柵
柵(さく)とは、日本で日常的に行われている結界を張る法術を行使する際に使われる道具である。
概要[編集]
地上高が概ね0.7hyde以下の支柱に、横棒として適当な素材(木の棒、チェーン、ロープ、テープなど)をつけた物であり、 これを設置して結界の術式を行い、人を通さないようにする。
術式としては素人でも本やネットで調べれば誰でも簡単に出来るレベルのものであるためか、 日本では至る所でこの術式が張り巡らされており、警察もこの術式を採用している。
歴史[編集]
柵を日本に導入し、普及させたのは奥州(東北地方)の安倍一族である。安倍貞任、安倍宗任らは、厨川(くりがわ)や鳥海(ちょうかい)と言った場所に柵を次々と建造、やたらと干渉してくる中央政権に対する結界とした。ところが、中央政権は法術に耐性をもった源義家を派遣、義家が「なんたらかんたらソワカソワカベシベシ」と呪詛を唱えると、多くの柵がたちまち物理的に崩壊して、安倍一族は滅亡した。
しかし、東北人は懲りずに、柵を作ることで中央からの侵略に備えようとした。奥州藤原氏は、清衡、基衡、秀衡と三代にわたり柵の敷設・拡充に尽力。あっちこっちに柵が出来た。秀衡はこれで中央で煩い源氏も平家も干渉できないと増上慢になっていたが、法術に耐性をもった源氏の子孫である源頼朝に攻撃を受けてあっさり滅ぼされた。その時既に秀衡は病死しており後始末をさせられたのは息子の泰衡であった。
ちなみに頼朝に滅ぼされた理由は、頼朝の弟の源義経という、これまた略奪常習犯の泥棒一族である源氏を、親父の秀衡が匿ってしまったからである。泰衡は親父の思慮分別に欠けた凶行の竹箆返しを、親父に代わってその身に食らわされたのである。泰衡カワイソス。
だがその後も「柵さえ作れば東北は中央から侵略されない」という考えは東北人の間で継続していたようで、幕末には「奥羽越列藩同盟」という、最大規模の柵が造られた。略奪者である薩長の蛮族共が扱う最新の武器にあっさり蹴散らされたのは言うまでもない。
効果[編集]
それなりによく効く。しかし以下のような場合は効かない。
- 法術に耐性がある者の進入
- 残念ながら耐性がある人間には有効ではない。素通りしていくことだろう。このような人間には別の人避けの方法が必要である。
- 外国人の進入
- 耐性というよりも法術の概念にとらわれないため無効であるといわれる。外国では柵は皆無であり、フェンスが使用されている。
- 物体の進入
- 人間でないものに結界は無意味である。結界内に投げ込まれたボールを防ぐことは出来ない。これは人間以外の生物(犬、猫、モグラなど)も同様である。また、物体の進入を許したときに結界の緩みが生じることが判明している。
- 子供の進入
- 物体の進入直後に結界の緩みが発生することは先述したとおりだが、ボールを結界に投げ込み結界の緩みが発生したところを、子供がそこに入っていくという遊びが昔は横行していた。
柵とフェンスの違い[編集]
よく柵とフェンスが混同されるが、まったく異なる。
フェンスは柵とは違い物理的に人の進入を困難にするものである。横棒が進入を非常に困難にしている場合はフェンスである。
もちろんフェンスにも同じ術式をかけようと思えばかけられなくはないが、たいがいのフェンスは巨大であるために法術に熟練してなければ完成に至らない。