浜通り

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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この記事では、浜通りのポジティヴ面を記載しております。浜通りのネガティヴ面については「福島県」を御覧下さい。


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浜通り(はまどおり。the Street of Beachside)とは、1876年以降の福島県における、太平洋沿岸である。1876年8月21日以前は磐前県(いわさきけん)という広域行政体であった。

概要[編集]

元々は磐前県であったが、1876年に福島県(1876年以前)若松県と合体合併され、福島県に入れられた。その後の福島県は、地形的要因から三つの地域に大分され、西から順に、県西部に当たり古き良き日本の伝統と閉鎖的な風土人情(いわゆる「会津の三泣き」)で知られる「会津地方」、次いで阿武隈川流域の盆地に当たる「中通り(地方)」、そして最も東に位置して太平洋に面している県東部がこの「浜通り(地方)」である。

「~通り」と呼ばれるようになったのは、古くは征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷討伐の折、軍を二つに分けてこの地を通過したことに由来するものであり、三地方の内で唯一誰からも気にされなかった会津地方だけは会津通りとならず、あくまでも会津地方であった。この辺りに会津人の頑迷さが由来すると思われているが、会津のことは会津でやって頂くため、ここでは言及しない。そして、田村麻呂が蝦夷遠征の拠点として建てたベースキャンプ地が、後に相馬家の居城となった中村城である。

「浜街道」「陸前浜街道」とも呼ばれたこの浜通りは、南北に国道6号線とJR常磐線によって縦貫されており、北からやって来た人やモノやカネを南へスルーさせ、南からやって来た人やモノやカネを北へとスルーさせる交通の要衝として、古くから重要な土地であった。東北のくせに雪がめったに降らないため、人によっては関東の延長として見てくれるともあり、ちょっと嬉しかったりするものの、それだけでお金を落としてくれる訳でもないため、ぬか喜びに終わっている。東北自動車道も通ってはいるが、あちらは内陸ルートで雪によってしばしば通行禁止となるため、太平洋沿岸ルートでの常磐自動車道が活用されるため、こちらはあまり地域的な脅威とはなっていない。

戦国時代には、夜ノ森Nightforest)を境にして、南(富岡以南)は岩城家の領土、北(大熊以北)は相馬家の領土であった。しかし、常磐線開通以後は、旧の岩城家領は茨城県(佐竹家領)の属国に、相馬家領は宮城県(伊達家領)の属国になっている。これも、天正時代から長~く続く因縁なんだよ。大熊の原発が爆発してもしなくても。

確執[編集]

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浜の有る地域vs浜の無い地域

浜通りは日本でも有数の「冬でも雪が降らない地方」であり、この雪が降らない温暖な気候が、日本のほかの地方をリードする武器であり、また心のよりどころになっている。又、浜通りの中でも実際に海に面している地域(J村など)のみが優遇され、K村D村I村など比較的内陸部の村落は「浜通りなのに、海の無い」「浜の無い浜通り」「中通りじゃない方の浜通り」「浜通りの浜通りじゃない方」などと呼ばれ、非常に悔しい思いをしているのは言うまでもない

夜ノ森以南vs夜ノ森以北

浜通り方言と呼ばれる独特の方言があるが、夜ノ森を境にして岩城辯(など)と相馬辯(中村など)に違いがあり、それぞれ「一括りにされるなんてまっぴらごめんだ」として確執を深める原因ともなっている。語尾は、岩城辯が水戸と同じ「だっぺ」、相馬辯が仙台と同じ「だべ」である。

しかし、中通りの連中にしてみれば「どちらも白河辯(宇都宮寄り)や福島辯(仙台寄り)に比べれば、遥に洗練度の不足した地方言語に過ぎず、我々からしてみればズルズルズルとしか聞こえない」と、バッサリ酷評されてしまった。仙台辯と水戸辯の混じり合ったような発音が特徴であり、また語彙や文法そして変化などについても岩城辯と相馬辯でほとんど変わらないため、ご当地の人間以外にとっては実にどうでもいいこととして片づけられてしまっている。何より「違うもんは違うんだ」と主張する当人たちにしても「旧岩城家領の人間が話すのが岩城辯、旧相馬家領の人間が話すのが相馬辯」程度にしか定義づけられないため、その評価も仕方がないところではある。

城下町[編集]

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「東北の太平洋岸は城下町が乏しい」と言われているが、城下町が存在しないのは三陸(釜石県宮城県松島以北)で、こちら浜通りには(チバラキ)と同じく城下町が点在する。大名の歴史を大雑把に言うと、夜ノ森を境に関ヶ原以前が岩城家と相馬家、同じく夜ノ森を境に徳川時代が磐城平藩(内藤家、安藤家など)と中村藩(相馬家)の支配下であった。

城下町の双璧は、岩城家や藩主安藤家の本拠地であった(関ヶ原以前の「飯野平」、徳川時代の「磐城平」に相当)と、相馬家の本拠地であった中村が双璧。ただし、岩城家は四倉を本拠地に、相馬家は小高を本拠地にしていた時期もあった。勿論、岩城家臣や相馬家臣の城下町(伊達家臣の城下町であった白石みたいな所)もある。城下町の年中行事として、中村の馬追い祭りと花見会、平のじゃんがら踊りと紅葉見物が有名である。

フラガール作戦[編集]

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そんな「海がある」などという他の大半の都道府県にとっては実にどうでもいいことであったものの、浜通りの人々は「これは我々の、またとないアピールポイントになるに違いない」と真剣であった。そこで「海の有る=ビーチ=常夏の楽園=ハワイフラダンス」という発想によって導き出された彼らの答えは「日本におけるフラダンス発祥の地として地域振興を図ろう!」というものであった。間に合わせで女の子たちを集め、盆踊りの要領で身のこなしを叩きこんでヤシの実ブラジャーと腰ミノをつけ、どうにかそれらしい体裁を整えることに成功したものの、ブームは一時的なものに過ぎず、また、比較的暖かいとは言ってもあくまで東北地方であるため、寒いものはやっぱり寒いのであり、季節限定のイベントとしてとりあえず根づかせようと頑張っている……というドキュメンタリー映画が、かの『フラガール』である。

DASH村騒動[編集]

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TOKIOの出演する『ザ!鉄腕!DASH!!』のスタッフが「村を作ろう企画」(いわゆるDASH村)において適当な土地を見繕っていた時に全力で誘致に乗り出したのが浪江町であり、スタッフから「決して口外しないで下さいね、人が集まって来ちゃうんで……」という誘致条件をアッサリ反故にし、藁ぶき屋根の家が落成した辺りからどんどん秘密を言いふらしてしまったため、スタッフは撤退を考えたものの、逃がしてはくれなかった。「言わないで、って言ったじゃないですか!」というスタッフの詰問に対して、いけしゃあしゃあと「DASH村がある、なんて言っていないよ。あくまで我々は『あのDASH村があるかも知れない日本のとある田舎町・浪江』というキャッチフレーズは出したけれど、あくまでこれは日本のどこかにDASH村があることをほのめかしているだけで、決して約束を反故にした訳でもないし、まして浪江町にDASH村が存在していると断言した訳ではない」と言い訳し、その問題をうやむやにしてしまった。が、誰も気にしないため、スタッフが心配したほどの人が大挙して押し寄せるようなことはなかった。果たして、好かったのか悪かったのか。悩ましいところではある。

関連項目[編集]

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