お笑い芸人
お笑い芸人(わら-げいにん)とは、笑いの取り方が下手な者たちである。
概要[編集]
「面白い人といえば?」と聞かれたならば、多くの人は自分と近しい関係にある人を答えるだろうが、「面白い人の職業といえば?」と聞かれれば、ほぼ満場一致で「お笑い芸人」と皆が答えるだろう。
しかし「お笑い芸人は面白い」というのは必ずしも正しいわけではない。確かに面白い者もいるが、全体で見ればつまらない者の方が多いのが事実。 お笑い芸人であるからと言って面白くなるわけではないという事だ。
つまりテレビに出ているようなお笑い芸人は「お笑い芸人であるから」面白いのではなく「その人に才能があるから」面白いのである。
さらに言えば「お笑い芸人であるのに」面白いのだ[1]。
面白くないお笑い芸人達[編集]
「お笑い芸人は笑いを取るのがヘタ」と言えるその根拠の核心を突く前に、面白くないお笑い芸人達について述べる。
読者諸君は余程のお笑い好きでない限り、テレビや大きな舞台などでしかお笑い芸人を見る機会がないだろう。そしてそういった場面でしかお笑い芸人を見ていなければ「お笑い芸人はみんな大体面白い」というような感想を持つ事が多い。しかしこれは大きな誤りだ。全国に一万人以上いると言われるお笑い芸人であるが、テレビや大きな舞台に立てるような者はほんの一握りである。その選ばれた「お笑いの精鋭達」だけを見て「お笑い芸人=面白い」とするのは東大生だけを見て「日本人=頭がいい」とするようなもの[2]。実際は一般人の目には触れない所に沢山の「面白くないお笑い芸人」が存在する。
若手で売れていないお笑い芸人がやっているYouTubeなどを見ればわかるが、彼らのネタは非常につまらない[3]。トークも大して上手くないし、小道具も安っぽい。そして何より芸名からセンスが感じられない[4][5]。
彼らのような面白くないお笑い芸人が、売れっ子芸人の何百倍もいる事を考えると、お笑い芸人業界全体のレベルがそもそも低い事がお分かりいただけるだろう。
お笑い芸人の肩書は足枷[編集]
そしていよいよ核心に迫るが「お笑い芸人は笑いを取るのがヘタ」と言える最大の理由は「お笑い芸人であるから」だ。確かに面白くないお笑い芸人がほとんどである事も一因だが、本質的な問題は「お笑い芸人がお笑い芸人として笑いを取ろうとしている事」にある。
「面白い話をしよう」という時に、「今から面白い話しまーす」と宣言する事はほぼ有り得ないだろう。なぜなら「面白い話をする」と宣言する事でハードルが上がってしまう上に、聞く側が「本当に面白いかどうかチェックしてやろう」と審査員のような心構えをして笑いにくい空気になってしまうからだ。 はっきり言って「面白い話をする」と宣言する奴は「アホ」であり、「笑いを取るのがヘタ」である。 普通にしていればウケる話もスベりやすくなるし、仮に話がウケたとしても、宣言しなかった方がもっとウケたはずなのだ。 「面白い事を言う」と宣言するメリットなどどこにもない。
それではお笑い芸人はどうだろうか。もう名前からして「面白い事を言います!」と告知しているようなものである。お笑い芸人である時点で「面白い話をする人です」と名乗ってしまっているのだから、「話はスベりやすくなる」し「ウケも小さくなる」。これは「アホ」であり、「笑いを取るのがヘタ」としか言いようがないだろう。
考えて欲しい。前節で触れたような「底辺お笑い芸人」はなぜ面白くないのかについて。当然、彼らが実力不足である事も大きいが、「お笑い芸人だから」というのも同じ位大きい。「お笑い芸人」を名乗るから、見る者が(素人の癖に)M-1の審査員のような目つきになってしまい、結果的に「なんだ、期待外れだった」となってしまうのである。底辺お笑い芸人も「お笑い芸人」という肩書がなければ「まあまあ面白い奴」なのだ。 お笑い芸人として売れずに、バイト三昧の日々を送るくらいならば「面白い奴」として会社勤めした方が余程有意義であろうし、楽しいであろうし、何より笑いが取りやすい。底辺お笑い芸人は笑いの取り方を間違えた人たちなのである。
「笑いが取りたいのならお笑い芸人ではなく、一般人であった方が有利」。これは鉄則であり、明石家さんまやダウンタウンにも同じ事が言える。
すなわち、お笑い芸人はお笑い芸人である時点で、総じて笑いを取るのがヘタ。