嫌い
嫌い(きら-, 英:dislikeあるいはHate)とは、好きの対義語かと思わせておいて、本当は相手が好きなんだが、照れ隠しで好きでない振りをしてしまうことである。
概要[編集]
「好き」の反対語は「嫌い」だと思われていることが多いが、これが大きな間違いである。好きの反対語は「無関心」あるいは「全く興味がない」であり、一方で、これは嫌いにも当てはまる反対語でもある。かわいさ余って憎さ百倍という言葉があるように、好きと嫌いという感情は表裏一体であり、どちらかを欠いてもう片方を説明することは不可能だが、反対語・反義語の関係にはなく、ややこしいから嫌いだ。
特にツンデレにおいて、これは顕著な傾向になる。そもそも本当に嫌な対象に関しては、いちいち嫌いと表現する必要はない。もっとも効果的で効率的な方法は、距離をおいて一切の関わりを断つことであり、ことあるごとに「嫌いだ嫌だ顔を見せるな」と騒ぎ立てる必要はないのだ。これは、人間の本能として、嫌な事を忘れるようにできていることからも明かである。まったく嫌な話である。
以上の事から「嫌い」は「好き」とセットで成り立つ感情であると言えるが、ここまで説明しても分からない人がいるからもしれないから嫌いだ。
もし、特定の人間や物をやたら嫌いだ嫌いだと騒ぎ立てる人がいたら、その人は、その対象を多少偏っているかもしれないが好意的に思っているものと思って間違いない。ただし、その好意は、先に述べたように偏っているため、迂闊にその好意を受け入れてしまうと、それはそれで困った事になる場合も多いから嫌いだ。
嫌いなレベル[編集]
嫌いにもレベルがあるらしいが、こういうランク付けは嫌いだ。
- レベル0 その相手の嫌いな部分が1~19%ある。
- レベル1 (省略)嫌いな部分が20~39%ある。
- レベル2 (省略)嫌いな部分が40~59%ある。
- レベル3 (省略)嫌いな部分が60~79%ある。
- レベル4 (省略)嫌いな部分が80~99%ある。
- レベル5 (省略)存在自体が嫌いである。
- レベル6 その相手と直接口をきくことさえしない。
- レベル7 その相手と目を合わせることさえやだ。
- レベル8 その相手と電話やメールで会話することさえしない。
- レベル9 その相手を将来ず~っと憎むことを決心する。
- レベル10 その相手を殺そうと思う。
- レベルⅩ 実際に殺す。
- レベルⅩⅩ 牢獄行きになったのを相手のせいだ、と憎む。
- レベルZ はらいせに他の人を殺す。(牢獄行き♪ レベルⅩⅩを繰り返し)
厄介な例Q&A[編集]
片方の者が嫌いでももう片方の者が好きな状態(いわゆる片思い)の場合。
- まず正直に打ち明ける。
- もちろん断られる。
- 諦めきれない相手がストーカーをする。
- 警察に被害届を出す。
- 何もしてくれない。
- 弁護士に相談。
- やはり何もしてくれない。
- 行列のできる法律相談所に相談。
- すべての手立てをしたが効果がない。
- 諦めろ。時間の無駄だ。
内面が嫌な奴とは知らず付き合っていたら嫌な奴だった…
- まず言う。
- 相手と別れる。
- でもしぶとい相手は不用意にやり直そうと毎日何回も電話やメールで言う。
- ストーカー行為として警察に相談。
- もちろん聞く耳持たない。
- さらに相手の行為はエスカレートする。
- 遂には偶然を装い姿を現す。
- お断りする。
- 遂に相手はマジギレ、嫌いになり一件落着…と思いきや
- 一気に相手のこちらに対しての嫌いなレベルがレベルⅩになり殺される。
- 相手はもちろん逮捕。(って解決してなくね?でも気にしない気にしない♪)
人はなぜ嫌いというのか?[編集]
初めから敵対関係もしくは敵対関係になる可能性が高いならともかく、取り立てて険悪とは言えない相手に対して嫌いという行為をとってしまうのか?敵となる人間を闇雲に増やしても、損をすることはあっても得をすることはありえない。確かに味方が多すぎると邪魔になって、思うように身動きがとれなくなってしまう場合もある。しかし、「味方にならない・したくない相手だ」というだけで単純に敵に回してしまうことこそ愚の骨頂であり、百害あって一利なしである。
現在もっとも有力視されているのが、人間の自己防衛本能という説である。大半の人間は、他人から嫌われたり拒絶されたりすると極めて深刻な精神ダメージを負う。それ故に「繰り返したくない」と、似たようなシチュエーション自体を避けようと藻掻く事になる。だが、全ての人間に好かれることが不可能である以上、いつ誰から嫌われてしまうか分からない。
特に好意を持ってるわけでもない人間から嫌われるだけでも相当なダメージを受けてしまうだけに、もし好意を持っていた人から嫌われてしまったら、もはや立ち直る事ができないほどのダメージとなってしまうだろう。そのため人間は時として、嫌われる前にこちらから嫌ってしまおうという、極めて乱暴な態度に出てしまうことがある。「先手必勝」「殺られる前に殺れ」という言葉が示すように、こちらから先に行動・攻撃にでれば、ノーダメージとはいかなくても損害は最小限に抑える事が可能である。安易な道であり、ついついそのようなお手軽な手段をとってしまうことになる。
無論、嫌いという行為は当事者以外の人間の目からみれば不毛にして非建設的なものに他ならない。しかし、そこはちょっと粗相をしてしまった子猫子犬に対するような寛容さをもって、生暖かく見守ってあげてほしい。彼らは人間関係にちょっと臆病なだけの引きこもり予備軍のような可哀想な存在なのだ。
なにかにつけて嫌いまくる彼らを非難したり見下したりすることは容易いが、そこは黙ってスルーというのが大人の余裕というものだろう。
逃避としての「嫌い」[編集]
自己防衛本能だけで説明できない「嫌い」もある。あくまで一例だが、一部の韓国人が日本人を嫌いと言ってキーボードを叩き続け、一部の日本人が韓国人を嫌いと言ってフォースの韓国面に落ちる。これは厳密には感情の発露ではない。嫌いな相手をわざわざ作り攻撃することで、自分がいま抱えている鬱積からとりあえず目を離すことができる。まあぶっちゃけ現実逃避と言っても差し支えない。もっとも、全員が全員ではなく、一部はツンデレのようだ。某日韓翻訳掲示板において、とある韓国人が「予備役に招集がかかったので行ってくる」という意味のことを書いた。それまで罵倒合戦をしていた日韓両側が微妙な雰囲気になり、「てめえ死ぬんじゃねーぞ罵倒する相手がいなくなるだろ」「うーん俺工兵隊だからなあ」といった感じの展開になった。後に訓練のための招集であると分かり罵倒合戦に戻ったが、デレの一瞬を見てしまった。
規模こそ違うものの、構図的には中国が国策で反日教育を行っていたのと似ている。「日本を嫌え」と教えておけば、自分たちの失政から効率的に目を逸らすことができる。公的な現実逃避であり、ツンが出ていると言える。
嫌い(または、好き)という感情を無理に抑圧するのも良くない。反動は実際に精神的な影響を持っている。韓国特有の精神症「火病(ファビョン)」を癇癪だと勘違いしている人もいるが、実際には鬱積が溜まりすぎたストレスが身体表現性っぽい反応として発現する症状(のうちの一つ)に過ぎない。ガス抜きは必要である。
そもそも嫌いではない[編集]
人間の脳みそは、新しい情報が入ってくると、古い情報はほんの少し前のものであれ流れてしまうものだ。単なる好きの裏返しの場合、照れ隠しである場合、そもそも嫌いではない場合などもある。
結論のようなもの[編集]
アンサイクロペディアでうろうろするのであれば、皮肉を片手に持ったらユーモアをもう一方の手に持つのを忘れず、嫌悪の感情をむき出しにしている人を見かけても「あーハイハイそうですねー大変ですねー」と受け流すスキルが必要となるだろう。ただ、まれにユーモアと皮肉のどちらか(または両方)を持ってくるのを忘れている人をみかける。身近な例で言えば自分とか。
結論[編集]
人間万事塞翁が馬。ケセラセラ。
関連項目[編集]
この記事「嫌い」は私からすればよく出来てるよ。でも、キャラへの愛がちょっと足りないかな。この記事に加筆することによって、もっとキャラへの愛を示そうよ。 (Portal:スタブ)