米原市
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米原 |
米原市の噂[編集 | ソースを編集]
- 滋賀県で最も人口の少ない市。
- しかし全国には、米原市より人口が少ない市が150以上ある。
- 各都道府県で最も人口の少ない市の中では6番目に人口が多い(1位は大阪の四條畷市)。
- 交通の要衝だからか、人口に対して知名度は圧倒的に高い。
- 「まいはら」「まいばら」は地元住民でも違いが分からない。
- 市名は「まいはら」、駅名は「まいばら」。
- 駅に興味のない友人が「よなばら」「こめはら」って言ってた。
- 福井、石川での知名度は極めて高い。
- 駅名・IC名・JCT名などで読み方が異なり混乱している。
- 米原町時代は「まいはらちょう」だったが、市になってからは「まいばらし」。
- 駅名・滋賀県立米原高等学校・米原市立米原中学校・小学校は「まいばら」。
- 高速道路のIC・JCT名は「まいはら」。
- 駅名・滋賀県立米原高等学校・米原市立米原中学校・小学校は「まいばら」。
- 米原町時代は「まいはらちょう」だったが、市になってからは「まいばらし」。
- 駅以外の話題がほとんど無い。
- 大津市より岐阜市の方が近い。
- 新聞見出しの米原発(アメリカの原子力発電所)、米原潜(アメリカの原子力潜水艦)に反応してしまう。
- 2017年、「米原発子会社」の文字を新幹線車内の電光掲示板で見てどこの子会社の話かと思った。東芝のアレでした。
- 「こめはら」と読むと殺される
- さすがに殺されはしないでしょ…(汗)
- 「舞原」と書くと殺される
- 「よねはら」と読んだ日にゃ村八分にされる
- L'Arc〜en〜Cielファンにとっての聖地の1つなのだが、この場合和歌山市の力が大きすぎる…。
- ピンポイントでメンバーを2人も排出した割に地味。
- hydeは和歌山市の観光大使だしね...
- ピンポイントでメンバーを2人も排出した割に地味。
- 2005年2月14日に坂田郡米原町・伊吹町・山東町が新設合併して発足。
- さらに05年10月1日に坂田郡近江町を編入合併、坂田郡は消滅した。
旧米原町の噂[編集 | ソースを編集]
- 県内唯一の新幹線駅があるが、駅だけ立派で駅の規模と駅前の光景が全く釣り合っていない。
- 特に東口は悲惨
- 岐阜羽島にも負けてる。
- 新幹線駅なのに地平駅。電車は高架から降りて、また高架に上っていく。
- 名古屋からだと、新快速を乗り継いだ方が向かいのホームで楽だったりする。
- 駅前の有料駐車場の料金と駅からの距離との反比例関係が呆れるほど分かりやすい。
- 実は田舎。
- というより、そもそも米原は「新幹線が停まるのに田舎」として有名。
- 発展しなかったのは、駅西の広大な土地が農業干拓地だったから。
- 長浜の曳山祭りは有名だが、米原の曳山祭りは有名じゃない。
- ヒロ・ヤマガタ氏の出身地。
- L'Arc~en~Cielのkenやtetsuの出身地。
- 三蔵法師の出身地でもある。
- 続きは出身の地域である醒井の項目で……
- 旧米原町時代は、同じ町内にあるハズの米原駅から醒ヶ井駅に行こうとすると、絶対に隣接する旧近江町か彦根市を通らなければ行けなかった。
- 米原虫がうじゃうじゃ地面からわいてくる
- 米原虫って?
- ブヨのことだと思われ。さされるとエライ腫れるらしいで。
- 米原高校(通称・まいこー)の生徒は、彦根人も長浜人もみな米原駅前の平和堂を「まいへー」と呼ぶ。
- 米高の理数科は、彦根東並みとされる。
- 堂夢の本社がある。
- 童夢レーシングチームね。JR総合研究所の風洞が先にできている。WIN350やSTAR21が見える。
- 東海道新幹線最高速アタックは、米原~京都間。直線で人家が少ないのだろう。
- 静岡~浜松も。
- もともと長浜よりも彦根志向だったと思う。
醒井[編集 | ソースを編集]
- 東洋一の醒ヶ井養鱒場で有名。
- その醒ヶ井養鱒場で養殖されたニジマスを使用しているのが、米原駅の駅弁である元祖鱒寿し。
- 醒ヶ井養鱒場には、「リオデジャネイロまで○km↓」と地面に矢印が向いている看板がある。
- 同様に「月まで○km↓」と空に矢印が向いている看板がある。
- 醒ヶ井養鱒場には、「リオデジャネイロまで○km↓」と地面に矢印が向いている看板がある。
- 周辺は紅葉の名所も多い。
- その醒ヶ井養鱒場で養殖されたニジマスを使用しているのが、米原駅の駅弁である元祖鱒寿し。
- 最近、醒井が名水の里として少し脚光を浴びてきている。
- 居醒の清水という古来より伝わる名泉があるからねえ。
- 居醒の清水は環境省選定「平成の名水百選」の1つ。
- 古事記や日本書紀にも出てくる名水。今は石垣の奥から、ぶくぶくと水が湧く。
- その昔、東国から戻ってきた日本武尊が熱病に倒れた時、体毒を洗い流した霊水と伝わる。
- 今でもすぐ近くに水汲み場があるが、すぐ近くの地蔵尊の境内で、地中からぶくぶくと水が湧いており、そこで汲む。
- 土管も何もないところなので、抵抗感を示す人もおるかもしれんけど、安全性だけで言うたら、イトヨが泳ぐほどやさかい、まあ大丈夫やろ。
- 居醒の清水は環境省選定「平成の名水百選」の1つ。
- 年間を通して地蔵川の水温は約14度程度に保たれている。居醒の清水を始めとする鈴鹿山脈北端部の湧水のおかげ。
- そんな地蔵川には、夏場、梅花藻という藻が花を咲かせる。これ、ものすごくきれいな水でないと繁殖しないそうです。
- ハリヨという希少種の淡水魚も泳ぐ。
- 今、地蔵川にいるのはイトヨとの交雑種。純粋なハリヨは、もう岐阜の西濃地方でしか見られない。
- 居醒の清水という古来より伝わる名泉があるからねえ。
- 三蔵法師の出身地でもある。
- “三蔵法師”は、中国皇帝が高僧に与えた称号のこと。中国へ渡って、経を漢訳して皇帝から日本人で唯一“三蔵法師”の称号を与えられ、帰国後米原に寺院を開いた米原出身の僧がいた。
- 霊仙は帰国していません。唐土で客死しています。
- “霊仙三蔵”と言う名前です。
- “三蔵法師”は、中国皇帝が高僧に与えた称号のこと。中国へ渡って、経を漢訳して皇帝から日本人で唯一“三蔵法師”の称号を与えられ、帰国後米原に寺院を開いた米原出身の僧がいた。
- 醒井には醒井峡谷という峡谷もある。
- 言っとくけど、国の名勝やで~~。
- 実はもともとは、醒井宿という中山道の宿場町。
- 色々復元されていて、見ごたえがある。
- 喜代治商店という醤油醸造所の醤油ソフトクリームが美味い。
- 醤油は醒井の湧き水を使って作っているとか。
- 霊仙山の水神と参詣者の仏縁を結ぶ地だったとかで、東山道沿いに町ができたとか。
- 江戸期に中山道の整備に伴い宿場町になった。
息郷[編集 | ソースを編集]
- 米原JCTの裏手、地名でいうと三吉のあたりにアイリスオーヤマややまや、アストラゼネカの工場がある。
- 久禮の一里塚跡などの史跡も残る。
番場[編集 | ソースを編集]
- "番場の忠太郎"で、プチ氷川きよしブーム。
- 番場という集落がある。よくある便乗か…と思いきや正真正銘の忠太郎の出身地である。(ただし、架空の人物)
- 「忠太郎食堂」がある。最近新しくなったみたいなので、繁盛しているのか?
- 「忠太郎食堂」は、国道21号線から番場へ通じる道の入り口にあるけど、住所は番場ではありません。そこから1Kmくらい入ったところが番場です。
- 聖徳太子が建てたお寺がある。当時は奈良と同じ“法隆寺”と言う名前だったが、今は“蓮華寺”。浄土宗の本山です。
- “番場の忠太郎”で有名な番場にあるため、裏側に“忠太郎地蔵尊”がある。
- 南北朝の戦いの時に境内で北条仲時が集団自害(割腹自殺)し、当時の住職が全員分の墓を寺の横に作った。
- 武士が切腹するようになったルーツと言われている。
- 集団自刃者の数、なんと北条仲時以下432名!!えらいこっちゃ!
- 境内のもみじ,つつじがきれい。
- 天皇家から菊の紋章を受けている。
- 寺の山門は、天皇家が通る時と特別なとき以外閉ざされている。
- 斉藤茂吉と縁が深く、境内に句碑がある。
- 番場と息郷地区の他の集落は、小さな峠で隔てられていたが、昭和中期までは共に、息郷村を構成していた。
- 中山道沿いに道なりに進めるのはより大きな峠を越えていかなければならない鳥居本か、息郷地域のどっちかしかなかった。そう考えると一番関係が深いのは息郷地域なわけで、一緒の村だったのも分かる。
- 1964~1977年に名神高速道路の番場PAがあった。
旧山東町の噂[編集 | ソースを編集]
- 蛍が町の名物。
- 長岡地区の源氏蛍は天然記念物にも指定されている。
- 「ほたる最中」も売られている。
- 毎年、6月初旬に蛍祭りが開催されている。
- この日だけ人口密度が少し高くなる。
- ここが関西文化の最東端。
- 「俵型の稲荷寿司」「お雑煮は丸餅・味噌仕立て」などは山東の柏原地区まで。
- 中国の山東省とは無関係。
- 関西地方なのに、山東を走るJRはJR東海。
- 名古屋のテレビが映る。
- ルッチプラザの図書館が自慢。
- しかし、コンサートホールの席数を町名にひっかけて「310」としたのは町民も苦笑。
- 旧山東町役場の公用車、ナンバーが「3-10」が多数。
- 大阪南部や奈良五条では国道310号をサントーと呼ぶ。
- カモンバスも。
- しかし、コンサートホールの席数を町名にひっかけて「310」としたのは町民も苦笑。
- 大阪セメントの引き込み線があったおかげで、近江長岡駅は地味に米原駅よりも位が上だった。
- 住友大阪セメント伊吹工場撤退後は地位転落。
- 合併した四町の中で、合併前までは余裕で黒字だった…らしい。
- 合併後も加速度的に人口が増えている。
- 空き地を宅地造成で住宅団地したそばから即売れしていく。
- 「小田」が「やないだ」と読む理由、絶対に変だ。
- 三島池とグリンパーク山東という観光スポットを忘れてはいけない。
- 朝日にある観音寺も忘れてはいけない。豊臣秀吉が石田三成と出会った寺らしい。
- 伊吹高校はこの地域唯一の高等学校。しかし、旧伊吹町でも指摘されているように山東町にあるのに伊吹高校である。
- 学力は大したことはないが、スポーツに力を入れている。ホッケーが全国クラス。
- 兵庫県にも同名の自治体があったがあちらも合併で朝来市となった。
- 木曽川水系になる地域があるらしい。
柏原[編集 | ソースを編集]
- 柏原地区は意外と広い。
- 2019年時点の地名でいうと、柏原、長久寺、須川、清滝、大野木が柏原地区。
- なんと言っても、中山道江州路で随一の景観を誇る柏原宿のある街。
- 柏原宿歴史館がある。
- 岐阜方面から、赤坂→垂井→関ヶ原と緩やかな坂をだらだら上がってきて、峠を越えて1つ目の集落というのは、古の旅人にはどう見えたんだろうか?
- 国道21号を岐阜方面へ走っていていつも思うんだけど、寝物語の里と今須宿があるおかげで、柏原→今須が県境に思えない……
- 関係ないっちゃ関係ないんだけど、電気も今須には関西電力が送っているんだっけ。
- 南北朝時代に南朝方で頑張っていたバサラ大名こと佐々木道誉がなくなった土地。
- 宿場町の中には古い歴史がありそうなお寺が多い。
- 江戸時代には艾(もぐさ)の地として知られた。
- 艾というのは、お灸の原料となる草のこと。昔は十数件の艾問屋が軒を並べていたらしいが、今は1件が残るだけ。
- 毎年7月の終わり頃に「中山道柏原宿やいと祭」が行われる。
- 薬草足湯、観光人力車、灸の実演などが開かれる。どことなくジジくさいが、それがいい。
- 成菩提院は天台宗の寺院。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三傑に縁がある。
- 元は天台宗の開祖、最澄さんが、弘仁6年(815年)頃、この地に逗留したとき、成菩提院のある辺りで荒屋を見つけ寝泊まりしたのが始まりだとか。
- 鎌倉時代には、近江の御家人だった京極氏の庇護のもと、天台宗の談議所として湖北一帯に名を轟かせたとか。その後、室町時代に一度焼かれるも足利義満の寄進を受けて再建されている。
- 永禄11年(1568年)、織田信長が浅井長政と会見し同盟を結んだときにも、行き帰りにこの寺に宿泊し、何故か、浅井領内のこの寺に、150石の寺領を寄進していたりする。でも10年後に、この同盟が崩壊した結果、この辺りで、両者の小競り合いが起きて堂宇は燃えたとか。
- 秀吉も家康も、信長の前例を踏襲し、150石を寺領として与えている。因みに家康は関ケ原合戦後、このお寺により余った兵糧米200石を寄進したとか。
- 寺宝の絹本著色浄土曼荼羅、金剛雲形孔雀文磬は国指定重要文化財の品。ついでに何故かある絹本著色聖徳太子像も重要文化財指定。
- 他にも具足とか色々あるみたいよ。
- 本堂の拝観は要予約。ほかはふらっと立ち寄れるっぽい。
- 徳源院は婆娑羅大名佐々木道誉の一族、京極家の菩提寺。
- 春は枝垂れ桜が、初秋には萩が、晩秋には紅葉の色づきが見事な寺である。
- 江戸初期に丸亀藩主だった京極高豊によって色々再整備されたらしい。
- 三重塔も京極高豊が造らせたものだし、また、京極家代々の墓も、高豊が方方から集めたり、無かった人のものは補ったりしたものらしい。
長久寺[編集 | ソースを編集]
- 柏原地区の東の端。
- 今須宿との境は寝物語の里と呼ばれている。(寝物語の里の噂はこちら)
- 20軒程度の家がある集落。田舎の山里という感じの所に、なんとなく旧街道の感じがする中山道がのびている。
旧伊吹町の噂[編集 | ソースを編集]
- なんといっても滋賀県最高峰の伊吹山が自慢。
- 伊吹山が岐阜の山として紹介されると怒る。
- お手軽に山頂を極めるには、伊吹山ドライブウェイで岐阜県側からクルマで。名古屋や大垣・関ヶ原・大阪から高速バスや登山バスも運行される。
- 滋賀県では最高峰だが、岐阜県では大したことはない。理由は言わずもがな。
- すごく細長い。
- 東西は5km程度だが、南北は25kmもある。
- 大半の住民は南端部の国道365号沿線であり、北へ20km以上離れた甲津原へは行ったことない人が多い。
- 「春照」は地元住民しか読み方が分からない。
- しゅいじょう ですよね?
- え゙っ!スンジョじゃなくて?
- 「すいじょう」と読むのでは?(隣の岐阜県民より)
- 大昔は水上と書いてすいじょうと呼ばれたが、水上じゃ火事が多くなるから春照を充て字にしたDQNネーム地名。
- 蕎麦の名産地…なのだが、信州や出雲と比べると知名度の差は月とスッポン。
- 日本そばの発祥地・・・らしい。
- ちなみに地元で出来た蕎麦粉は彦根の蕎麦屋に売り、地元の蕎麦屋は長野産を使っている…らしい。
- 昔、伊吹山には「荒ぶる神」が住んでいて、ヤマトタケルに瀕死の重症を負わせたことがある。
- ヤマタノオロチも逃げてきた。祀られた神社もあるよ。
- 八坂神社
- ヤマタノオロチも逃げてきた。祀られた神社もあるよ。
- 米原市民になった事について全然実感がわかない
- 伊吹高校は旧伊吹町内になく、旧山東町内にある。
- 名神自動車道・伊吹パーキングエリアもだ。
- 三等高校じゃ一等には成れないイメージだから伊吹高校になった。
- TDLが東京都内ではなく、千葉にあるのと同じ現象かと思われる。山東高校ではダサいからだという噂も。
- 場所を旧山東町、名称は旧伊吹町の伊吹から。
- 伊吹山は薬草の産地。隣の岐阜県旧春日村とキャラがかぶる。
- eo光が使えない。
- 北部は旧東浅井郡だった。
- 萃香
- 全国ニュースで「滋賀県米原市で~」という話題が出ると、たいてい伊吹山の季節ネタだったりする。
- 路上に設置されている日本武尊の飛び出し坊やの名札に、たけるくんと書いてあったりする。
- 市内局番は大半は58局だが、旧東浅井郡域は59局。
- ちなみに市外局番は0749だが、伊吹山上は岐阜県扱いの0584。
- 1971年1月31日までは坂田郡伊吹村だった。
甲津原[編集 | ソースを編集]
- こうづはら。
- 米原市の最北端、意外にも木之本の真東に位置する。
- ここは昭和の大合併まで東浅井郡だった。
- 米原駅から30km以上離れている。
- ここへの一本道である主要県道米原本巣線は線名の割に甲津原~岐阜県揖斐川町久瀬で分断されており本巣市へ行けない。奥伊吹グランスノースキー場料金所で途切れる。
旧近江町の噂[編集 | ソースを編集]
- 買い物先はフタバヤ。
- 米原市近江に本部を置くスーパー。県北東部のみの出店のため、南部や西部の人間には全く知られていない。お惣菜が充実している。
- 少し値段設定が高めだが、肉、魚、野菜、果物など、食材のクオリティは高い。ただ、客層は年寄りが多い。
- 経営が悪化してバローに買収されて、完全子会社化したそうだ。
- 本店は、ここか、長浜かどっち?
- 双葉(そうよう)中学校を“ふたば中学校”と読まれると強く訂正する。
- でも幼稚園は“ふたば幼稚園”。
- 春日部?
- 学校給食は、近江町が一番おいしいらしい。
- でも幼稚園は“ふたば幼稚園”。
- 北陸自動車道米原インターは旧米原町でなく旧近江町にある。
- 間違い!!米原インターはちゃんと旧米原町にありました。が、米原高校は旧近江町にありました。
- 町内の坂田駅は、無人なのに新快速が停まる。
- 米原以北は新快速も各駅停車になる。
- 坂田駅は、改札が無いためにキセルが後を絶たない。
- 決して例のアホはいない。そういや、この界隈に坂田が何件あるやろか。
- 坂田さんなんて殆ど居ないよ。北村さんが圧倒的。
- 決して例のアホはいない。そういや、この界隈に坂田が何件あるやろか。
- 昔は電化されているのにディーゼルカーしか止まらなかった。しかも1日にたった4往復。
- 直流化と8号線バイパスは、長浜からの棚ぼたらしい。
- 「やんす」ラインは坂田小学校区と息長小学校区の境界線上にあるらしい。(息長小出身者が言ってた)
- 長浜と合併するつもりだったが、米原に寝返って来た。