会津遺恨全体主義狂恨国

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会津遺恨全体主義狂(あいづいこんぜんたいしゅぎきょうハンこく)は、福島県会津地方の市。

過去にこの地を支配した蘆名盛隆伊達政宗蒲生氏郷上杉景勝蒲生秀行加藤嘉明、そして松平容保らが、いずれも不幸な死を遂げたり、のちに男系子孫が断絶したり、歴史の戦局で敗北者となってしまったことから、日本人、特に薩長人から0.01%の憐憫と99.99%の侮蔑と嘲笑を込めて「呪われた街(笑)」「負け犬の街(笑)」「街版ホープダイア(笑)」などと呼ばれている。

若松と会津[編集]

  • 会津地方にはこことラーメン喜多方市しか著名な場所がない。いや裏磐梯と呼ばれる地域…特に只見一帯を忘れてはならないのだが、ただでさえ文明や近代的価値観や道徳というものと完全に無縁の地である会津の中でも甚だしく未開の地であるため、様々な点で不利益を強いられている。
  • 会津若松市はもともと若松市であったが、福岡県若松市(現:北九州市)が正式な称名者となったため、元の地名である若松に会津を冠したのであるが、若松市が北九州に統合された後も全く改称していない
  • 会津若松市の名称は長くて覚えにくい。とはいえ、若松市だと福岡県若松市と間違えられる。

上記のような理由があるため、ここでは会津若松市とともに会津地方全体についても述べる。

蛮地・会津[編集]

とにかく会津の人間は血生臭いことが大好きで、下のようなアンビリーバブルな出来事は日常茶飯事である。まさに人外魔境の地と言えよう。

  • 自衛隊レンジャー部隊、またはアメリカ海兵隊、イスラエル軍の精鋭40人なら大丈夫だろうと思っていたら侍姿の8000人に斬りかかられ、あっけなく全滅した。
  • JR会津若松駅構内のホーム上で頭から血を流している大量の山口県民の死体が転がっていた。
  • ホーム下を見ると更に大量の山口県民のグモ死体が転がっていた。
  • 歩くたびに足元がぐにゃりとするので下に目をやると斬死体が立錐の余地なく転がっていた。
  • バスターミナルでバスから出てすぐに新撰組や会津軍の大群に襲われた。
  • 籠や荷車が旅行者に突っ込んだ、というか轢いた後から荷物とか金品とか女子供を強奪する。
  • 「そんな危険なわけがない」といって出て行った鹿児島県民が帰りの運賃と食事代、着衣以外の金品を剥がれて手ぶらで戻ってきた。
  • 「何も持たなければ襲われるわけがない」と手ぶらで出て行った高知県民が靴を盗まれ靴下履きで戻ってきた。
  • 「裸なら大丈夫」と裸で出て行った東京都民が粛清されました
  • 中心駅やバスターミナルから半径7kmは辻斬りにあう確率が600%。再度襲われる確率が599%強。
  • 会津若松市における会津人の襲撃による被害者は、大半が敵と勘違いされるか「非国民」として会津人に虐殺された不幸な会津若松市民。0.5%が鹿児島県民。山口県民はそもそもこんな所にわざわざ来ない。

遺恨感情[編集]

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会津がいまだに山口嫌い、なのはれっきとした事実
長州の入国を規制する会津独自の道路標識。通称・長禁(ちょうきん)

長門周防(防長二国、長州藩)に足をほんの少し踏まれた遺恨を未来永劫断じて忘れないという、陰湿さと遺恨の深さと粘着質振りのみは人類史上随一の凶悪な社会である。

未だに山口県の者と結婚することや、山口県の者を人間どころか生物としてすら認めない者や、的確な状況判断という観念も無く愚かにも自滅した、単なる気違いのテロリスト集団かつ犯罪集団でしかない会津軍白虎隊らを「武士の鑑」や「殉教者」として熱狂的に崇拝する者が、国民の圧倒的大多数というかほぼ全てを占めている辺りに、それが良く現れている。

これほどまでに強い国民の遺恨感情から“日本のイスラエル”、“日本のベルカ公国”、“日本の韓国”とも呼ばれている。第一次世界大戦では、ドイツ帝国軍捕虜が徳島県に収容されたが、この時のドイツ人捕虜は凄惨な扱いを受けず、収容所内で厚遇を受け、釈放後は大日本帝国内で「第九」の演奏会を開く者すら現れた。この要因は、当時の大日本帝国陸軍の大将が会津出身だったことが大きい。

対長州[編集]

会津には、履物の底に必ず「長州」と書き込んだり、または「長州」と書いた紙を貼るしきたりがある。また、しばしば山口県旗や山口県出身有名人に似せた藁人形を焼いたり、竹槍でメッタ刺しにしたり、あるいは五寸釘を打ちつけたり踏みにじったりしながら、「鬼畜長州」「長州撃滅」「長州鬼子」「小長州」「長州奴」「愛郷無罪」と叫んだり、山口県と全ての山口県人を呪詛する光景が随所で見られ、会津独特の伝統と風情溢れる風物詩となっている。

また、不運にも拉致されるかこの地に入って捕えられた純血種の山口県民を生贄として使う祭祀があり、これはインカ・アステカ時代の祭祀のように、鶴ヶ城天守閣・磐梯山・飯盛山の頂上に設けられた祭壇のいずれかの上に横たえた生きたままの生贄の胸を切開して心臓を取り出し、生贄のまだ動いている心臓を生贄の血液と共に会津軍白虎隊らの遺恨の怨霊に捧げ、残った生贄の死体を使って芋煮会の芋鍋を作って食らい尽すという身の毛もよだつ残酷で野蛮なものである。

そんな会津の危険性と毒気空気がろくに読めないヘタレ坊ちゃんは、まだ不相応な身分だった頃、この場所で土下座して「今まで意地悪してごめんねごめんね」というやる必要は皆無というかむしろ相手にやらせて当然な謝罪をした際に、その場に居合わせた会津人に頭を踏みにじられたり呪いや検閲により削除ため、1年足らずで失脚するはめになった。

野口英世の列車が山口県民をぴーという噂もあるが、これも不明。現在の(野口英世の書かれた)千円札が発行された後、伊藤博文の千円札束を燃やして灯やゴミを焼く火の焚きつけにしている噂もあるがこれもまた不明かもしれない。

対薩摩[編集]

その一方、なぜか鹿児島県(薩摩藩)などに対しては、ここまで常軌を逸脱した狂的な怨念を見せないという奇怪な現象がある。この理由について西南戦争で恨みを晴らしたからという説もあるが、薩摩藩士出身の三島通庸が福島県知事となり、貧窮した旧会津藩士に積極的に補助金を支給したからである。その頃、「薩長が政治を独占せず、国会を開いて全国の国民の民意を問うべし」と主張する自由民権運動が全国規模で盛り上がり、福島県議会もその運動の温床であった。三島は県議会への対抗上で旧会津藩士に接近したのだが、思惑は成功して旧会津士族は三島県政を支える支持基盤になった。

さらに会津藩重臣の娘である山川捨松が、薩摩藩士出身の陸軍大将・大山巌と結婚するというビッグカップルも誕生した。こうして会津では幕末維新の歴史を語る上で、実際に会津の地へ攻めこんで制圧した薩摩への罵倒はあまり出なくなり、専ら長州のみが憎むべき敵役になっていったと考えられる。

焼き鳥[編集]

現在は焼き鳥の長さ世界一合戦に移行してる模様だが、正義は必ず最後に勝つので無駄な努力である。更に性懲りもなく「次は卵で天下取り 焼き鳥世界一の会津地鶏からアイス」等と銘打って、自称「さらなるダメージ」を山口県に与えようとしているが、会津のアイス等、オヤジギャグにすらはるかに劣る駄洒落で売り込もう等といった、勝負の結果はやる前からとっくに見え見えの低レベルな代物ばかりである。

歴史[編集]

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会津若松市の歴史に詳しいと詐称する妄想狂の嘘つき耄碌糞ババアお婆ちゃんの捏造話を記述する。

戊辰戦争[編集]

今から百何十年か前、明治維新で徳川王朝が倒されると、戊辰戦争(会津戦争)が勃発してな、残虐非道な長州の鬼畜共が、一挙に城下に攻めこんだんだべ。

会津軍は籠城して抗戦したんが、外道の糞ブタ長州は卑怯にも欧米の新兵器さ使って、 鶴ヶ城をめちゃくちゃに壊したんだとさ(この際、城が燃えたと勘違いした白虎隊士の1部隊、20名余が飯盛山にて自刃。近代史早とちり大賞及び犬死大賞をダブル受賞する)。会津軍は奮戦したんだが、結局一月後には降伏したんだべ。

ただな、それまでの間の極悪卑劣な長州のやり方はあまりに酷くてな、多くの農民や商人やお武家様が殺されたんだべ。町の全ては焼かれて、金目のもんはみんな略奪され、若い娘は暴行をうけて弄ばれたうえに攫われて女郎として売られ、お武家様のご遺体は男も女も老人も子供も赤ん坊もみいーんなバラバラに切り刻まれて遊ばれたんだそうな。

またな、新政府を詐称する長州の鬼畜共は、白虎隊含む会津軍を逆賊っつうて、骸の埋葬を一切認めんかった上に、骸を埋葬しようとした人間も同罪にしたそうな。だがら、町のあちこちには、腐って、獣に食い散らかされた屍が溢れて、疫病まで流行って多くの人間が死んだだとよ。まっこと惨いことだんべえ。(引用終)

第二次戊辰戦争[編集]

そして、時は流れ西暦2008年。山口・会津間で第二次戊辰戦争(別名・焼き鳥戊辰戦争)勃発。

会津軍は見事勝利し、140年に及ぶ遺恨と悔恨と雪辱と復仇を果たした(と会津の住民は妄想している)。しかし、実際にはたゆまぬ地道な努力の結果、やたら長い焼き鳥作りに成功した山口に対して、勝手に嫉妬して血迷った会津が勝手に山口へ喧嘩を売っただけに過ぎない

会津症候群[編集]

徳川時代末期以降、全国の会津出身者とその子孫が起こした奇行や刑事事件の原因について医学的に解釈した通称。この病気に関しては、既に安政の大獄直前にある長州人によって研究と告発がなされていた。またその研究の資料となった34号文書と呼ばれる吉田松陰のスクラップ帳に記載された風土病との関連、また戊辰戦争そのものとの関連が、日米安保時代になってからインターネットの掲示板を中心に議論されるようになった。

症状[編集]

会津人とその出身者、並びにとそれらの子孫全員が感染している遺伝子疾患・精神病であり、風土病である。最も特徴的な症状として、「長州」「山口」「萩」「松陰」「下関」「維新」「回天」「毛利」「高杉」「吉田」「松下村塾」「木戸」「伊藤」「山縣」「龍馬」「海援隊」「天皇」「万世一系」「現人神」「安倍」「岸」 「天皇万歳」「錦の御旗」「岩倉具見」「幕府の犬」等々の単語やそれらに関連があるか連想させる物、あるいは長州・長州藩・幕末長州藩関係者への称賛・賛美、会津・会津藩・幕末会津藩関係者への批判・告発・中傷を見聞きしただけで、重度の被害妄想と凄まじい遺恨が起きることが挙げられる。

元ネタの雛見沢症候群など到底比較にならないほど非常に危険な疾患である上、症状の悪化に正比例して認識と現実の格差は開いてゆき、末期症状である「L4症状」にいたってしまうと山口県・山口県人およびいわゆる「アンチ会津」の人物・団体などの行動をすべて自身への攻撃行為と錯覚して強烈な遺恨の念を爆発させてしまい、もはや手遅れである「L5症状」に至ってしまうと、妄想と現実が解離不能なまでに入り混じり、完全かつ凶悪な無差別大量虐殺遺恨人間凶器となる。

突発性会津症候群[編集]

これとは別に会津若松市出身者やその子孫で無いにも関わらず、会津症候群と同様の症状を発する人間が、極めて少数ながら存在することが報告されている。

この疾患は雛見沢症候群[1]鎌倉症候群長州症候群同様、この疾患の患者や会津若松市に好意的な書籍・情報・メディアなどに潜在するウィルスに感染することを起因とする伝染性疾患・後天性疾患である。

治療法はまだ確立されていないが、出来る限り早期に、会津や会津に好意的な書籍・情報などから完全かつ長期間にわたって隔離する。その際、会津や徳川時代末期・帝国時代初期との関連性の低い分野の情報を与えたり、会津地方・会津藩・徳川末期会津藩関係者に対する批判・告発を主題とする書籍・情報などを強制的に大量摂取させると、治療や発症回避の有効率が上昇する。

交通[編集]

消えたJR特急[編集]

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豪雪により電車・車が何日にも渡り完全にストップし、陸の孤島と化した会津若松駅や道路の様子。このような会津の雪深さ・閉鎖性も、長州への遺恨を増幅させていると言えよう。
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現在、かつて郡山市から来ていた特急列車が通らなくなっている。その理由はこの地域が余りにも常軌を逸した怨念や遺恨に満ちているゆえに、常人の立ち入りがはなはだ危険であるからに他ならない。

捨てる神もあれば拾う神もあるもので、会津鉄道野岩鉄道東武鉄道と接続し、首都圏へと通じるルートが整備されつつある。首都圏から東武特急「スペーシア」や「リバティ」に乗り、途中でAIZUマウントエクスプレスという快速列車に乗り換える事で、乗り換えわずか1回で会津若松へ(休日は喜多方まで)行けるというものである。しかし結果として、首都圏と会津がより身近になってしまい、会津による洗脳・侵略の危機が一層深刻化してしまった。

SLばんえつ物語号[編集]

更に驚くべき事に、夏の観光シーズンには、あの山口同様、C57形SLを用いた臨時列車なんてのもある。山口県では「SLやまぐち号」という列車が走らせられるのに対抗して、毎度のように山口県への遺恨と狂気と嫉妬に狂った会津人は、無意味に対抗して、同じC57形SLを用いた、「SLばんえつ物語号」なるものを走らせている。日本国近隣のSL列車の中では、最長距離(片道約125キロ)を走行しており、ここでも「わーい、長州に勝ったどー!!ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」等と吠え面掻いたりしているが、実際には福島県が広いという事だけで、会津若松市がいつものように福島県中央を陰湿かつ執拗に恫喝し、走行距離の延伸を強要し、運行距離を稼いでいるだけに過ぎない。

…えっ? 道路はどうかって? …危険すぎて走れるってレベルじゃねーぞ!!

迷所もとい名所[編集]

鶴ヶ城
花見スポットA。の鯱。天守からは1回100円でレールキャノンの試射(山口県人を射撃する場合は何回射撃しても無料。また、射殺した山口県人1人につき1万円、後遺症を伴う重傷を負わせた山口県人1人につき8千円、単なる重傷を負わせた山口県人1人につき5千円貰える)が可能であり、非常に人気が高い。大学生や高校生が他校の教授·教諭·職員や学生を度々射撃するため問題となっている。また、展望鏡で隣の元·女子高を検閲により削除ことも出来るとか出来ないとか。(もれなく反撃されるため要自己責任)
石部桜
花見スポットB。ただし近付いた者を食らうので注意が必要。
飯盛山
木刀を売っている。白虎隊の強烈な遺恨の念のせいでDQNと化した中高生の決闘場として知られ、よく亡骸が転がっている。ちなみに日本の殆どの木刀は会津産であり、会津の遺恨の悪霊に憑依され、凶暴化した人間による暴力事件の多発が深刻な社会問題となっている。
野口英世下宿寮
机がある。現在喫茶店。期待するようなもんは全く何一つ特にない。普通に考えて向かいにあるファミリーマートの方が遥かに使える。
藤田家の墓(阿弥陀寺)
牙突の人。藤田五郎·時尾夫妻(以下)の墓地である。只見線七日町駅より徒歩3分。深夜2時に、同寺で木刀を持ってあの構えをすることで憑依合体可能。

朝霞市立猪苗代湖自然の家[編集]

驚くべきことに埼玉県朝霞市の飛び地である朝霞市立猪苗代湖自然の家が存在する。

当然、治外法権が適用されるので、ここの敷地内において山口県人を傷つける行為は死刑にされる(敷地外からの攻撃もこれに含まれる)。

もともと朝霞市の自衛隊基地から会津若松市にミサイルを撃ち込む訓練を兼ねた空襲をするために使われていたといわれるが、別になけなしの市街地に落ちようが住宅密集地に落ちようが市街地が壊滅的に破壊されようが会津若松市民に死者が何人出ようが、会津若松市民以外の人間は誰も全く気にしない

そのため、朝霞市がわざわざこの敷地を入手した真の理由は、誤って会津若松市に足を踏み入れてしまったり、会津人暴徒の襲撃から逃れてきた山口県民を保護するためであり、この施設は実際には自衛隊直轄の山口県民用シェルター(避難所兼保護施設)だとする説が有力。

しかし、会津軍および会津若松市民による、お決まりの執拗な攻撃・嫌がらせといった辱めを受けさせた上、トウホグの厳しい大自然を朝霞市民にこれでもかと見せつけた結果、2010年4月5日、とうとう施設が閉鎖に追い込まれてしまった。

このことにより、山口県人へのシェルター提供不備に対する危機感が日に日に高まっており、市内在留者は一様に市外退去を迫られる事態となっている。…が、幸いなことに朝霞市は不交付団体であり、金は潤沢にある。その上、日々ジンブバエのような危機的な経済・通貨状況で生き延びているような体たらくな会津若松市内における外貨(日本円)の強さは圧倒的なため、再建は容易とする説もある。

被害者[編集]

  • この国に未だいわれのない遺恨を受け続ける被害者
  • この国のせいでいわれの無い風評被害を受け続ける被害者

人物[編集]

  • 保科正之徳川秀忠の隠し子にして最大の戦犯。こいつがKYな家訓を作ったせいで死亡フラグが立った。歩く朱子学の権化。
  • 山鹿素行 - 「の人」屋敷で生まれた山鹿流の開祖。「士は二君に仕えるべし」「主君の為に命を捧げるのは愚かもの」と武士道や忠義を完全否定した古学者。直筆の兵法書が上杉氏に現存する。
  • 山嵐 - 夏目漱石『うらなり』の主人公。イドッコのやんちゃ坊主と共に赤シャツと野だいこをやっつける会津人。
  • 山川健次郎 - 東京大学総長を最長の11年勤めた。男爵。秩父宮親王殿下の御成婚に尽力し、洋食はだけ食べて他は残したド右翼
  • 松江豊寿 ‐若松市長。大日本帝國を滅亡させるための破壊工作員として日本陸軍に潜伏、捕虜にしたナチの玉子共を手なずけ、大日本帝國を滅亡させる大功績を挙げたことにより、若松市長に就任した。
  • 長沢節 - 男の娘たちにミニスカとロングブーツを履かせ銀座を闊歩させたデザイナー。小林旭の『銀座旋風児』や日本国軍の特務機関映画の衣装を担当した。
  • 赤べこ ‐「弱きに媚びて強きを挫く」という会津人の心意気を如実に示した物体。
  • 起き上がり小法師 ‐「肝心なときに起き上がらない」という会津人のヘタれぶりを如実に示した物体。
  • 渡部恒三 ‐↑のせいで党の立場を失った。おまけに東京放送女子アナから執拗かつ陰湿な長州マンセーグッズ献上ハラスメントを受け続けており、政治生命ばかりか肉体自体の生命までも危機に瀕している。 
  • 前原圭一 - 会津出身者。1983年時点で岐阜県大野郡雛見沢村に在住。そこで起こる奇怪な殺人事件の犯人。また、高レベルの会津症候群発症者である。
  • ボヤッキー

関連項目[編集]

  • 喜多方市 ‐ 会津地方北部の他国侵略最前線。同時にゲテモノ食品喜多方ラーメンや温泉もどきをもとに他国観光客からの悪質なぼったくりによる資金調達などを担当する会津の金蔵でもある。
  • 山形県 ‐ 会津地方の最大の被侵略地域植民地。
  • 米沢市 ‐ 最も苛酷な会津の侵略を受け続けている市。
  • 東京放送 ‐ 会津の真の姿を大々的に告発した勇気ある正義の放送局
  • バルトの楽園 ‐ 松江豊寿若松市長が大日本帝國を滅亡させるまでの偉業を描いたパクり映画。
  • ジャイアニズム
  • 大韓民国 ‐ 会津の盟友である共和制国家。長州人と天皇が建てた大日本帝国による諸々の暴力の被害者であることから、「反長州」「反天皇」の同盟を結んでいる。
  • エイズ ‐ 標準日本語では「あいづ」と呼ばれるが、会津若松市の原住民はどうしても「えいずわかまつ」と訛ってしまう。