1882, 福沢諭吉, 物理学の要用:
1887, 二葉亭四迷, 浮雲:
1891, 巌谷小波, こがね丸:
1894, 井上円了, 甲州郡内妖怪事件取り調べ報告:
1896, 広津柳浪, 今戸心中:
1897, 清水紫琴, 誰が罪:
1899, 泉鏡花, 黒百合:
1900, 国木田独歩, 小春:
どうせこれが人の運命だろう、その証拠には自分の友人の中でも随分自分と同じく、自然を愛し、自然を友として高き感情の中に住んでいた者もあったが、今では立派な実際家になって、他人のうわさをすれば必ず『彼奴は常識が乏しい』とか、『あれは事務家だえらいところがある』など評し、以前の話が出ると赤い顔をして、『あの時はお互いにまだ若かった』と頭をかくではないか。- (please add an English translation of this quotation)
1901, 黒岩涙香, 幽霊塔:
其の後は此の主人が幽霊に成って出ると云う事で元は時計塔と云ったのが幽霊塔と云う綽名で通る事と為り、其の後の時計塔は諸所に出来た者だから、単に時計塔とばかりでは分らず公の書類にまで幽霊塔と書く事に成った、勿論ドエライ宝が有ると云う言い伝えの為にも其の後此の塔を頽そうかと目論む者が有ったけれど、別に証拠の無い事ゆえ頽した後で若し宝が出ねば詰まらぬとて、今以て幽霊塔は無事で居る。- (please add an English translation of this quotation)
1903, 斎藤緑雨, もゝはがき:
なまけ者の証拠と存候この仕方がない時江川の玉乗りを見るに定めたる事有之候、飛離れて面白いでもなく候へどもほかの事の仕方がないにくらべ候へばいくらか面白かりしものと存候たゞ其頃小生の一奇と致候は萬場の観客の面白げなるべきに拘らず、面白げなる顔色の千番に一番捜すにも兼合と申すやらの始末なりしに候度々の実験なれば理窟は申さず、今も然なるべくと存候愈々益々然なるべくと存候。- (please add an English translation of this quotation)
1906, 石川啄木, 葬列:
1907, 新渡戸稲造, 教育家の教育:
1908, 伊藤左千夫, 浜菊:
1909, 鈴木鼓村, 二面の箏:
姫は仆れながらに、ひらりと箏を持ってそれをうけている、箏は斜めに切れて、箏柱が散々にはずれてそこらに飛び乱れ、不思議にもそのきられた十三本の絃の先が皆小蛇になって、各真紅の毒舌を出しながら、悪徒の手といい足といい首胴の差別なく巻き付いている、髪面の悪徒は苦しそうな顔をして悶き苦しんでいるというような絵を見た事があるが、自分は幼な心にも物凄く覚えて、箏というものに対して何だか一種凄い印象が今日まで深く頭に刻み付けられているのだ、論より証拠、寺の座敷か、御殿の様な奥まった広い座敷の床の間へでもこれを立て懸けておいて御覧なさい、随分いやな感のするものだ。- (please add an English translation of this quotation)
1910, 小寺菊子, 河原の対面:
「金力」で為造の或嫌疑が晴らされるものなら、残りの財産の全部を擲つてもいゝ――さう思つて出来る限りの奔走をしたのだが、若し何としても動かすことの出来ない有力な証拠が現はれたらどうしよう――と舅嫁は胸をとゞろかせて出て行つたのであつた。- (please add an English translation of this quotation)
1911, 徳冨蘆花, 謀叛論(草稿):
1912, 永井荷風, 妾宅:
論より証拠、先ず試みに『詩経』を繙いても、『唐詩選』、『三体詩』を開いても、わが俳句にある如き雨漏りの天井、破れ障子、人馬鳥獣の糞、便所、台所などに、純芸術的な興味を托した作品は容易に見出されない。- (please add an English translation of this quotation)
1914, 夏目漱石, 私の個人主義:
それをこの春から十一月までも待って聴いて下さろうというのは、とりも直さず、私が学習院の教師に落第して、あなたがたから目黒の秋刀魚のように珍らしがられている証拠ではありませんか。- (please add an English translation of this quotation)
1916, 森鴎外, 伊沢蘭軒:
1917, 原勝郎, 東山時代における一縉紳の生活:
1918, 折口信夫, 鸚鵡小町:
1919, 芥川龍之介, 開化の良人:
1920, 菊池寛, 真珠夫人:
1921, 寺田寅彦, アインシュタイン:
1922, 小酒井不木, 科学的研究と探偵小説:
1923, 甲賀三郎, 真珠塔の秘密:
1924, 宮沢賢治, 鹿踊りのはじまり:
その証拠には、頭も耳も眼もみんなそっちへ向いて、おまけにたびたび、いかにも引っぱられるように、よろよろと二足三足、環からはなれてそっちへ寄って行きそうにするのでした。- (please add an English translation of this quotation)
1925, 宮本百合子, 或る日:
その一層明らかな証拠には、いつも活溌に眼を耀かせ、彼を見るとすぐにも悪戯の種が欲しいと云うような顔をする彼女が、今朝は妙に大人びて、逆に彼を労り、母親ぶり「貴女に判らないこともあるのですよ」と云いたげな口つきをしているではないか。- (please add an English translation of this quotation)
1926, 葉山嘉樹, 乳色の靄:
1927, 渡辺温, 恋:
その証拠には、青年は殊の外なる臆病者と見えて、彼女とそこで顔を合わせるや、いつでも真赤になって、そっぽ向いて、ひたすら海や松林の景色なぞ、あらぬ方ばかりを眺めるのです。- (please add an English translation of this quotation)
1928, 岡本綺堂, 白髪鬼:
ただ判りかねるのは、伊佐子さんがなぜあの猫の死を証拠にして、山岸が自分たち親子を毒殺しようと企てたなどと騒ぎ立てたかということですが、それも失恋から来た一種のヒステリーであるといえばそれまでのことで、深く詮議する必要はなかったのかも知れません。- (please add an English translation of this quotation)
1929, 小林多喜二, 蟹工船:
1930, 佐々木味津三, 老中の眼鏡:
1931, 海野十三, 省線電車の射撃手:
1932, 戸坂潤, イデオロギー概論:
1933, 三木清, 書物の倫理:
1934, 喜田貞吉, 法隆寺再建非再建論の回顧:
1935, 徳田秋声, チビの魂:
1936, 北條民雄, 眼帯記:
これだけの肉体的苦痛、それを背負って、しかも狂いもせず生きているということは、それだけでも健康、何ものにも勝って健康である証拠ではないか! 肉体的不健康など問題ではない。- (please add an English translation of this quotation)
1937, 酒井嘉七, 京鹿子娘道成寺:
記された事件の内容は、絢爛たる歌舞伎の舞台に、『京鹿子娘道成寺』の所作事を演じつつある名代役者が、蛇体に変じるため、造りものの鐘にはいったまま、無人の内部で、何者かのために殺害され、第一人称にて記された人物が、情況、及び物的証拠によって、犯人を推理する――というのである。- (please add an English translation of this quotation)
1938, 島崎藤村, 新生:
1939, 金史良, 光の中に:
1940, 田中英光, オリンポスの果実:
みんな出立ちは甲斐々々しく、ラウドスピイカアも、「これより、オリムピック・クルウの独漕があります」と華々しく放送してくれたのでしたが、橄欖の翠りしたたるオリムピアがすでに昔に過ぎ去ってしまった証拠には、みんなの面に、身体に、帰ってからの遊蕩、不節制のあとが歴々と刻まれ、曇り空、どんより濁った隅田川を、艇は揺れるしオォルは揃わぬし、外から見た目には綺麗でも、ぼくには早や、落莫蕭条の秋となったものが感ぜられました。- (please add an English translation of this quotation)
1941, 田畑修一郎, 医師高間房一氏:
1942, 石原莞爾, 最終戦争論・戦争史大観:
ある日シュリーフェンはオランダの中立を犯す決心であったろうと問うたところ、何故かと謂うから色々理由を述べ、特に戦史課長フェルスター中佐の著書等にシュリーフェンがアントワープ、ナムールの隘路を頻りに苦慮するが、それより前にリェージュ、ナムールの大隘路があるではないか、それを問題にしないのはオランダの中立侵犯の証拠であると詰り、フェルスター課長に聞いて来るように要求した。- (please add an English translation of this quotation)
1943, 新美南吉, 百姓の足、坊さんの足:
1944, 織田作之助, 螢:
ところが悪いことは続くもので、その年の冬、椙が八年ぶりにひょっくり戻ってくるとお光を見るなり抱き寄せて、あ、この子や、この子や、ねえさんこの子はあての子どっせ、七年前に寺田屋の軒先へ捨子したのは今だからこそ白状するがあてどしたんえという椙の言葉に、登勢はおどろいてお光を引き寄せたが証拠はこの子の背中に……といわれるともう登勢は弱かった。- (please add an English translation of this quotation)
1945, 太宰治, お伽草紙:
1946, 加藤道夫, なよたけ:
1947, 風巻景次郎, 中世の文学伝統:
1948, 蒲原有明, 鴎外を語る:
1949, 永井隆, この子を残して:
1950, 坂口安吾, 水鳥亭:
1951, 岸田國士, 演劇の様式――総論:
その面白い証拠として、例えば、チェーホフの『桜の園』や、ポルト・リシュの『過去』などという、一見「悲劇的」とさえ思われる戯曲が、作者自身によつて、はつきり、「喜劇」と名づけられていることを指摘すればよい。- (please add an English translation of this quotation)
1952, 三好十郎, 抵抗のよりどころ:
1953, 片山廣子, L氏殺人事件:
1954, 服部之総, 明治の五十銭銀貨:
その証拠に、秤の一方に一分銀を一方にドル銀をのせて、三百十一個対百枚という比率が双方で確認され、この条約を継承した明治政府も、これに従うほかはないことになる。- (please add an English translation of this quotation)
1955, 邦枝完二, おせん:
1956, 伊藤永之介, 押しかけ女房:
1957, 和辻哲郎, 麦積山塑像の示唆するもの:
この塑像の様式がどういう道筋を通って推古仏の様式として現われて来たかについては、わたくしは何をいう権利も持たないのであるが、しかし証拠はなくとも、ここに推古仏の源流を認めてよいのではなかろうか。- (please add an English translation of this quotation)
1959, 北大路魯山人, 小生のあけくれ: