高津区
高津区(たかつく)は、神奈川県川崎市を構成する7つの区のうちのひとつである。
川崎市の副都心・溝口(みぞのくち)があり、区名になっている高津よりも溝口のほうが断然有名である。
概要[編集]
川崎市の副都心[編集]
高津区の中心にある溝口は、東急田園都市線と南武線が通じる交通の要衝であり、武蔵小杉・新百合ヶ丘と並ぶ川崎市の副都心を自称している。もはや川崎市の一部ではなく「高津市」と称してもよいほどの繁栄ぶりである。溝口は「のくち」と略称されることが多く、独自の略称を持つことは都会の証であると地元民は自負している。
川崎市内の7つの区のなかでは、中原区につぐ人口規模を誇っており、川崎市が5区体制であった時代には、5つの区の中での人口順は首位であった。現在でも、川崎市を南北に分けた場合の北部4区(高津区・宮前区・多摩区・麻生区)のなかでは当区が人口最多となる。
「溝の口」と「溝ノ口」[編集]
東急田園都市線の駅名は「溝の口駅」であり、JR南武線の駅名は「武蔵溝ノ口駅」であるように、二つの沿線地域の文化の違いがそれぞれの駅名の決定にも多大な影響を及ぼしている。田園都市線の駅にはひらがなが用いられ、南武線の駅にはカタカナが使われている理由として、優雅な富裕層はひらがなを好み、洗練されたインテリ層はカタカナを選ぶ傾向があるとされている。南武線の駅に旧国名がついているのは、兵庫県香寺町溝口にあるJR播但線溝口駅と、鳥取県溝口町にあるJR伯備線伯耆溝口駅という先輩がいたためである。
フロシャイム川崎支部[編集]
溝口は、正義の味方・天体戦士サンレッドが活躍していることで知られ、悪の秘密結社・フロシャイムの企てる世界征服の野望を阻止している。しかし、サンレッドはヒーローとは思えないほど素行の悪い粗暴な男であり、ヴァンプ将軍率いるフロシャイム川崎支部の怪人達は、善良な市民として社会に溶け込んでいる。外見だけで善悪を判断することの難しさを示した例である。
地理[編集]
稲毛領と大川崎市の緩衝地帯[編集]
川崎市を南部・中部・北部に三区分した場合、当区は宮前区や中原区とともに中部に含まれる。川崎市中部は東急の影響下にあり、多摩区や麻生区とともに北部に分類されることもある。川崎市北部は南部と著しく気質が異なるため「偽川崎」と呼ばれることがある。高津区は中原区と並んで川崎市の地理的中心であり、北部の稲毛領民と南部の大川崎市民を隔てる緩衝地帯となっている。宇奈根・瀬田・下野毛の3地区は東京都管轄地区となっており、この地区の住民は「川崎都民」と呼ばれている。下野毛には小国家「ものづくり共和国」が日本国からの「独立」を宣言している。
ハイテクとハイソが交わるカオス地帯[編集]
溝口は、休日平日問わず勝負師が頻繁に出没するギャンブル線である南武線と、朝夕ラッシュ時に満員電車が団子運転される渋滞路線として名高い田園都市線とが交わる街である。
南武線はハイテク産業が集積する地域を走ることから「ハイテクライン」と謳われるが、あくまで川崎市当局による単なる自称であり、沿線住民がその名を口にすることはない。田園都市線は多くの上流層が住む高級住宅地が広がっていることから「ハイソ路線」と囁かれるが、これは東急による誇大広告に踊らされた外部住民の勝手な思い込みである。
二子と玉川の境界地帯[編集]
高津は、多摩川の対岸に位置する東京都世田谷区の玉川とは双子のような関係であり、双子都市として知られている。「二子玉川」は、高津区の「二子」と世田谷区の「玉川」を合わせた地名だが、「二子玉川」は専ら世田谷区側の地域のみに対して用いられており、高津区の二子や二子新地は「二子玉川」にはなぜか含まれない。二子と玉川は、ともに武蔵国に生まれた双子でありながら、現在では二子は神奈川県に、玉川は東京都に属している。
歴史[編集]
古代の高津は、多摩川沿いに広がる湿地帯であり、小川が網の目のように流れていた。その小川の多摩川への注ぎ口が「溝口」であると考えられている。
高津区は、川崎市が政令指定都市移行時に設置された5つの区のうちのひとつであった。設置当初は現在の宮前区域を含む広大な区であり、高津区の設置から宮前区の分離までの黄金期を「大高津区」時代と呼ぶ。
日本武尊と弟橘媛[編集]
子母口にある橘樹神社は、日本武尊と弟橘媛が祀られている。「高津」の名は日本武尊の白鷹伝説に由来する。日本武尊が白鷹に導かれ、現在の橘樹神社の近くに弟橘媛の陵を築き、さらに、多摩川に河港を築いて東征の足がかりとしたという。その後、陵から橘の樹が生えたことで、陵の周囲を「橘」という名で呼ぶようになったといわれる。なお、同じような伝説が東京都墨田区立花にも残っている。
橘樹郡の中心地[編集]
奈良時代には武蔵国橘樹郡の郡衙が橘地区に置かれ、郡政の中心として発展していたとみられる。郡が有名無実と化すと橘樹郡の中心は川崎・神奈川・保土ヶ谷などに移った。
江戸時代には大山街道の宿場としてそこそこ栄えていた溝口であるが、五街道の宿場であった川崎と武蔵府中の間にはさまれた谷間の地域であった。南武鉄道(現在のJR南武線)と玉川電気鉄道(現在の東急田園都市線)が相次いで開通し、にわかに発展を遂げた高津村は町制を施行する。しかし10年足らずで高津町は川崎市に編入し、近隣の橘村、宮前村、向丘村なども相次いで川崎市に編入したことで、ついに橘樹郡は消滅した。
区制・分区[編集]
川崎市が政令指定都市に移行し、高津区が誕生したのは1972年(昭和47年)のことである。1982年(昭和57年)に、区の南部が分割され、宮前区となったことにより、10年3か月にも及んだ「大高津区」時代は終わりを告げ、新たな体制に移行した。
関連項目[編集]
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