC) | 太平洋空軍司令官 | 戦闘機パイロット(サンダーバーズ) | 1993年7月15日から8月5日にかけて、空軍長官代行を兼任。 | ||
15 | ロナルド・フォグルマン | 空軍大将 | 1994年10月26日 | 1997年9月1日 | 空軍士官学校 | 輸送軍司令官 | 戦闘機パイロット | 初の空軍士官学校卒の参謀総長。 | ||
16 | マイケル・ライアン | 空軍大将 | 1997年11月6日 | 2001年9月6日 | 空軍士官学校 | 在欧アメリカ空軍司令官 兼 NATO中央ヨーロッパ連合空軍司令官 |
戦闘機パイロット | 第7代空軍参謀総長ジョン・ライアン大将の子。
スターゲイトSG-1にも一度だけゲスト出演 | ||
17 | ジョン・ジャンパー | 空軍大将 | 2001年9月6日 | 2005年9月2日 | ヴァージニア軍学校(ROTC) | 航空戦闘集団司令官 | 輸送機および戦闘機パイロット | |||
18 | ティード・マイケル・モーズリー | 空軍大将 | 2005年9月2日 | 2008年6月5日 | テキサスA&M大学(ROTC) | 空軍参謀次長 | 戦闘機パイロット | マイノット事件など在任中に発生した不祥事の責任を取る形で、任期を1年あまり残し辞任。ただし、後任者が白紙だったことから、混乱を避けるため2008年8月1日まで空軍参謀総長代行を務める。 | ||
19 | ノートン・シュワルツ | 空軍大将 | 2008年8月12日 | 2012年8月10日 | 空軍士官学校 | 輸送軍司令官 | 輸送機および特殊作戦機パイロット | 初の戦闘機・爆撃機パイロットを経験したことのない参謀総長。 | ||
20 | マーク・ウェルシュ | 空軍大将 | 2012年8月10日 | 2016年6月24日 | 空軍士官学校 | 在欧アメリカ空軍司令官 | 戦闘機および攻撃機パイロット | |||
21 | デービッド・ゴールドファイン | 空軍大将 | 2016年7月1日 | 2020年8月6日 | 空軍士官学校 | 空軍参謀次長 | 爆撃機パイロット | |||
22 | チャールズ・ブラウン・ジュニア | 空軍大将 | 2020年8月6日 | 2023年9月29日 | テキサス工科大学(TTU) | 太平洋空軍司令官 | 戦闘機、爆撃機、燃料補給機、貨物 | 有色人種初の空軍参謀総長。
統合参謀本部入りも有色人種ではコリン・パウエルに次いで2人目。 | ||
デビッド・W・アルヴィン | 空軍大将 | 2023年9月29日 | 2023年11月2日 | 空軍士官学校 | 空軍参謀次長職のまま職務代行 | 輸送機 | ||||
23 | 2023年11月2日 | 在任中 | 空軍参謀次長 |