澤村拓一

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澤村 拓一(さわむらひろかず、1988年4月3日-)とは、千葉ロッテマリーンズに所属する投手である。毎時とは言わないにせよストレートの球速はコンスタントに140後半を記録する。プロ入りの経緯などでアンチも非常に多いが、筋トレや援護が全くない不運な投手であることなどからネタも多いためここなどで話題に上がる投手。

経歴[編集]

~高校時代[編集]

栃木市出身である。佐野日大高校に入学したが、投手としては三番手であった。春・夏含めて甲子園には出場していない。なお澤村が卒業した翌年の選抜に同校が出場しており、当時から運のなさを見せつけている。

大学時代[編集]

2007年、中央大学に進学。2年のころには台頭し、3年のころに156キロを出すなど剛腕投手として名を馳せる。また、2年のころに中大当時の監督に「単なる投げ屋だ」と言われ変化球を磨いたという。なおプロでは・・・

入団経緯[編集]

2010年のドラフトはいわゆる「88年世代(当時ハンカチ世代)」が大学を卒業する時期に当たり、本家本元など数多く有力投手がおり、澤村もその中の一人であった。しかし澤村は「巨人でなければメジャーに行く」と発言し、結果的に巨人が一本釣りに成功、指名された際には涙を流し「18番が欲しい」と巨人ファンもビックリ仰天の発言をした。なお、背番号は「沢村栄治を超えるように」という意味から15番である。

プロ入り後[編集]

晴れて巨人入りした澤村はキャンプ、オープン戦と一軍に帯同、結果を残し開幕4戦目の4月15日の広島戦に先発。(この年は東日本大震災が発生し某仕分け大臣による要請で開幕が遅れていた)澤村は7回途中2失点と好投するが中継ぎ陣が勝ちきれず、プロ初勝利は逃した。21日の阪神戦で初勝利。内容だけ見ればこの年は開幕投手の砂遊びよりも安定しており、最多勝を獲得した偽侍に匹敵するほどだったが、9回までは味方が点を取ってくれず、延長10回にようやく1点が入りそのまま澤村が完投するなど援護にことごとく恵まれず防御率2点丁度ながら11勝11敗、チームは3位に終わった。

10月17日に週刊誌により交際相手の日本テレビアナ森麻季との破局が報じられたその日に結婚を発表した。

翌2012年は「相手を制圧するピッチング」を目指したが、やっぱり援護はもらえず、ついに「無援護」のイメージが定着した。援護をせっかくもらえてもその直後に失点し、結局追いつかれているなど自業自得の面も増えていた。しかしペナントを制覇し迎えたクライマックスシリーズの第4戦に登板。すでに3敗しておりあとは1つでも落とせば敗戦決定、その試合が澤村ということでファンはもはや諦めムードだったが8回1失点と好投し、ヒーローインタビューでは「やったぜ!」「明日も勝つ!」などと絶叫した。なお明日も勝つは新庄剛志が発し、その後連敗街道を突き進んでいったという例があり、ファンは震撼したがその後巨人は2連勝し日本シリーズ進出を決定。日本シリーズでは第2戦に先発、サインを見落としキャッチャーの阿部慎之助から頭を殴られるシーンもあった。第6戦に登板し6回3失点と中田翔の3ランのみに失点を防ぎ(勝ち負けつかず)チームは日本一となった。

2013年はWBCのメンバーに選出された。大して目立った活躍はなかった。WBCが終わった直後に森麻季との離婚を発表。ろくに実績がない選手でもプリンスでも付き合える女子アナなのに何をやらかしたのか。

そんな中迎えたシーズンは序盤こそ自らの不調だったがしっかり立て直した。しかし、援護がなく2点もらえれば多い方であった。飛ぶボールだったことが分かったこの年にはあまりに不運である。8月28日の試合で先発失格を言い渡され中継ぎに配置転換。日本シリーズも中継ぎで登板した。なお結果は5勝10敗。なお防御率はリーグ8位であり、この年の規定投球回に達した投手では援護率ワーストワンである。またこの年、本拠地東京ドームでの勝利はなく、先発で挙げた4勝のうち2勝は地方球場でのものだ。

2014年はケガで出遅れ、初登板は7月にずれ込んだ。球団ナンバーワン人気投手バイバイ今村などが期待に沿えず、ファンは澤村の復帰を待ち望んでいた。しかし7月13日、代打の神様代打逆転満塁ホームランを打たれ、無援護どころか自ら炎上。「やっぱり澤村って澤村だわ」と言われる始末である。そこからは「筋肉が足りない」と反省したのか、二度の完封勝利を果たす。また、チーム自体接戦に強くなり、炎上しても味方が点を取り返して負けないという奇跡も起きた。

勝てないこともあり、ユニフォームのモデルチェンジが行われ、過去のものとなった2006-2013型ユニフォームの澤村ユニフォームは安いのに売れ残っている状況で、もはやファンからも見放されている。

ネタ話[編集]

筋トレ好きで、「筋トレが動きを獲得している」など素人にはさっぱりわからない発言などでネタとなっている。また、1失点でも援護がなく負けることから「○回(主に8回)1失点の大炎上」と言われている。また、2012年の日本シリーズ制覇後のテレビ出演で「シーズンオフは何をしたい?」と問われ阿部(既婚者)は「家族サービス」、内海(既婚者)も「家族サービス」と答えたのに対し澤村(当時既婚者)は「筋トレ」と答えた。もしするとそれが離婚の原因ではないか。

AA[編集]

●は負け、-は勝ち負けつかず。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]