郡山市

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郡山市(こおりやまし)は、福島県の中心にある都市である。
福島県の交通と経済の中心地であり、政治以外の全てが集中している。 合唱に全精力を注いでおり、郡山市立郡山第二中学校は全国屈指の強豪として知られている。

概要[編集]

福島県中通り阿武隈川流域)の中央部に位置する都市であり、ここから東北関東の各地への道路網が伸びている。

中通りは、地域構図が「福島市vs郡山vs白河」の三極鼎立になっているが、現在では「北の福島市vs南の郡山」の二極対立に集約されており、中通り南部の盟主格になっている。県庁が中通りの北外れの福島市に立地することに腹を立てており、米沢仙台が大好きな福島市とは逆に、会津と宇都宮が大好きなのがこの郡山である。山形と仙台が相思相愛状態になってるのと同じく、会津も東京行きに便利な郡山への志向が強い地域である。フクシマ爆発前はね…

特筆すべき点として、県庁所在地以外にテレビ局が立地している都市としても有名である。全国的に、「テレビ局は県庁所在地のみ」になっている地域が多いのとは逆で、郡山にはテレビ局が2局も立地している。これは、中通りが「高崎前橋が45km離れてる」状態になっているために、テレビ局が分立という現象が起こっている。

市民歌[編集]

しゃれたセンスのうすい 私のうすい
若さにあふれたうすい お洒落なうすい
幸せ売ってるデパート みんなのデパー
ディトもうすい 夢のデパート

市民相[編集]

八方美人[編集]

郡山市民は、「に好い顔、会津に好い顔、新潟に好い顔、宇都宮に好い顔、水戸に好い顔」をしており、県庁所在地の福島市を思いっきり愚にしている。又、仙台に対しても、好い顔をする一方で「倒狂の犬のくせにデカイ顔してるんじゃねえ!」って嘲っている。

しかし、郡山は盆地に位置しているためか、会津(会津地域)や新潟(新潟県)とはそこそこ親密であるが、浜通り地域は勿来~広野(この地域は現在は茨城県)しか目が届いておらず、水戸と親しい平の住民からは「郡山の片思い」としか思われておらず、「平は水戸とベッタリだもの、郡山も宇都宮とベッタリになったら?」とまで言われる始末。又、「福島?ハァ?郡山?ハァ?」と思ってる平市民も多数いる。

戦国時代には、郡山は田村家(本拠地:船引、三春)の支配下であったが、岩城家(本拠地:平)や相馬家(本拠地:中村、小高)は田村家と敵対し、平と中村から等距離の「浜通りのど真ん中」大熊から阿武隈山地を越えて、船引や郡山に攻め入った。このため、大熊市民からは「どこが県の中央だ?」と思われているが、大熊のフクシマ施設が爆発炎上した時には、国道288号を登って郡山に逃げた住民も多かったとか。

又、中通りでも白河は那須山麓に位置する為に、お隣栃木県北部と「那須白河」と呼ばれる交流圏を作っており、「常磐」「多珂国」と呼ばれる助川~夜ノ森(茨城県)の内陸版を作りつつある。郡山にショッピングに行く白河市民は多いが、近年では逆に「黒磯が高萩なら、白河が平で、郡山は夜ノ森だろ。」と撥ね返す者も現われている。

仙台と親しい中村はもはや無縁の地で、中村市民からは「福島?ハァ?郡山?ハァ?」と思われている。

東北のシカゴ[編集]

郡山市民「東北のニューヨークが仙台だっつーんだったら、郡山は東北のシカゴ!なんつってな。」

正確には東北のユタ州。変な宗教はびこってるところとか。

他県民が来た際、郡山市民から受ける被害[編集]

郡山は非常に危険な都市であり、外務省のホームページでも日中女性が一人で歩くのは控えるよう警告が出されている。

  • 開成山公園で中学生が絡んでくる
  • 猫がやたら凶暴なのにしつけない
  • プリンティングメッセージされる
  • デートはうすいに限定される

歴史[編集]

明治政府が九州山口の士族を投入して、会津への交通ハブとして開墾したのが始まり…だと思われがちであるが、実は誤り。もっと前から歴史がある。戦国時代には郡山は田村家の領土であったが、戦国時代末期の1588年には、伊達+田村と佐竹+蘆名+岩城+相馬の連合軍が、この郡山で激突している。この経緯からも解る通り、茨城県(佐竹家)・浜通り夜ノ森以南(岩城家)・浜通り夜ノ森以北(相馬家)・会津地方(蘆名家)が同盟軍を組んで、中通り北部&宮城県山形県南部(伊達家)と敵対して中通り中部(田村家)で激突した。当初、田村家は伊達家に就くか相馬家に就くかで迷った模様であるが、いずれにせよ、茨城県・宮城県・会津地方の三勢力の「緩衝地帯」が、この郡山なのである。なお人口3000人。

桃山時代はサルにより春日山から移封された「笑わない人」が郡山を治め、関ヶ原でタヌキに負けると蒲生秀行、加藤明成ら会津藩の領地になった。会津騒動で会津藩は23万石まで削られ、郡山は二本松藩の宿場町として幕末に至る。

戊辰戦争以前から郡山はダチの大槻・三春・猪苗代と共に会津さんから意味もなく殴られる役をかっており、時には金や兵をせびられていた。長年にわたり会津君のためにない袖を振り続けたのに会津のクソDV野郎ときたら恩を感じるどころか「お前仙台泊めてただろ!?俺アイツきらいなんだよね!!」という全く理解できない理由で3ダチともども仲良くキャンプファイヤーにされた。この時一帯の歴史ある建物が一掃されたためにここらは江戸以前の建物が極端に少ないのである。

最悪のDVを受けた郡山・猪苗代・大槻・三春の陰キャグループは恩知らずの会津に嫌気がさし、三春に至っては堂々と裏切る事態になった。何故か自分らが攻め込む前からすでに虫の息であった郡山の惨状を目の当たりにした新政府は「俺がコイツを助ける…!」と雨の日の猫を見かけた人みたいになったとか、ならなかったとか。

明治22年、安積郡郡山村は合併なしの単独で郡山町となった。

新政府君から大層可愛がられた郡山は最新鋭の安積疎水も作ってもらい(大久保利通が借金してまで費用工面してくれた)、オシャレな西洋風の学校、モダンでオシャレな開成山公園、映える建物が立ち並ぶ明治大正の一大映えスポットへと変身。電車に至っては鉄道が輸入された年からたった四年で東京と繋がる事に成功した。そんな郡山は脱陰キャをすすめイキリホストキャラになったのだった。会津への嫌味のように郡山駅には郡山復興の立役者がでかでかと階段に居座っている。

会津にはこういう歴史と位置関係が戊辰戦争後もずっと続いて、現在の「福島市仙台大好き、米沢も大好き」「郡山は巨人大好き、水戸にも鉄路が通る」に至っている。

交通[編集]

以下に挙げるように、福島県内の各地からの交通の便が非常に良い。又、宮城県岩手県釜石県の住民が会津新潟春日山富山方面に行く際には、この郡山で新潟側に折れ曲がることになる。この為、福島県どころか宮城県・岩手県・釜石県からのアクセスも良い。これが、市民をして「福島県の県庁所在地は郡山市」と言わしめる要素になっている。

しかし、課題も多い。これは、直通電車の乗り入れが以外と少ない点である。宇都宮からの東北本線は白河どころか黒磯で切られることが多く、郡山⇔宇都宮の直通電車や、郡山⇔新潟の直通電車は「あったっけ?」状態である。

鉄路
道路
空港

郡山市内に空港はないが、隣町の須賀川に那須白河空港が立地している。

南寄りが加速[編集]

近年特に目立つ傾向が、「宇都宮大好き、東京も好き」という南寄りの傾向が加速してることである。対岸の一つで茨城県に編入された浜通り夜ノ森以南は、「水戸大好き、東京も好き」の地域で、いわき駅から上野行の特急も頻繁に運行されている。

この傾向が郡山を初めとする中通り南部にも乗り移って、近年では短距離フル規格新幹線「なすの」が郡山駅まで乗り入れしている。高速バスは専ら東京行がメインである。

行政[編集]

前市長様[編集]

前市長様が嫁検閲により削除により、いらんところが公園まみれになってしまうというかわいそうな状態になっている。
誰も遊んでいない公園を郡山市民は悲しい目で見ている。
旅人は駅前がちょっと歩けば公園だらけという異常な状態を目にすることになる。

県庁移転計画[編集]

福島県の県庁所在地福島市であるが、浜通り会津地方・下越地方(新潟県)への交通の便が良い郡山の方が福島県の中央である。そのため、県庁を郡山に移転しようという運動があるが、検閲により削除によりいまだに実現されていない。

しかし、浜通りは福島県から脱退しており、郡山志向の会津地方もフクシマ炎上によって新潟志向に変わりつつあり、県庁移転によって求心力が増すかは未知数である。

名物[編集]

  • 安積三万石

薄皮まんじゅうと「ままどおる」で、生粋の郡山市民は薄皮とお母さんの優しさでできている。

出身者[編集]

植民地[編集]

奈良県に、大和郡山市という植民地がある…ようにみせかけて実はこっちの本家郡山のが植民地だ。その証拠に、郡山でyahoo路線検索すると郡山は完全シカトされ大和郡山だけが出てくる。

郡山市民は非常に遺憾に思っているが、そろいもそろって面倒くさがりなので抗議する気はさらさらない。

関連都市[編集]