小久保裕紀

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小久保 裕紀(こくぼ ゆうき 1971年10月8日 - )は、プロ野球チーム福岡ソフトバンクホークスに所属していた元プロ野球選手。 通称、カプテン、カプ。ありがたくない通称はカッコマン、アンコクーボ。 なお、カッコマンは野村元楽天監督が命名。2015 WBSCプレミア12のMVP受賞者である。


一時期「おい、小久保!」というテロップを付けられて有名になった。元ネタは指名手配犯のポスターである。張り紙にもなった。

人物[編集]

1993年ドラフト2位でダイエーに入団。

1995年、本塁打王を獲得してイチローの六冠王を阻む。なお、この年のパ・リーグはホームランの数が全体的に少なかった。

1997年に打点王を獲得するがナイショの財テクを脱税だと突っ込まれてしまった。

2004年親会社の業績低迷、身売り騒動のドサクサで東京のやたらと大きい人達に拉致されたが、2006年オフに無事古巣に戻ることが出来た。帰ってきた後は某ボブ彦やたらと小さい人にサードポジションを奪われる厳しい序盤を迎えた。07年シーズン中盤はタコと同じ渋い顔をしてみたりもしていた。08年シーズンは幾度となくチャンスをつぶしたり、打率が.253などと結果を残せなかった。

10年は持ち前のキャプテンシーでチームとしては7年ぶり、自身としては10年ぶりのリーグ制覇を果たした。しかし、CSの呪いは未だ解けず。完全制覇を目指し老体に鞭を打ってシーズンに挑む。

400号ホームランの機会になかなか恵まれないのが目下の悩み。すわ400号かと思われた1発は審判の自信を持った判断(笑)により闇の中へ、もう1発はシングルヒットと終わった。後者がシングルヒットと判明する直前の歓喜のポーズについては、球団並びに小久保本人の黒歴史である。

さらに2000本安打にも恵まれていない。2012年、この年小久保は1999本まで安打を打ったものの、まさかの故障、戦線離脱と漫画を越えたような展開を生み出し、福岡県民を焦らしに焦らしまくった。結局2000本安打は達成したが同年引退。引退後すぐに日本代表の監督を務めた。

現場復帰・監督就任[編集]

2024年シーズンから二年連続Aクラスなのに即日クビにされたヒゲの後を継いで監督に就任した。 『美』を徹底的に追及し、一部のファンからは『ビューティーこくぼ』などと揶揄され、第四回WBCの(44)やフロントの美しくないFA補強により名古屋のマフィアの「素晴らしい監督」と並び「美しい監督」とネタ枠扱いされた……のだが蓋を開けてみれば、就任一年目にしてぶっちぎりの優勝を果たすこととなった。え?この戦力なら誰だって優勝できるだって?それは去年監督で若手を干しまくったお髭さんへの悪口かい?

特徴[編集]

つなぎの安打に徹すると頼もしいことこの上無いのだが、ついつい大きいのを狙ってしまうおちゃめさん。しかしホームランが当たった時の放物線の美しさはガチで球界一。

趣味はオフシーズン中に「山篭り」と自称するアウトドアレジャーに出かけること。

かなりの着道楽であり、そのファッションセンスはアスリートにしか理解出来ないハイセンスなものとなっている。しかしそこはかとなく似合っているのも小久保のキャプテンシーの成せる技なのかもしれない。

小久保の主な天敵[編集]

松中信彦
変な顔をする人。
稲嶺誉
レギュラー争いで勝利し、小久保自らが二軍送り、さらにはクビにした人。大学でガチョウの研究をした経験を生かし、今度は福岡で赤いウグイスの育成に当たっていたが、球団職員としてカムバックした。
本多雄一
400号未遂ガッツポーズ事件にて「小久保さん罰金ですよ、罰金」と追い打ち。
川﨑宗則
自らキャッチボールを拒否。
田上秀則
キャッチャーゴロを一塁小久保に悪送球をする。
的場直樹
移籍後は別人のような神配球で小久保を苦しめた。
松田宣浩
小久保をファーストに追いやった。また祝勝会では空気を読まず小久保にビールを飲ませすぎ、説教を垂れる前に逃走。
アレックス・カブレラ
2011年に自身をモデルとした地蔵を小脇に抱えてやってきたナイスガイ。
ポジションが被っていることや乱射癖から小久保のハートを痛めている。
内川聖一
2011年にホークスFA加入。長すぎる顎にイケメン軍団のキャプテンを自負する小久保は「(顎を人並みにして)ホークスカラーに染まって欲しい」と願うも、物理的に無理なので王会長から「そのままの(長さの)君が欲しい」ととりなされた。
細川亨
2011年にホークスFA加入。マスク蹴ったりけられたりする間柄。
良川昌美
白い猫が放ったエージェント。自信を持って400号ホームランを無に還した。
西勇輝
引退試合のお祝いとしてノーヒットノーランをプレゼント。[1]

脚注[編集]

  1. ^ なお2014年の日米野球では『本当の意味で』ノーヒットノーラン(継投で)をプレゼントしている。