地車
地車(だんじり)は、主に近畿地方で秋祭りに曳き出され、ひっぱり回され、あちこちにぶつけられ、あげくの果てに壊れて魂を抜かれて修理に出される運命を持っている、大人のおもちゃである。地域によっては、子供も弄ぶことを許されるが、必ず大人の目の届く範囲である。エクストリームスポーツの種目に使われることも、ある。
歴史[編集]
祇園祭の山鉾に由来するという説もあるが、京都の盛大な祭りを裏山しく思ったDQNな大阪人が発明したというのが通説である。 だんじりは、棺桶を大八車(今でいうリヤカー)で運んでいるのを大阪人が見て
- 「これはおもしろい」
とひらめき、祭のおもちゃとして使ったのが始まりである。やがて、棺桶は不謹慎だと酷く叱られたので、大阪人は代わりに、ありとあらゆるものを大八車に載せて、ひっぱり回した。さい銭箱、たんす、生臭坊主。蛸地蔵のべんづるさんもひっぱり回されて、テカテカつるぴかになった。 そして18世紀初頭、ついに岸和田城下の漁師たちが漁に使う大きな船を改造し、船底に4輪の木の輪を接着し船の友綱で多人数で引っ張るという画期的なものを考案した。お殿様はよろこんで
- 「おもろいオモチャ発明したやんけ、来いや!来いや!」
とそれを城内に招いた。お殿様の言い方がおもろかったので、岸和田民たちは口々に
- 「来いや!来いや!来いや!来いや!」
と叫びながら、だんじりを城内に突っ込ませた。このとき勢い余って天守閣の基礎に激突したが、これが遠因でのちに天守閣が崩れ去ることになる。この
- 「来いや!」
という叫び方が主流になったころ、節分にあやかってお殿様は大豆をまきびしのごとく城郭にばらまくようになった。この時、お殿様が
- 「soyや!」(意味:大豆だ!)
と叫んだことから次第にこちらが主流の掛け声となり、これが今日のだんじり祭りの掛け声
- 「ソーリャ!」
の由来となった。
時は移り、平成始めテレビの情報番組で岸和田だんじりが紹介され、その激突ぶりに全国の激祭り好きたちが狂喜した。これが、現在のだんじり発狂事象の原因である。 岸和田近隣の泉州共和国内でもかなり昔からだんじりが祭でひっぱり回されていたが、この情報番組をきっかけに、猫も杓子も
- 「ソーリャ!ソーリャ!」
と狂い叫び始めた。それまでは堺周辺では掛け声は別のだったのが、洗脳された。 そしてだんじりを一切持っていなかった泉州共和国の町々が、一斉に発狂してポンポン寄付してだんじりを次々に購入した。 今じゃ、和泉市の35台とか、高石市の15台とか、すさまじい限りである。
エクストリームだんじり祭[編集]
エクストリームスポーツとしてのだんじりひっぱり回しについて、以下、述べよう。
概要[編集]
このエクストリームスポーツは、大阪で開発・考案され、活発に行なわれているため、大阪の誇りにもなっているが、何も大阪限定ではない。
まず、この種目は点数制をとるチーム戦である。
参加するためには地車と呼ばれる山車を用意する必要がある。
ルール[編集]
テニスに硬式と軟式があるように、地車には泉州式と河内式がある。泉州式では地車以外の器物損壊に技術点が、地車上での曲芸の様に芸術点がそれぞれ課せられる。これに対して、河内式は戦後泉州式より独立した採点基準を持ち、囃子や掛け声の音量をデシベル数で測定した数値や宮入時の曲芸の様子、さらには出発前に地車に付いている舞台で演じられる滑稽寸劇である「河内にわか」が採点対象となる。なお、いずれも地車の破損には高いペナルティが課せられる。
泉州式のルール[編集]
採点基準は以下のとおり。
- 点数概要
点数は10点単位で、端数は切り捨てられる。
単位の有る数値は、小数点第一位を四捨五入となる。例えば単位がmで149cmの場合は1となる。
また、÷の部分に於いて数値が0となった場合には0.1に換算する。
- 加点
以下の行為で加点される。
- 旋回…<角度(゚)×旋回中の平均速度(km/h)÷重心の移動距離(cm)>点
- 物品破損…<物品の破損箇所の値段(\)>点
- 怪我人を出す(当事者・怪我人とも過失の場合に限る)…<治療費(\)>点
- 走行距離点…<直線移動距離(m)×平均速度(km/h)>点
- お囃子(義務教育過程の女子に限る)…<地車に乗ってる人数(人)×150 地車に乗ってる人の体重の和(kg)×5 地車に乗ってる人の表面積の和(m2)×30>点
- 鉄道線路を走行する(車輪の幅と線路の幅が有っている必要が有る)…<走行距離(mm)×平均速度(km/h)÷同じ線路上を走行している車両との最小接近距離(mm)>点
- バスの営業妨害(バス停破壊・バス専用車線の占有など)をする…<損害賠償額(\)>点
- 速度点…<最高速度(km/h)×平均速度(km/h)>点
泉州式地車イベントが名古屋共和国上空のオゾン層にて開催された時、大阪には無いガイドウェイバスや基幹バスを鉄道の扱いにするかバスの扱いにするか路面電車の扱いにするかで揉めたが、田舎オンリーはスルーということが決定し、特別な加点・減点は行わないことが決定している。後に、路面電車・LRT・バス・鉄道(地下鉄含む)以外の公共交通機関も同じ扱いとなることが決定した。
- 減点
逆に、以下の行為をすると減点となる。
- 死者を出す…10000点
- 故意に怪我しようとしている人(身内、サクラやマゾ等)を怪我させた時…1000000点
- 弁償する…<支払った代金(\)×100>点
- 路面電車やLRTの運行を妨害する(交差点にて軌道を跨ぐことを含めた、全ての運行妨害行為)…10000000000点
- 地車を破損する…<破損箇所の価格(\) 修理費(\) 破損割合(%)×10000000>点
- 減速する…<制動距離(mm)×制動にかかった時間(秒)×{元の速度(km/h)-制動後の速度(km/h)}>点
なお、点数がマイナスになった場合、控え室にて控えている仲間が点数に相当する額(<点数×1000×点数がマイナスになってから支払完了までの秒数>円)を点数がマイナスになってから1分以内に主催者に支払わないと失格になる。
また、死者点は故意の怪我点より減点されないことを利用し、故意で怪我をした人には死んでもらうのが泉州流である。
- 禁止事項
規則によると、「地車は山車と見た目の上で何ら変わりの無いこと」「特別な装備をしないこと」と有り、怪我人を出すために鋭利なものを付ける等の行為は禁止されている。
また、一般の山車には付いているエンジンも、搭載することが禁じられている。
因みに、お囃子の人員を変えたり、一瞬で有っても降ろすことは禁じられている。これはお囃子点に関係が有る。 なお、例年これが原因で失格になる(特に小学生は無断でトイレに旅立ってしまうことが有り)チームが有るため、お囃子の人はロープ等で縛ることが強く奨励されている。こんにち、祝い事で日常的に用いられる亀甲縛りは地車でお囃子を縛るために考案された。
- 掛け声
ガイドブックに載っている掛け声は、「soyや」である。意味は、「大豆だ」の意味。(「soyや」の「や」は関西弁で、断定の意味を表す助動詞である)
しかし、これは歴史的な古い掛け声であり、実際にはチームによりバラバラである。
- 代表的な技
- 高速回転
- 時速60km/h程度のスピードで、一切減速せずに旋回する。これは、旋回点を稼げるだけでなく、事故による破損点も稼げるためよく行なわれる。
- 山道走行
- 山道は路面が荒く、非常に危険な為、破損点狙いで走行することが多い。
秋祭りのおもちゃとしてのだんじり[編集]
関西地方を筆頭に全国各地でだんじりをひっぱり回す祭りが行われ、岸和田民のように1年365日をだんじりのためだけに過ごしている者どもが跋扈(ばっこ)している。
- 以下、祭りとしてのだんじりひっぱり回し狂乱事象を、述べよう。
岸和田城下のだんじり祭り[編集]
この地域のだんじり祭りは全国テレビで紹介される前は大阪南部・泉州の数あるだんじり祭りのうちの一つで、しかも非常にローカルな、ど田舎の、異端な、毛色の変わった、おかしな、独特の、ヘンテコな、異常極まりない、だんじり祭りであった。その特色を、泉州の他の地域の、ごくごく普通の、一般的な、ポピュラーな、ありふれた、まじめな、だんじり祭(もちろん、こちらも狂乱しているのは同じだが)と比較すると次のようになる。
- 時期
- 泉州の他の地域は、稲刈りが済んだ後に収穫の感謝を込め神さまに奉納する10月上旬。岸和田城下は、稲作なんかガン無視してくそ暑い30度以上の気温の中汗まぶしで狂い走る9月中旬。
- だんじりの形と走らせ方
- 泉州の他の地域は、前にテコなんかついてないただ、まっすぐまっすぐまっすぐまっすぐまっすぐまっすぐまっすぐ!まっすぐに転がすだけの上(かみ)だんじり。岸和田城下は、前にテコをつけて角という角に偏執執着し、曲がって曲がって曲がって曲がって曲がって曲がって曲がって!曲がりまくることに血道を上げる下(しも)だんじり。
- 掛け声
- 泉州の他の地域は、自然発生的な「おいさ!おいさ!」とか、「おいや!おいや!」とか、「えいや!えいや!」とか、「おりゃ!おりゃ!」とか、「行け行け行け!」とか、「行ったれ行ったれ行ったれ!」とか、「行かんかい行かんかい行かんかい!」とか、「イク、イク、イク、イックー!」である。岸和田城下は、「ソーリャ!ソーリャ!」の単細胞脳ミソたったそれだけそれしか思いつかんのか他にも思いつくだろ普通という1つの掛け声である。
- 由来
- 泉州の他の地域は、いつ始まったのか誰が始めたのか何の影響を受けたのかなぜとち狂ったのか、いっさい原因不明謎に満ちた人類永遠の摩訶不思議空前絶後七転八倒まったくさっぱりわからない正体不明の、権力と何の関係もない庶民的な民衆の祭りである。岸和田城下は、1703年に岸和田のお殿様が始めたという説と、1745年に町民が大坂城下の祭りにヒントを得て殿さまに願い出て許しをもらったという説があるが、どちらにしても歴史にはっきりと始まった年号が記されているというまったくありえない想像もつかない非常におかしい珍しい一風変わった大変貴重な世界文化遺産候補になってもおかしくない候補になったらユネスコビックリ素晴らしい歓喜叫喚万歳三唱権力すり寄りごますりあさましい由来である。
- ローカルテレビ中継
- 泉州の他の地域は、100%いや1000%いや1万%いや1億%、ぜったいにテレビに映らない映してもらえない頼むから映して映して言ってもまったく見向きもされない状態であった。岸和田城下は、昭和時代は毎年9月15日敬老の日の休日にこなから坂をかけあがりその坂の頂上で狂乱やり回しを各町だんじりがやらかすのを大阪地方だけに放送されるテレビでしかもよしもとの超有名漫才師の一人をMCに呼んで完全生中継。
- (おかしなことに、全国テレビで紹介された平成以降はこのテレビ生中継が消えた)
関連項目[編集]
この項目「地車」は、エキサイト不足のようだね。
さあ、君も胸が高まるような文をこの記事に付け足してみよう。レッツトライ! (Portal:スタブ)