安土城
安土城(あづちじょう)は、織田信長の居城で大規模な世界最強の軍事要塞であると共に、豪華絢爛な宮殿でもある。滋賀県の安土町にある。番組(NHK大河ドラマ)後半で空が飛べるように改造された。
要塞としての安土城[編集]
安土城は織田信長が権勢を見せびらかすために、豪華絢爛に建築した実用性無視の城と言われている。しかし元々の安土城は、対本願寺・対武田・対毛利・対上杉の後方支援としての拠点として作られていた事が近年わかってきた。火力として劣化ウラン弾を発射する三連装15.2寸巨大主砲3門及び5.1寸副砲4門、高射砲6000機という大火力を誇り、また陸上戦力においても常駐兵力20万人・戦車保有数5万台を有している上、何かあった場合は前田慶次や柴田勝家が突っ込んでくる。どれをとっても最新式の精鋭であった。
安土城が完成して5年後、信長の重臣・明智光秀は年を取って耄碌したせいか「わしは象さんよりも麒麟さんが好きじゃ」「上様は月へ登って帰って来られぬ」などといきなり意味不明なことを口走るようになり、乱心気味になっていた。光秀のメンヘラ具合をみた豊臣秀吉は、光秀が錯乱して謀反を起こす日は近いと悟り、軍師の黒田官兵衛とともに謀略を練る。つまり光秀に信長を討たせ、秀吉が正義の仇討ちで光秀を討ち天下を奪う大作戦である。
そして秀吉は言葉巧みに信長をおだてて、信長は神様として崇拝の対象なので、安土城に物騒なものは要らないと説得。安土城から最新式の装備を撤去して骨抜きにし、信長外出時の身辺警護も100人程度にさせた。安土城の城下町も、後述のようにただの歓楽街に作り直した。前田と柴田には北陸征伐に専念させ、メンヘラ気質で耄碌した光秀がいつ謀反の暴発をしても、成功できるように秀吉が万端整えた。知らぬは信長と光秀ばかりであった。
歓楽街としての安土城[編集]
こうして城下はかなり遊び場が揃った。信長自身が遊び人と誤解されるが、信長が命じて作らせたのは郭(くるわ。だが遊郭のことではない!)と教会、千利休のための特別な茶室くらいであった。
城下町の大部分を整備したのは羽柴秀吉である。ちゃっかり者の秀吉は、構造設計を姉歯秀次一級建築士に依頼し築城資金を安く上げた。そして剰余金で城下に歓楽街を造ってしまったのである。後からそれを知った信長は「ばかもん!」と怒ったが、出来てしまったものはしょうがない。しぶしぶ住むことになったのである。
信長は城下に楽市・楽座を敷いたため、行商人らで大いに賑わった。秀吉が造った温泉・キャバレー・ソープランドなどは彼らに大好評だった。もし糞真面目な明智光秀が造営していたら城下にそんな歓楽街はできなかっただろうから、行商人が不満を垂れていたかもしれない。
消失[編集]
そんな安土城だが、1582年の本能寺の変で信長を討ち取った明智光秀軍が占拠したが、しょせんは「三日天下」で光秀は主君の仇討だと表向き号令する(本音は自分が天下を取りたいだけ)羽柴秀吉に敗れ、逃げる途中で落ち武者狩りに討ち取られた。明智軍は混乱して総崩れとなり、安土城からもみんなクモの子を散らすように逃げ出したのだが、その直後に安土城は焼失してしまった。誰が火をつけたのかはよくわかっておらず、無人の安土城にお宝目当てで押し入った野盗が放火したとも、明智の兵が自暴自棄で放火したとも、信長の次男の織田信雄が錯乱して放火したとも様々な説もある。わずかに焼け残った安土城二の丸には、秀吉が織田家の新当主として擁立した3歳児の織田秀信がしばらく住んでいたが、織田の天下を簒奪したい秀吉にとって安土城は織田の天下の象徴として邪魔であり、秀信を他へ移して安土城を全部取り壊してしまった。だが姉歯建築士が建てた缺陥城郭は、たとえ焼けなかったとしても1586年の天正大地震で潰れていたことだろう。なお後に歓楽街は雄琴温泉へ移転させられた。
関連項目[編集]
この項目「安土城」は、姉歯さんがビックリしちゃうほど欠陥だらけです!警察沙汰にならない内に、震度7の地震もへっちゃらである位の耐震工事をして、「大改造!!劇的ビフォーアフター」の匠達をも魅了するように仕上げて下さい!! (Portal:スタブ)