八幡浜市
八幡浜市(やわたはまし)は、四国北西部、愛媛県は佐田岬半島基部に存するちゃんぽん係長の拠点都市である。
概要[編集]
八幡浜市は佐田岬半島の付け根に位置し、天然の良港として古くから栄えてきた。瀬戸内海と日本海を結ぶ関門海峡の近辺にあり、水温が均質で早い潮流に恵まれているなど、良品質の漁場となっている。そのため、どこぞの長州の連中がわざわざ近くまで来て魚を捕っていき、「関○○」と産地偽装しても分からない。つか、お前ら伊予灘まで来るなよ。
同アジ・サバは「岬(←はなと読む)アジ」や「岬サバ」と何ら変わらないので、情報強者は佐田岬半島の伊方や三崎から魚を取り寄せて関サバ・アジとしてご贈答に用いる。安いし。下関に銭を落とすのは情弱だけである。
岬という土地柄のため、平地が極めて乏しく、傾斜地は柑橘類の園地として利用されている。「三つの太陽」によるミカン作りで有名だが、三つの太陽とは何かでいつも市内の井戸端会議は紛糾する。一般的には空から、海(面反射)から、石垣(の地面反射)からとされているが、ソラ(ノヲト)から、産み(落とされた神)から、志垣(アンドレ)からと主張して止まない一派がいて治安不安の一因となっている。
歴史[編集]
市名の由来はウィキペディアに書いてある。読め。
市名の由来が八幡神由来であることは言うまでもない。このまともな地名が、今に至るまで無事語り伝えられてきたことは市民の誇りである。由来が定かでなくとも、誰も由来を知らずとも、昔からある地名を尊重するのは、当たり前のことである。現に生きている者のみならず、この土地に眠る死者達をも、時こそ違えど同じ土地を共有する共同体構成員として認識し、歴史と伝統の名の下、彼らに思いを馳せ共にある日本人としては極めて当たり前のことである。現自己中市内の旧伊予三島市長のようなアホがいなかっただけ救いである。つか、昔から伝えられてきたものに愛着がないなんて、旧伊予三島市も日本人じゃない市長を推戴したのかもね。同市民ならびに同市長はとっとと腹を切って死ぬべきである。
結構戦前は、ヤクザの抗争が激しかったりした。元八幡浜市長の高橋氏の縁者が関わっていた高橋組と兵頭組の抗争は、地味に今も語り草。
こんな土地柄だから旧市内の選挙は死人が出たとか出ないとか、ゲンナマではない実弾が飛び交ったかもしれないとか、逸話には事欠かない。と言われている。嗚呼。
マスコミ・多数の地方紙[編集]
何でかわからないが昔から市内限定の地方紙がいっぱいある。だがまともなものばかりではなく、新聞屋のフリをして脅迫を常とする反社会勢力もいた。「自由人」とか「自由を」とかいう名の押し売り便所紙がそれである。
が、だんだんまともになってきた。今は八幡浜新聞、八幡浜民報、南海日々新聞のみが存在する。
無論三紙とも全部まともである。でも三紙でも十分多い。
地理[編集]
東隣の大洲市とは国道197号の夜昼トンネルで結ばれている。天井板式のトンネルであり、はっきり言って危険である。笹子トンネルの事故を思い出せばわかるだろう…。(点検の結果安全だって?知らんな)入った時と出た時とでは昼夜が逆転しているほどに長いため、このトンネル名が付いた。陰で、トンネル内で遭難(して死体を低級霊に乗っ取られ、ゾンビ化)する人が後を絶たず、レベルの低い冒険者・勇者たちの格好のレベル上げポイントとなっている。前出の理由からアンデッドだらけなので、ディスペルやジルワン、レイズ、ニフラム、マハンマなどが使える仲間がいると心強い。シークレットドア、ショートカットできるワープゾーンもあるとされる。最近高速が延伸してきているが…トンネルの名前が「新夜昼トンネル」なのが何ともどうでもいい。
隣接自治体[編集]
行政[編集]
人員削減しまくったので本当に人手が足りない様子。なのに。なのにだ。一度廃止した「部長制」をまた復活させようという変な議員がいる(2011.1月現在、各部局の最高位ポストは課長)。部長なんていう現場から離れたポストに就けられるほど人員に余裕はないのだが、議員のほうも票田&確実な票の一本釣りさえ固めとけば絶対に落選しないぐらいに投票率は低く、市民の民度が低いことはお見通しなので、好き放題言えるのである。
市長[編集]
2010年時点で大城さん。
- 前の人と交代したら何故か県の対応が円くなったのは不思議。前の人と中村さんの前の知事とが、若い頃ア〜ン♥♥な関係で、そこからのもつれがあったという声もある(参考:[1][2])が未確認。というか確認もしたくない。腐女子様も真っ青である。
- んで、しばらく経ったらそのoさんの連れて来た副市長とやらがまず「図書館に週刊新潮入れとるのはなんでや!? 購入取りやめにせぇや!!」とか、意味不明なブチ切れ方をした。そして購入取りやめにしたら、当然議員諸氏を通じて市民から不満が出て、市民から追及された。だが、なぜか新潮購入を取りやめにした理由を、議員氏とかには話すなという意味不明な指示も件の氏は同時にやっちゃったため、職員たちは真相を話せない。
- んで、その追及をやった太陽スポーツのおっちゃん氏は図書館を管轄する当時の生涯学習課長に黙秘権を使われて、追及らしい追及も出来ませんでしたとさ。このことを指して、当時の八幡浜民報は「市役所内が北朝鮮状態だ」とコラムに書いた。その原因が、O氏の連れて来た県庁出身のバカのせいであることは言うまでもない。それをきっかけに、バカが市庁内の主導権を完全に握ってしまったのは言うまでもない。その、「まずどうでもいいことで難癖をつけ、そこで相手が下がったら一気に付け込んでいく」というヤクザそのものの手口にかつての選挙相手だった高橋氏も恐れをなし、県議といううまみも何もないポストにおさまった。
そして、恐るべきことに…その後、八幡浜民報は、唯一の記者氏が車にはねられ、紙面作成ができなくなり、休刊に追い込まれてしまった。その事故の原因に何らかの魔の手があるのではと勘繰る市民は少なくない。マジで。
市民参加のあり方[編集]
さて、本当に市役所に人間が足りないならば、ボランティアまたは安価の報酬(ボラバイトとかいうアレ)で以て行政への市民参加を図り、人員を確保しておかなくてはならないはずなのだが、かつてそのようなことをやった時、同じような仕事を任されたボランティアの人とどこぞから雇われてきた変な奴とが会話した際、その雇われがそんな仕事やって俺らはちゃんと銭もらってんぜと軽口をぬかしたため、士気は下がるほかなくボランティアによる市民参加の意気は全く上がらなくなってしまった。要するにここの市民は自分で自分の首を絞めるのが好きなのである。嗚呼。まあ何というか他の都市の例に漏れず、毎月の月初めになれば働きもせずに銭だけもらいに来て、そのくせ態度だけはいっちょまえの市民っぽい何かが窓口にやって来る。当然母子家庭とか本当に困っている人は含まれないのでそういう方々はちゃんと生活保護の支援を受けてくれ。だが堅気にも極道にもなれん半端極道ども、テメーらはだめだ。
経済[編集]
みかんと魚とちゃんぽんとかまぼこ、じゃこ天、削りかまぼこの町である。
みかんがソウルフードであることは言を俟たない。が、南柑も21号が新たに出たし、新品種に命を懸けている今、もうどうでもよくなりつつある。みかんと魚の町づくり自体無理があると、実は昭和4、50年代に既に発覚していたので、市民のほうも何だか投げやり気味。一言で言うとどうにもならぬ。YYスタンプなるサービス券制度が2010年末破綻、市商店街が信用崩壊を引き起こした。が、これはこれでシャッター街の宿命かと、なるべくしてなった結果と市民も涼しい顔。
主に騒いでいるのは事情を知らぬ市外の人である。
しかし市外の人に便乗して、平日の昼間から商店街に詰め掛けていた人がわんさかいたことから、この市が無職に支配された恐るべき覆魔殿でもあると露見してしまった。YYスタンプ廃止を機に、市内に巣食う無職たちはここぞとばかりに跳梁跋扈を始め、市民たちを襲い始める。対イノシシ用に整備されていた竹槍が治安回復に火を噴く今日である。あと、おわたはまとか言うな。じゃこカツぶつけんぞ。
名物[編集]
旧保内町、現八幡浜市、製造元の西南開発共々、みんなして宣伝が下手くそなのであまり知られていないが、魚肉ソーセージ発祥の地である。つか、マミーミートとかいう店で既に雑多な魚肉のミンチがソーセージ状にされ、作られていたという証言もあるのだが、明治屋を通じて全国販売を展開したという点で西南開発の功労は多とされるべきである。
だが、やっぱり宣伝は下手くそである。嗚呼。
余談であるがこの会社は「骨まで食べられる鯛」という珍商品を作っていた。珍しさから売れそうなものであるが、最近古くなった大半を廃棄処分。食えなくなる前に社員関係者の慶事に一人一月何尾までと配らせりゃ宣伝になったのに、そういうところの知恵が働かない。創業者たちは泣いているであろう。嗚呼。
南予は大概こんなもんである。外側に打って出る発想がない気質は、ある意味鬱気質でありこれも一種の名物と言えよう。だが、躁気質の者もたまに発生し、高速道路をアウトバーンの如くにぶっ飛ばして、それを録画、つべにうpして逮捕(参考[3])されたりもする。
ああ、そういえば蒲鉾が有名。谷本さんとこね。別に何も含みはないですよ?松山にも支店があるでしょうが。有名でしょ。それだけですよ。前後の関係なんか何もないですよ?同店は最近東南アジアに海外赴任していた人がいるため、海外への販路展開も見込まれている。もし赴任したのが本当なら。
みかん?そんなの当たり前すぎて言うまでもない。だがそうとはいっても真穴ミカンは名高いブランドであり、そこのミカン100%で作られたミカンジュースは、同県の誇る歌姫のブログでも紹介されたほど。真穴産のみかんは市民からも、他のものと別格扱いされる。
みかんにかける意気込み[編集]
みかん自体はどうでもいいが、新品種開発には魂まで賭けている。柑橘類を食い荒らすイノシシの捕殺が何より推奨され、イノシシ相手に多大なる武勲を挙げた市民のため、当市限定で金鵄勲章が復活した。なお、2010年末~2011にかけて在浜さいたま国公使(5歳)が全国へ西宇和みかん(フルーツ)を宣伝してくれていた。実現には、公使(5)ご自身への真希ちゃんによる接待攻勢が功を奏したらしい。
名所[編集]
- 黒湯温泉 みなと湯
- 吉見市長時代に温泉掘削を挑戦していた八幡浜市。同市出身の温泉の神様こと駿河進氏とともに掘削してみたものの、見事に失敗した。吉見ちゃんが使った税金は無駄に終わり、市議会でさんざ追及される。その経緯があったため、大城時代の掘削は民間が金出してやれとやってみたら見事に出た。でも近くに飲食店とかないのが地味に不便。
- 新町ドーム
- 此処こそが、同市の文化の遅滞加減を知る上で絶好の名所である。こんなからっぽな空間が出来る前にどんな建物があったか。それのほうがどれほど他の地域から人を呼ぶ材料になったか。知れば知るほど市民自らがアホだと思い知らされる、負のオーラ漂うイベントスペースである。旧市と比べれば旧保内町はまだ文化資源の保全に熱心であった。
- 港近辺
- ただひたすらにだだっ広い土地。ここをどう使うかが市長選の焦点の一つにもなった。かまぼこ板のカーテンだか衝立だかがあるが、迷路として遊べないくらい小さい。ちなみに公称は「あずまや」とのこと。
- どーや市場
- 獲れたての魚を安く売るという人気の市場であり、八幡浜に数少ない観光名物の一つだった………。そうだよ、過去形なんだよ! 全ては港の埋め立てがどうのということで一時中止してたはずが、次第に「『八幡浜の魚』自体をブランド化させるんで、もう安売りなんかしねーよ。どーや市場だって市役所に頼まれたから厭々やってたんだよ」みたいなことをぬかす連中が漁業関係者の中に増え始め、もう復活の見込みは絶望的。おまいら、いいのかそれで。客もまともに来ないのにどうやってブランド化する気だ? え、何だと? どーや市場まだやってるだと? そんならやわたはま海鮮朝市と間違えたんだよ。こまけぇこたぁいいんだよ!
- おさかな牧場 シーロード八幡浜
- 釣堀である。だが、強調しておきたい。八幡浜はその名の通り、浜である。つまり、海なんか目の前にあるのである。何故釣堀が必要なのであろう?釣り絡みの観光拠点が欲しければ家族釣り用の貸し船をずらっと整備しとけば済むことだったはずだが……まあ、これも詰まるところはバブルの徒花なんである。費用の大半を国が出してくれるからとホイホイ造ってしまったら、その維持費が恐ろしいことになってしまいましたとさ。そりゃ、施設は作ったら維持しなきゃならんもんね。ランニングコストを頭に入れてなかった当時の市長はやっぱり腹を切って死ぬべきである。おまけにその国からの予算が紐付きだったもんだから「計画やめる→金返せ」の流れは明らかで、「お魚牧場やめまーす」つって当選した市長もどうにも出来ませんでしたとさ。めでたくないめでたくない。
- 平家谷
- 夏になるとそうめんが流れてくる不思議な谷。これも平氏側が持ち去った神器・天叢雲剣の力であろう。すぐ先の佐田岬半島へは、安徳帝が潜幸されたと言われている。
- ゆめみかん(←愛称 正式名・八幡浜市文化会館)
- ここも負の名所ではなく、れっきとした正の価値がある。さり気なくスタンウェイのピアノを持ってるとか、ステージの音響が森山良子さん曰く四国一だと称えられたとか、何気なく建ってるがスゴイとこである。しかしピアノの調律に掛かるお金はものが物だけにすごく高く、一部の議員からは疎ましがられている。というか、旧保内町に建ってるんだから旧称の「保内町文化会館」のままでよかったんじゃねえの?名前変えて誰が得したんだよ?あ?旧市内の八幡浜市民会館と紛らわしいんだよ。
- あと、だだっ広いホワイエが平日何も使われることなく、がらんと空いている。あそこの真ん中に仕切り板でも置いて西日除けにしたら利用者も便利なんですけど。何て思ってても、そもそもこの市には市民から意見を募集するとか市民と一緒に責任も共有して物事を進める文化がないからどうしようもない。まあ責任を取りたくない市民ばかりだってことなんですけどね。
- そもそも飛行器(←「機」ではない)発明の忠八さんも、その意見を上役が取り上げなかったからこその悔しい半生を送ったはずなので、その生涯に学ぶ気持ちが少しでもあるならば、下からの提案・意見を誘い入れ、また取り入れる気風を作り上げることで忠八さんの無念を少しでも晴らそうとするはずなのだが、ここの市民の忠八さんへの熱意自体、氏の生涯の意気に感ずることも出来ない程度なのでどうしようもない。正にどうにもならぬ。せめて、松山市が大学生相手にやってるみたく八高生相手に政策論文でも募集してみたら?
- 保内中央公民館(現在の名前は中央公民館保内別館)
- 保内町時代には普通の公民館であった。が、現在は少しおかしなクリーチャーが常駐している。その、見かけただの爺さんである存在は自らを管理人か何かと勘違いしているらしく、公民館と保健センターの間にある駐車場で休憩している人に対し、「ここは市の施設を利用する奴だけが使ってええ場所じゃ!!そうでない奴は出て行け!!」と、市の職員には絶対に言えないレベルの恫喝で市民達を追い出す。もちろん相手が地元市民でなく観光客であろうと構いはしない。この爺様型のクリーチャーは誰彼かまわず難癖をつけて追い出せればそれでよいのである(嘘だと思うならそこの駐車場に1時間ほど駐車してボーっとしてみるとよい)。ゆえに、保内地域で休憩したい観光客の方は公民館のクリーチャーを避けてSCほないの駐車場などを使いましょう。
出身有名人[編集]
- 二宮忠八
- 不可思議なることに、同時代に何人もの人々が世界中で飛行原理解明に成功している。そのうちの一人。つまりモノリスからの電波受信に成功した人。だが独力で開発する金がなく、彼が所属していた陸軍も、忠八が主張する航空機の重要性について全く理解できない、(5分以上連続する日本語会話すら理解できなかったほどの)アホだったため、苦渋の半生を送らされる(さらには、生家は立派な海産物問屋だったところを色町狂いのアホ兄貴どもに家の財産を食いつぶされて破産、自製の凧を売って生活費の足しにしていた逸話がある分だけ、子供の時からアホに苦しめられていたのである)。後半生は飛行神社を創設、自ら神官・宮司となって航空機事故の犠牲者たちの慰霊に努めた、立派な人。だがそんな立派な人も旧市には不遇の扱いをされ、同市内にある、氏由来の斐光園を潰すとかどうとか、アホな事をしでかそうとしていた。こんなだから、市制何十周年かで人を乗せた烏型飛行機の飛行イベントをした時に氏の息子さんを呼び、スピーチしてもらった際も、「故郷には全くすげなくされ続けてきた」という要旨のことを言われるのである。めでたい席で言われる分だけよっぽど腹に据えかねていたのであろう。つまりは、アホに苦しめられる人生・後世を送った(送っている)不遇な人なのである。嗚呼。みんな京都の飛行神社へお参りしたげよう。
- 前田山英五郎
- いつぞやの横綱だった。昔はかなりとんでもないことをしでかしていたそうなので、気になる人は旧保内町の還暦以上の人に聞いてみよう。公式記録にはないから、市役所の人に聞いても知ってるはずがないよ。それでも保内三傑として地元では知られている(本当)。全てを2倍にする人をスカウトした。休場してまで野球を見に行くほどの野球狂。競技をしてない分だけ例の横網(←横綱ではありません)よりはマシか。
- 富澤赤黄男
- 俳人。この人も保内三傑の一人。別に全身を赤や黄色で塗りたくる性癖を持っていたわけではないので注意。それでは別の意味のはいじんである。この人を記念する俳句大会が毎年二月か三月ぐらいに開かれる。
- 二宮敬作
- 保内三傑の一人。貧しい人にも献身的だった立派なお医者。シーボルトさんの娘のイネさんとあんな仲だったかもしれないとかそうじゃないかもしれないとか、いろいろ想像させる人。氏に縁のある地を歩く地元イベント、二宮敬作ウォークとは同氏とイネさんとの恋路の険しさを想像しつつ歩くもので、遠距離恋愛になる二人が互いの決意を固め合う儀式として尊ばれている。あれ?そういえば敬作とイネは義理の父娘の関係じゃ。ということは検閲により削除
- 二宮清純
- スポーツ専門のジャーナリスト。別に三傑でもなんでもないが、南海放送ラジオでの月曜4時からの出演は欠かさない律儀な人。野茂英雄について語り始めるやいなや、ゴキブリ・ネズミ除けにも役立つ妙なオーラを発し始める。全て何もかもわかっている人。ただし事後に限る。
- 井上昌己
- 歌手。今はインディーズのみ。後述する、「穴井夕子さんによる高校イメージソング」の理由は、彼女が穴井さんとラジオ出演していた縁があるのかもしれない。参考→[4]
- 宮本真希
- 女優。宝塚時代の芸名を初見で正しく読んだ人がついに現れなかったことで有名。斐貴←読める? 正解はぴー
- DJソルト
- クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!に一時期出演していた、からあげを主たる燃料とする黄色いDJ。だが突然キャプテンSなる代役が出現、公式的には一切前触れなしの退場であったが、ある日まいんのパートナー・ミサンガが見えるようになってしまったため、更なる料理の奥深さに開眼、「俺より旨いからあげを揚げられる奴に会いに行く」とミサンガへ言い残して去っていったという説が、最有力視されている。どーよのかたわれでもあるとの情報も視聴者から寄せられていたが、判然としない。
- 陰陽座の方々
- 甲賀忍法帖は逸品である。逸物ではない。
- 田浪将和
- スーパーフリーなるテキヤ組織と関連付けようとする輩がいるが、全くの事実無根である。向こうはfreeであるが、田浪氏のはfleaである。つまり、ノミである。従来のスーフリを装い、ノミのようにスーフリへ寄生する形であんなことやこんなことをしでかしていた。最近は某リーマンにいたとかいないとかいう噂である。早く本業の、和田サンのノミを取る仕事に戻れと和田サン飼育元のバカ田大学から苦情が出ている始末。のみならず、害務省関係の親子も関係する、イベントサークルを隠れ蓑にした薬と金の大陰謀を展開している後輩たちへの指導も要請されていると言われている。
教育[編集]
市内に高校は三つある。その二つは見做し偏差値が結構離れているが、程々に普通である。残る一つは工業高校であるが、公式メアドが存在しないという謎の高校である[5](他の二つの高校のトップページではちゃんと公式アドレスが存在すると判る)。校舎も表通りから少し奥まった所に存在し、秘密プラントが存在する雰囲気を満々と湛えている。2006年7月、お姐さんと男子生徒とがドライブなどをしてたというア〜ン♥♥な逸話が発生し、(それをうらやましく思った)教育委員会からメアド割りふりが停止されたため、同校職員はフリーメールで仕事のやり取りをしているとの噂。電気技術科もあるのにいいのかそれで。
市内中学は未だに大抵のとこが全員部活動必修、なおかつ部の種類は運動部一択(音楽関係の部はあるが何故か女子しかいない)という、典型的田舎中学の集まりである(これは本当)。生徒はこれから減っていく一方で運動部員の確保が難儀となる中、文化部なら少人数でも活動できるというのに、文化部の創設を全く考えている様子がないのは奇矯の一語に尽きる。田舎の自覚がない田舎ほど、どうにもならぬものはない。
また、部活といえば野球関係の問題も特筆すべき事例がある。市内中学の野球部でそこそこいい成績を出す部員がいたとしても、市内を物色する松山のN田高のスカウトが甘言を弄して同校へ連れて行き、万年補欠に終わらせるという得意技を持っており、市内高校野球部の強化は覚束ない。さらにこれは別の勢力と思しき連中は、八幡浜高校近くに新設されたマンションへ住民として入り込み、夜中まで練習する同校野球部へ、騒音公害とクレームをつけ練習による錬度向上を妨げるという卑怯な手に出ている。一見、本当にただの一般住民と思ってしまうかもしれないが、下調べもせずマンションという安くない買い物をする馬鹿なぞいようはずもない。同校野球部が遅くまで練習することは知っていて当然である。故に例のクレームが卑劣なる策略と分析可能なのであるが、一応住民という体裁を保っているため、同校も対応に苦慮している。
なお、同校野球部は21世紀枠で甲子園に出たことがあり、そのときに掻き集めた寄付金は次の甲子園出場まで保管されることなく、全教室のエアコン完備に使い回された。これは八幡浜高校自ら、「うちの野球部はもう金輪際甲子園には出れない(だから寄付金を使い切っても問題ない)」と宣言したのと同じである。不憫なり、野球部。
あと、穴井夕子さんが同校のイメージソングを作っている(参考[6])が、どんな経緯で、卒業生でもなきゃ市内出身者でもない彼女が選ばれたかは全く不明。土地と縁の薄い穴井さんを利用し、イメソン作成のギャラを装ってキックバック込みのマネーロンダリングが行われたのではないかと言われている。現在、同校HPにはイメソンのファイルだけが置かれており、誰が歌っているかの表示はない。あやしい。
一方、市内小学校は、大幅な改革がなされた。愛媛県の同市項目に詳細あり。
「てやてや」の真の意味[編集]
現地に行って驚くのは、もうとにかく口を開けば「てや」「てや」とうるさいことである。彼の市の人々の発する語尾には、ほぼ必ず強調の意味を持つ「てや」が付く。ついでに夏季の祭りで踊られる市独自の踊りは「てやてや踊り」といい、さらには同踊りを題材にした舞踊曲、宇崎竜童さんによる「TEYA・TEYA・I・WANT・YOU」まで作られた。なぜ「お前がほしい」なのかはツッコまないお約束である。さて、この「てや」の由来を魚市場で発せられる声に帰そうとする動きが伝統的に存在しているが、それは偽装工作である。
これは最近、市の文化関係部局が佐田岬の自治体と共に調査した結果判明したのだが、壇ノ浦の戦いで敗れ、現伊方町まで安徳帝ともども落ち延びてきた平氏勢力が家の再興を願い、そのためには源氏の討伐を果たさねばならぬとの思いで作られた、後世末代まで怨念を託すため作られた言葉だというのである。さらには、てやてや踊りの際に流れる「てやてや音頭」の歌詞にその無念、怨念、復讐への思いが高純度で結晶化されているのを見て取ることができる。
「てやてや踊り」の歌詞は「みなと 朝市」と、朝市の風景から始まる。だが、これが罠である。これはあくまでも、魚市場の活気を表した歌だというカモフラージュである。続く歌詞を見てみよう。
「てやてやてやてや よいやんせ 八幡浜」
おわかりだろうか?ここでまず「てや」が出てくる。四回である。それに続く言葉が問題である。
「よいやんせ」
これは以下の如く分解できる。「よ いやんせ」。この冒頭の「よ」は呼びかけであろう。いわゆるYO!である。では「いやんせ」とは?こうであろう。
「射やんせ」。つまり、「射なさい」である。これが源家に向けられた呪詛の言葉と解釈すると、なかなかに興味深い。源家は弓箭の家として古くから知られており、平家物語中でも、那須与一が平氏の挑発に応じ扇を射る際、「南無八幡大菩薩」と祈り、見事射落としている。その弓の家の者たちを他ならぬ彼らの得意とする武器、弓で射よ、というのだ。いやまた別の解釈をするならば、先の扇の挿話の如くに、「射れるものなら射てみよ」と挑発しているようにも受け取れる。
ここから先の歌詞はまた大波がどうしたとかいうカモフラ用の歌詞なので割愛する。肝心なのは、以下のサビである。
「てやてやふんえい てやてやふんえい 八幡浜」。
なんだただの掛け声じゃないかと思うなかれ。始めの歌詞「射やんせ」を既に我々は読み解いているのだ。だとすれば、これも当然弓矢に関する言葉と解釈するのが当然である。では一体何なのか?簡単である。
手矢。それが答えである。「手矢手矢」とは、「手に手に矢を取れ」の意味である。それでは「ふんえい」の説明が付かないではないかと先走りする向きも、落ち着きあれ。当然ながら、手に矢を取るだけではダメである。その矢に思いを込め、射ねばならない。怒りを、憤りを込め、呪詛の言葉を詠みながら……そう、「ふんえい」とは、「憤詠」である。
つまり、意味は以下の如くになる。
手矢手矢。手に手に矢を取り、射ち倒せ。弓の家たる源氏どもを、他ならぬその弓で射殺せ。手矢手矢憤詠。その憤りを詠め。憤激せよ。手矢手矢憤詠、八幡浜……
思い出していただきたい。那須与一は扇を射る際、他ならぬ八幡大菩薩、つまり八幡神に祈りを捧げていたことを。八幡神は応神天皇とも習合され、弓矢の神ともされているのだ。つまりは、「八幡神の加護を源氏より引き剥がし、我らのものとしよう」。そのような意味まで込められているのである。だからこそ、彼ら平家落人は「八幡浜」という八幡神由来のこの地に反逆の拠点を構えようとしたのである。
お分かり頂けただろうか。祭りを目にし、参加し、てやてや踊りの歌を歌う八幡浜市民であれば皆、知らぬうちに平氏の恨みを共にする、平氏麾下の郎党となってしまっているのだ。非常に恐るべきことである。アンサイクロメディア財団はこの件に関し、更なる調査を続行中である。
外部リンク[編集]
関連項目[編集]
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