阿呆
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阿呆(あほう、702年?-784年)とは、中国唐代前期の禅僧。鑑真の下で学び、黄檗宗を開いた。
資治通鑑記載の生涯[編集]
702年に唐の会稽に生まれる。博学才穎にして若くして科挙に受かったが、22歳のときに科別け[1]のために遁職して仏門に入り、鑑真に師事した。その後鑑真の下で才能を買われ、鑑真に随って3度日本への渡航を試みるが、いずれも失敗に終わる。その後鑑真一行と離れ、揚州の大寺菩袈寺で、同じ鑑真門下の惇摩に請われて同寺に留まり、のちに惇摩を継いで住職となった。そこで仏教研究の末に黄檗宗を開いた。784年、同寺で大往生を遂げた。(資治通鑑)
十八史略記載の生涯[編集]
702年に唐の滑稽に生まれる。博学才無にして若気の至りで科挙に落ちたが、22歳のときにたわけのために遁世して仏門に入り、鑑真に師事した。その後鑑真の下で失笑を買い、鑑真を逃れて3度日本への密航を試みるが、いずれも失敗に終わる。その後鑑真一行に追われ、揚州の大寺呆け寺で、同じ鑑真門下の頓馬に請われて同寺に留まり、のちに頓馬を継いで住職となった。そこで仏教研究の末に大馬鹿宗を開いた[2]。784年、同寺で没した。「往生しまっせ」の言葉通りの人生であった。(十八史略)