大関互助会

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横綱よりも大関になりたかった
大関 について、日馬富士公平

大関互助会(おおぜきごじょかい)は、大相撲の事実上の最高位である大関の地位を守る目的で、1981(昭和56)年11月に結成された日本最大の互助団体である。2006年に公益財団申請した結果、現在は「公益社団法人大関互助会」が正式名称となっている。互助に必要となった費用は損金として税制上扱われる。その前身は、貴ノ花(若貴の実父)旭國魁傑ら3人組によるものであるが、彼らの引退により消滅していた。現在、組織の本部は立浪部屋に置かれているが、緊急事態があった際には二所ノ関部屋音羽山部屋佐渡ケ嶽部屋伊勢ヶ濱部屋常盤山部屋出羽海部屋高砂部屋時津風部屋、もしくは浅香山部屋九重部屋へ避難できる。

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概要[編集]

1場所負け越せば番付が落ちる関脇以下や、負け越しや長期休場が即引退につながる横綱と異なり、大関は1度負け越しただけでは「角番」になるだけであり、2場所連続で負け越さない限り関脇に陥落することは無く、たとえ陥落したとしても翌場所で10勝すればすぐに復帰することができる。極端な話、「8勝→全休→8勝→全休→8勝→全休」の繰り返しで、年間24勝でも地位を維持することが可能である。それでいて年収は実に3937万2500円と非常に高額で、三役(関脇・小結)の2786万5500円より1150万7000円も多く、平幕の2186万0500円や十両の1711万7500円と比べても破格の扱いである(ってか、あのデヴ達そんなにもらいよるんかい!)。 ちなみに横綱の年収は4803万0000円で、大関との年収の差は865万7500円であり、大関と三役の年収の差よりも小さい。そのため、スイーツ(笑)虎上(まさる)氏牛久の大猫などのように下手に横綱に昇進して(させられて)短命に終わるよりも、大関のままで長く現役を続ける方がよほど多く稼げるのである。これらの点において、大関は非常に「おいしい」地位であり、大関こそが力士の事実上の最高位であると言えよう。そもそも大関の歴史は横綱よりも圧倒的に古く、横綱など所詮名誉職に過ぎないのである。

そんな地位の大関が、1981年9月場所で0人となってしまい、地位消滅の危機にあった。そのため、この地位を守るために組織されたのが「大関互助会」である。

ちなみに、かつては土俵上の怪我を理由に全休しても番付が下がらない「公傷制度」が存在したため、「8勝→(1勝もできずに)途中休場→全休→8勝→(1勝もできずに)途中休場→全休」の年間16勝で大関の地位を維持することもできたが、あまりに乱用しすぎた力士がいたため、相撲協会のKY理事長により、2003年11月場所限りで廃止されてしまった。(廃止後も「8勝→負け越し→8勝→負け越し→8勝→負け越し」で年間24勝で大関の地位は維持できるため、それを乱用している力士もいるが)その後、さる不祥事が原因でKY理事長が失脚してからは一時期復活へ向けた動きが出ており、特に前身組織の会員であった元大関の親方が理事長を務めていた時期には議論が活発であったが、KY理事長が再び復帰してからはまた議論が低調となってしまった。もっとも、そのKY理事長も「デヴは大抵早死にする」という医学上の法則から逃れることはできず、65歳の定年を待たずしてあの世へ逝ってしまったのだから、今後はまた公傷制度の復活へ向けた動きが出ても良さそうなものだが、果たしてどうなるものか……?

会員資格[編集]

会員となるには、三役の地位にて連続3場所で合計33勝以上という厳しい条件が要求される。この程度の成績が残せないようでは互助している余裕など無いので当然である。もっとも、現在は特別栄誉会員となった千代大海や、日本相撲協会が期待をかけていた稀勢の里豪栄道は32勝で昇進できたし、他方、会長を歴任したにもかかわらず他の会員から信用のなかった雅山は34勝でも大関互助会復帰はならなかった。要は、時の互助会関係者に信用されなければならないのである。

2場所連続で負け越して関脇に陥落し、さらに翌場所で9勝以下となり復帰できなかった場合は当然脱退となり、再入会には上記と同じ条件が科される。しかも、ここでは今度こそ会の活動に飛躍的な貢献ができると信用されていなければならず、先の雅山の例みたいに、入会を拒まれてしまうケースもある。大関互助会結成以来、唯一照ノ富士が再入会を果たしている。

ただし、関脇に陥落しただけで即脱退とは限らない点が要注意である(2場所連続で負け越した会員は翌場所、1場所限りの休会員、すなわち特命(特任)会員となる)。魁皇(浅香山)終身名誉会長の秀逸なシナリオによる演出でなのか、大関の特権を最大限に活かそうとしているのか、星勘定の結果そうなってしまったのか、本当に追放されてしまったのかは素人目には判断が出来ないため注意が必要である。

横綱に昇進した奇特な力士は原則として除名されるが、優勝争いから陥落した場合は名誉会員として互助に協力する場合もある。なお、現役会員が財団法人日本相撲協会を解雇(または除名)されてしまった場合は、その処分の正当性に関わらず大関互助会も除名処分となることが2010年6月28日の臨時会議にて決まり、当時の副会長であった琴光喜は協会を解雇された同年7月4日付けで「大関互助会の会員としての自覚を持たず協会の名誉を損なった」として同日付で互助会を除名処分とされた。また、出場停止などの場合についてはその会議にて「謹慎とし役職には代理をたてる。また自発的に役員辞任を求める」と決まった。

大関互助会はOBも時に活動に貢献する。大関互助会を引退した者が組織する「大関互助会OB会」という組織が存在しており、OB会長は魁皇であり、副会長は朝潮(2023年死去)であった。OB会には協会を離れた元会員も在籍しており、現在、存命の元会員は琴光喜と協会に在籍していない元横綱の一部を除き、全員が加入している。OB会運営委員などいくつかの役職があり、協会の仕事で大関互助会の活動を支援することも実際にある。OB会に所属している親方のおかげで、巡業先で恥をかくことはないし、大関同士の互助を行える取組も編成されるし、大関の降格基準も変更されない。

活動内容[編集]

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8勝7敗会員として最も美しい成績であり、このような大関は賞賛の意味を込めて「ハチナナ大関」と呼ばれる。かつては大関でハチナナはいかにも予定調和すぎるので、9勝6敗の「クンロク大関」が同様の意味で用いられていたが、一部の会員を除き、近年はクンロクをする余裕すらなくなってきており、ハチナナへの遠慮がもはや見られないのが現状である。会員は前半戦で早々に勝ち越しを決めた者が成績の苦しい他の会員に白星を配給するなどして、8勝7敗を目標に成績を調整する。このことを「ハチナナ調整」と呼ぶ。

仮に場所中に怪我をしたり体調が悪い場合でも最後まで出場し、他の会員に白星を配給することが美徳とされている。公傷が廃止された今、休場は職場放棄なのである。角番担当会員がいる場合、角番への白星配給を最優先する。角番は場所ごとにローテーションで担当。稀に存在しない場合もある。

関脇以下で活動に顕著な貢献をした者は準会員となる。

白星配給を怠った会員には制裁が行われることになっている。具体的には、終身名誉会長(8代会長)が現役で活躍していた頃であれば強烈な右小手投げ制裁が待っていた。また、その逆で、自身が大敗してでも会員への白星供給を怠らなかった会員には努力賞と金一封が送られる。たとえ優勝を争っていたとしてもこれらの活動を怠ってはならない。

横審対策として大関批判を避けるために、毎場所中盤まで優勝争いに加わって10勝程度の活躍をする会員が選定される。終身名誉会長が現役末期の頃になるとハチナナ記録樹立に忙しかったため、当時まだ若手であった琴欧洲(9代会長、ただし2014年1月限りで無念の脱会)や日馬富士(2017年11月限りで例の事件により引退)らが担当することが多かった。横審対策は怪我をするリスクが上がるので、若手が不満を持たぬよう、2010年に横審対策に相応しいエストニアの怪力巨人を迎えた(ただし2013年1月限りで無念の脱会)。しかし他にも、2011年にはがぶり寄りの名人(11代会長、ただし2017年3月限りで無念の脱会)とチック症状のガチ力士を新会員として迎えることになり、翌2012年には地味だけど頭が冴える犬(10代会長→顧問)も入会。さらに2014年にはナニワのGAD(12代会長、ただし2020年1月限りで無念の引退)も入会。フレッシュな新戦力で横審に太刀打ちしようと頑張ってきたが、それも過去の話で風前の灯火になろうとしている。

近年では横審から厳しい目を向けられているため横審対策が積極的に行われるようになったが、近年は新会員がせっかく入会しても消極的であるため、その対策を当番制とする案が出されており、現在試行が行われている。

運営組織(部会)[編集]

これは大関互助会運営組織を存続させるための改革の一環として、2012年11月に発足した新体制である。

  • 総合企画部:互助シナリオの調整を準会員らとも協力しながら製作する部署である。
  • 広報部:会の存在をアピールし、新会員の発掘等につなげる部署である。
  • 危機管理部:互助会の緊急事態に対応する部署で、2010年新設。
  • 巡業部:巡業で会員が恥をかかぬよう、関脇以下の力士たちを申し合いから排除する部署。
  • 審判部:横綱審議委員会・協会審判部にスパイを送り込む人たちが所属する部署。佐ノ山特別栄誉会員のために作られた。
  • 指導普及部:互助会のAtoZを叩き込む部署。浅香山終身名誉会長たっての希望で新設された。
  • 事業部:東京場所のみ横審対策を担当する部署。
  • 大阪場所担当部:3月の大阪場所のみ、横審対策を担当する部署である。長らく休眠状態らしい。
  • 九州場所担当部:11月の九州場所のみ、横審対策を担当する部署である。同じく休眠状態。
  • 名古屋場所担当部:7月の名古屋場所のみ、横審対策を担当する部署である。琴光喜除名以降は休眠状態にある。

注意[編集]

なお、当然ながらこれらの活動はあくまで「互助」であって断じて「(公然と金銭が飛び交って星が売買される)八百長」ではない。すなわち、関取同士の、大関同士の、美しい友情の上に成り立つ清廉潔白な活動である

その動かぬ証拠に、大量の八百長力士が処分される中で、(違法賭博による犯罪行為を主導して除名された琴光喜を除き)互助会員は誰一人として処分されていない。彼らのクラブ活動が八百長で無いことは一目瞭然である。

現在の構成員(現役力士)[編集]

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会長[編集]

豊昇龍智勝

副会長[編集]

現在は不在

会員[編集]

琴櫻将傑
大の里泰輝
かつての互助会創設期に入会し最初の副会長を務めながら僅か1年余りで互助会と完全に決別してガチ相撲に徹したおしん横綱隆の里の孫弟子にあたる。近年の新加入会員とは一味違うため、久々の副会長就任かと思いきや会敵になり得る可能性もあるため見送りとなった。

特命(特任)会員[編集]

現在は不在

顧問[編集]

横綱に昇進して会員資格を喪失した奇特な現役力士も、顧問(名誉会員)として現役会員をサポートすることができる。

照ノ富士春雄
大関互助会最高顧問(現・第1顧問)。本名ガンエルデネ、通称ガナ。2015年夏場所後に入会。同じ伊勢ヶ濱部屋所属の日馬富士顧問(当時)の御側衆であったが、モンゴル互助会では会員資格停止を言い渡されており、状況次第ではガチバトルを挑んでくる。鳥取城北OBで逸ノ城の先輩でもある。2015年夏場所で、棚から牡丹餅(横綱の自滅)で優勝し、将来の顧問としての活動を期待されての入会となった。
横綱を目指すと公言しているためハチナナ・クンロク活動には興味がなく、入会前の互助会からの印象は最悪であった。しかし入会直後の2015年名古屋場所千秋楽に角番7勝7敗で迎えた当時の琴奨菊会長に対して見事に白星を配給し、今後の活動の意気込みを見せつけた。
その後は両膝の怪我が良くならず、2016年5月場所では3日目から13連敗し角番に。そして7月場所では千秋楽、ハチナナで角番脱出を成し遂げ、互助会への愛着を示した。
そして2017年1月場所では11敗を喫して再び角番として迎える翌3月場所、奇しくも豪栄道副会長(当時)の会長昇任によって自らが副会長に就任する予定だったが、この場所ではあまりにも酷い相撲を取り続けて互助会を破滅寸前まで追い込むことになる。その14日目、かねてから汚立ち合いで翻弄されて恨んでいた琴奨菊特命会員(当時)に対して豪快な変化を繰り出して脱会させ完全に復帰の道を絶たせた上に、兄貴分の日馬富士顧問による全身全霊での援護射撃(=会敵に加えた制裁)の努力を自ら水の泡にするような大失態を、翌日千秋楽でやらかすという最悪のシナリオを生み出してしまった。しかしようやく副会長に就任するも同年7月場所と9月場所で休場を繰り返して2場所連続負け越しを喫して休会。
2017年11月場所は特命会員として臨むものの、やはり両膝の怪我が良くならず、途中休場、負け越し。互助会が破滅の危機を迎えている異常事態ということもあり、琴奨菊と同様に臨時特例として乙種特命準会員のポストが与えられたが、途中休場が続いていることから十両に陥落し、乙種特命準会員の認定が取り消された。しかも大関経験者としては昭和以降初となる幕下までの陥落も経験し、2018年11月場所では三段目まで陥落した。その後序二段まで落ちるも徐々に回復し2020年1月場所で十両に復帰。そして同年7月場所で幕内復帰し優勝、翌2021年3月場所でも優勝し直近3場所での成績を以て大関・正会員復帰という(我々日本人にとってはお涙頂戴の)感動の復活劇を見事に果たした。しかも事ここに至り、その復帰直後の同年5月場所で2連覇を継続中。そして再び会員となったのも束の間、ついに翌7月場所で初日から14連勝を成し遂げての準優勝という結果を残したため、横綱昇進を果たして会員資格を喪失し顧問となった。しかし、2022年11月場所限りで正代会長(当時)が休会となり正会員が1名となったため、2023年1月場所から会長代行に就任。2023年5月場所後に霧馬山改め霧島が互助会に入会し正会員が2名となったため、会長代行を退任した。
現役引退後は大関互助会OB会の委員(日本相撲協会に残らなかった場合は特命(特任)委員)となることが既に内定している。

準会員[編集]

正会員に対して特に積極的な互助を行い大関互助会に貢献した関脇以下の現役幕内力士は、準会員に認定される。

甲種準会員[編集]

次期正会員最有力候補となりうる現役関脇は、甲種準会員に認定される(ただし、正会員未経験者のみに限る)。以下の条件を満たすと甲種準会員となり、正会員昇進のための審査が始まる。三賞(殊勲賞、敢闘賞、技能賞)、金星を受賞すると評価が高くなる。

  • 通常の昇進の場合
    • 関脇・小結昇進後、2場所連続で勝ち越し(勝ち星が8勝以上)かつ、10勝以上すること。
  • スピード昇進の場合
    • 関脇・小結在籍中に優勝または優勝に準ずる成績を一度でも収めること

2024年11月場所終了時点で、以下の2名が確認されている。
大栄翔勇人
若元春港

乙種準会員[編集]

常連として長年正会員の活躍を支え続けて互助会に多大な貢献をした現役幕内力士は、乙種準会員に認定される。

OB(大関互助会OB会について)[編集]

大関互助会に所属していた会員のうち、その功績があり引退した者は名誉会員として、OB会を組織して現役会員を表裏両面から密接にサポートしている(詳細は、大関互助会OB会を参照のこと)。

終身名誉会長[編集]

魁皇博之

特別栄誉会員[編集]

千代大海龍二

名誉顧問[編集]

朝青龍明徳

(参考)除名された元構成員[編集]

琴光喜啓司
通称ミツス。長い準会員時代を経て副会長まで上り詰める。そのため正会員になってからの場所数に比べて互助への貢献度は大きい。関脇時代には、歴代の会長でさえ当時成しえていなかった前人未到の6場所連続ハチナナを達成しており、早期の正会員昇格が望まれていた。基本的にはハチナナ、クンロクを繰り返す優秀な会員だったが、地元ではいい所を見せたいようで、正会員になってからは特例として互助会協力による名古屋場所での2桁勝利が許されていた。千代大海休会の際の不戦勝により副会長後継者として指名を受け、互助会生活も順風満帆、過去の慣例をも変えうる史上初めての副会長からの次期会長昇任も見えてきたはずだった。が、その矢先に趣味のチョメチョメにより日本相撲協会を解雇処分、史上初めて大関互助会を除名処分にされてしまった。大関互助会OB会とも一切関わっていない。

会長・副会長の変遷[編集]

期間 会長 副会長 会員数
+(特命会員数)
備考
1981年11月 - 1982年1月 - - 1 大関互助会結成
琴風加入
1982年3月 - 11月 琴風 2 隆の里加入
1983年1月 - 3月 隆の里 3 若嶋津加入
1983年5月 4 朝潮加入
1983年7月 5 北天佑加入
1983年9月 - 1985年5月 若嶋津 4 隆の里横綱昇進
1985年7月 朝潮 3+(1) 琴風休会
1985年9月 - 11月 4 大乃国加入
琴風脱会
1986年1月 - 7月 5 北尾加入
1986年9月 - 1987年5月 北尾改め双羽黒横綱昇進
北勝海加入
1987年7月 北勝海横綱昇進
小錦加入
1987年9月 北天佑 4 若嶋津引退
1987年11月 - 1989年3月 大乃国横綱昇進
旭富士加入
1989年5月 - 1990年3月 小錦 3 朝潮引退
1990年5月 - 7月 4 霧島加入
1990年9月 3 旭富士横綱昇進
1990年11月 - 1992年5月 - 2 北天佑引退
1992年7月 - 11月 霧島
(初代霧島)
3 加入
1993年1月 2+(1) 霧島休会
1993年3月 - 7月 - 2 曙横綱昇進
貴ノ花加入
霧島脱会
1993年9月 - 11月 貴ノ花
(貴乃花)
3 若ノ花加入
1994年1月 若ノ花
(3代若乃花)
2+(1) 小錦休会
1994年3月 - 9月 4 武蔵丸貴ノ浪加入
小錦脱会
1994年11月 若ノ花改め若乃花
貴ノ花改め貴乃花
1995年1月 - 1998年5月 武蔵丸 3 貴乃花横綱昇進
1998年7月 - 1999年1月 貴ノ浪 - 2 若乃花横綱昇進
1999年3月 - 5月 武蔵丸
(再任)
3 千代大海加入
1999年7月 - 2 武蔵丸横綱昇進
1999年9月 - 11月 千代大海 3 出島加入
2000年1月 出島 2+(1) 貴ノ浪休会
2000年3月 貴ノ浪
(副で再任)
3 貴ノ浪復帰
2000年5月 4 武双山加入
2000年7月 千代大海
(再任)
4+(1) 雅山加入
貴ノ浪休会
2000年9月 4+(1) 魁皇加入
武双山休会
貴ノ浪脱会
2000年11月 - 2001年7月 武双山 5 武双山復帰
2001年9月 雅山 4+(1) 出島休会
2001年11月 魁皇 3+(1) 雅山休会
出島脱会
2002年1月 - 7月 4 栃東加入
雅山脱会
2002年9月 - 2003年1月 5 朝青龍加入
2003年3月 - 2004年5月 4 朝青龍横綱昇進
2004年7月 3+(1) 栃東休会
2004年9月 - 11月 栃東 4 栃東復帰
2005年1月 千代大海
(再々任)
2+(1) 武双山引退
栃東休会
2005年3月 - 11月 3 栃東復帰
2006年1月 - 3月 4 琴欧州加入
2006年5月 - 9月 5 白鵬加入
2006年11月 - 2007年5月 琴欧州改め琴欧洲
2007年7月 3 白鵬横綱昇進
栃東引退
2007年9月 - 2008年11月 4 琴光喜加入
2009年1月 - 11月 5 日馬富士加入
2010年1月 琴光喜 4+(1) 千代大海休会
2010年3月 4 千代大海引退
2010年5月 5 把瑠都加入
2010年7月 - 2011年7月 把瑠都 4 琴光喜除名
2011年9月 琴欧洲 3 魁皇引退
2011年11月 4 琴奨菊加入
2012年1月 - 3月 5 稀勢の里加入
2012年5月 - 9月 6 鶴竜加入
2012年11月 5 日馬富士横綱昇進
2013年1月 琴奨菊 4+(1) 把瑠都休会
2013年3月 - 11月 4 把瑠都脱会
2014年1月 鶴竜 3+(1) 琴欧洲休会
2014年3月 3 琴欧洲脱会
2014年5月 - 7月 琴奨菊
(昇任)
- 2 鶴竜横綱昇進
2014年9月 - 2015年5月 豪栄道 3 豪栄道加入
2015年7月 - 2017年1月 4 照ノ富士加入
2017年3月 豪栄道
(昇任)
照ノ富士 2+(1) 稀勢の里横綱昇進
琴奨菊休会
2017年5月 - 2 琴奨菊脱会
2017年7月 - 9月 照ノ富士
(再任)
3 高安加入
2017年11月 高安 2+(1) 照ノ富士休会
2018年1月 - 5月 - 2 照ノ富士脱会
2018年7月 - 2019年3月 高安
(再任)
3 栃ノ心加入
2019年5月 3+(1) 貴景勝加入
栃ノ心休会
2019年7月 栃ノ心 4 栃ノ心復帰
2019年9月 3 (1) 貴景勝休会
2019年11月 貴景勝 3 (1) 貴景勝復帰
栃ノ心休会
2020年1月 2 (1) 高安休会
栃ノ心脱会
2020年3月 (※ 鶴竜: 
 会長代行)
- 1 豪栄道引退
高安脱会
2020年5月 - 9月 朝乃山 2 朝乃山加入
2020年11月 - 2021年3月 正代 3 正代加入
2021年5月 照ノ富士
(再々任)
4 照ノ富士復帰(再入会)
2021年7月 正代
(昇任)
(朝乃山謹慎により会長交代)
2021年9月 - 2 (1) 照ノ富士横綱昇進
朝乃山休会
2021年11月 - 2 朝乃山脱会
2022年3月 - 2022年9月 3 御嶽海加入
2022年11月 2 (1) 御嶽海休会
2023年1月 (※ 照ノ富士: 
 会長代行)
1 (1) 正代休会
御嶽海脱会
2023年3月 - 2023年5月 1 正代脱会
2023年7月 霧島
(2代霧島)
2 霧島加入
2023年9月 - 2024年1月 3 豊昇龍加入
2024年3月 - 2024年5月 4 琴ノ若加入
2024年7月 豊昇龍
(昇任)
3 (1) 霧島休会
琴ノ若改め琴櫻
2024年9月 2 (1) 貴景勝休会
霧島脱会
2024年11月 3 貴景勝引退
大の里加入

会長最長在任記録は魁皇(現終身名誉会長)の9年9ヶ月・58場所、副会長最長在任記録は千代大海(現特別栄誉会員)の通算5年7ヶ月・35場所という最強タッグが保持している。なお、互助会員最多在位記録もこの最強タッグが見事に並んでいる(65場所)。

特命会員は形式上とは言え休会中のため幹部を務めてはいけない不文律がある。しかし、見事に10勝を挙げて1度目の復帰を果たした特命会員、または一度脱会してもその後互助会員としてふさわしい活躍を見せ再入会を果たした元会員は、その活躍ぶりを讃えるため、臨時特例として副会長に就任する(この特例により就任した過去の副会長は、貴ノ浪、武双山、栃東、栃ノ心、貴景勝、照ノ富士の6名)。

なお、朝乃山は6場所互助会の活動が禁止されたため、特命会員を1場所務めたのち脱会した。

また、現在何らかの事情で会長もしくは副会長が不在となった場合は、原則として以下の優先順位で穴を埋めることになるが、役員選任にあたってはこれまでの会員としての実績がかなり重要視されるためこの限りではない。

1 # 琴櫻 2 # 大の里


ただ、空位や兼任となる可能性もある(会長選任は原則として副会長以外の会員に限る)。会員数が2名以上の組織となって以来、これまで会長職が不在となった事はないが、副会長は過去に不在となった事がある(但し、魁皇が引退した際には現役時代の功績から数日間不在状態になったが、書類上では不在状態はなかったことになっている)。副会長については、原則会員数が3名以上(休会員を含む)の場合に限り置かれる(最近は短期間のうちに角番を繰り返したり休会→脱会する者が増えたため3名以上でも副会長不在である。現に御嶽海は入会後の休会の最短記録を達成してしまった)。なお、代理は時の横綱が務めることになる。

魁皇会長・千代大海副会長の時代は、両者ともに豪腕のため昔より安定した実績を残していたが、千代大海の後釜となった琴光喜の頃以降、最近では副会長職に求心力が無くなっており、琴光喜副会長が不祥事を起こして除名、把瑠都副会長が不祥事を起こして更迭されるなど、求心力がほぼゼロとなっていることが多い。つまり、魁皇元会長が現役を引退した頃から幹部役員争いが第2次戦国期(つまり、横審や相撲協会をはじめ世間に対するごまかしが効かないことによる、熾烈な角番経験と大関陥落力士の増大)に突入したということだ。

関連項目[編集]

この項目「大関」は、ちゃんこ不足のようでごわす。
さあ、そこの新弟子も力士の要たるちゃんこを作ってみるでごわす。強く当たったらあとは流れで行くでごわす。ごっちゃんです! (Portal:スタブ)