きのこたけのこ戦争

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きのこたけのこ戦争
Kinoko vs Takenoko.jpg
戦争: きのこたけのこ戦争
年月日: 明治時代〜(継続中)
場所: 明治帝国
結果: 戦争継続中につき未定
交戦勢力
- -
指揮官
きのこ党 たけのこ党
戦力
- -
損害
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きのこたけのこ戦争(きのこたけのこせんそう)とは、この世で一番くだらない戦争のことである。明治のチョコレートスナック菓子「きのこの山」と「たけのこの里」のどちらが美味しいかという、消費者間の戦争である。

この戦争の激化で、1980年代以降の日本は内戦状態に陥っており、毎年100万人以上の死者・行方不明者を出す事態となっている。

戦争について[編集]

きのこの山は、明治が1975年から製造・販売しているチョコレートスナック菓子である。長さ3センチメートルほどのキノコの形をしており、茎がクラッカー、傘がチョコレートになっている。

これは、きのこの山ができる前に製造していた、「アポロ」の下の部分(円錐と見ると底面の部分)にクラッカーをぶち込むことで生まれたアイディア商品である。

通常はミルクチョコレート味だが、期間限定の味だと、ショコラトリュフアイス味、エッセルスーパーカップ超バニラ味など、既にきのこの山を超えるもの凄い味や、クリーミージャンドゥーヤ味、謎のホワイト味など、パッと聞いても解らない名称の味もある。

歴史[編集]

この戦争明治時代に始まったとされる。

始まりは、山菜党の分離である。山菜党内で左遷、右派、民主、リベラルで論争が起きた。その結果、山菜党はキノコ党とタケノコ党、すぎのこ党に分離した。

明治22年(1889年)大日本帝国憲法の公布とともに、衆議院議員選挙法が公布され、25歳以上で納税15円以上の男子に選挙権が与えられた。

翌明治23年(1890年)7月1日第1回衆議院議員総選挙が実施され、キノコ党、タケノコ党が議席の多くを占め、すぎのこ党などの政党の議席は少なかった。

選挙後、第一回帝国議会が開会された。政府は当初「超然主義」で対議会・政党に対する姿勢としていたものの、大日本帝国憲法自体が議会の協賛なくして重要な決定が出来ない仕組みとなっていたため、この路線はすぐに行き詰まった。このことに気付いた政府側は選挙への大規模干渉や金銭・あるいはポストによる、政府に批判的な民党及びその幹部達の買収工作を行って懐柔に務めざるを得なくなっていった。また、条約改正などの論議から民党が政府支持に回り、吏党が反対に回るケースもあり、「民党・吏党」に替わって「与党・野党」と呼ばれていくようになった。

昭和時代においては、若槻禮次郎内閣、田中義一内閣、濱口雄幸内閣などにおいて、それぞれキノコ党、タケノコ党を支持母体とした政党内閣が成立する。

若槻・濱口内閣などは協調外交などを推進して戦争の道を進もうとする日本を何とか食い止めようとしたものの、経済政策の失敗や軍備縮小などにおいて軍部や国民の支持を得られず、最後は両内閣とも辞職に追い込まれた。田中内閣は昭和恐慌などの経済政策において成功を収めたが、中国外交で強硬外交を推進して戦争の道を歩むようになる。

しかしこの田中内閣も陸軍の暴走を抑えることができず、最後は張作霖爆殺事件において陸軍の処罰を行わなかったために昭和天皇の信任を失って、辞職に追い込まれた。

キノコ党とタケノコ党の二大政党の時代ではあったものの、昭和7年(1932年)5月15日犬養毅首相が暗殺され(五・一五事件)、戦前の政党内閣は終焉を告げたのである。犬養が暗殺されたのは、日本が孤立することを恐れて満州国の成立を承認しようとしなかったため、それに不満を持った軍部によって暗殺されたのである。そして、この事件や血盟団事件などによってテロにおびえた政治家は、以後は斎藤実などの軍人内閣によって組閣が行われるようになった。

また、姉妹商品同士の優劣を論じる論争は1980年頃から始まり、21世紀になってからもネット上で定番の話題(インターネット・ミーム)になっている。2001年には、明治自身もこの論争に便乗した「きのこ・たけのこ総選挙」キャンペーンを実施し、低迷していたきのこの山の売り上げ回復を成功させた。

2019年、「きのこの山・たけのこの里国民総選挙ノーサイド協定」が締結された。そのためついにこの戦争も終わりを告げた。 それに伴い松本党首より引退宣言がでた。

第一次きのこたけのこ戦争 日本の北側(北海道から埼玉のあたり)を実効支配していたタケノコ軍は突如として中立地帯東京へと進軍。大きく領土を拡大する。(東京たけのこ化作戦)きのこ軍は首都大阪にて臨時会議を行う。その結果、たけのこ軍に宣戦を布告した。 たけのこ軍にとって難所となったのは山梨県である。夏場の非常に高温となる盆地では、薄いチョコのタケノコ軍は活動できず、きのこ軍の重要な拠点を攻撃できなかった。また、山で囲まれているため、侵入も難しかった。しかし、たけのこ軍の技術士官「チョコレート.アインシュタイン」が内骨格チョコ型ミサイル。通称TOPPO(トッポ)を開発し、これにより山脈を越えて、直接侵入することなく山梨県を陥落させることに成功した。 「愛知の激戦」 山梨県が陥落してから数週間でたけのこ軍は長野.静岡を征服。このままでは重要拠点の愛知県が征服されるのも時間の問題と考えた、きのこ軍は、反転攻勢に出るため、大攻撃を行う作戦を行おうとしていたが、たけのこ軍のミサイル、TOPPOを無効化しなければ作戦は不可能だった。そこできのこ軍が開発したのが、外皮チョコ型対ミサイル防御盾、通称AL―fort(アルフォート)である。クラッカーよりも硬いチョコを装甲として使用しているため、トッポに対して充分な防御力を有していた。数日後、両軍は静岡と愛知の国境付近で衝突した。たけのこ軍は数千発のトッポを発射したが、アルフォートの前には無力だった。3時間に及ぶ激闘の末、キノコ軍は静岡の一部を奪還することに成功した。 「終戦条約」 愛知の激戦にて両軍は大幅に疲弊した。たけのこ軍では数人が脱走する事態も発生した。両軍はもともと非武装地帯だった東京にて終戦を行った。きのこ軍からは「ダグラス.キノコッサー」たけのこ軍からは「チョコレイルド.タケノコルスキー」が代表として、終戦条約に署名。戦争は東京をさらに二分割するという合意で終わった。

現在活動している政党[編集]

きのこ党[編集]

偽物に注意

きのこの山派が集まる党。

基本情報

  • 議席 101
  • 票 6,021,986
  • 党首 松本潤・きの山さん
  • 公約 きのこを取り戻す。・「愛のあるお菓子づくり」

前回の選挙で野党第一党から与党になった。

長さ3センチメートルほどのキノコの形をしており、茎がクラッカー、傘がチョコレートになっている。

たけのこの里より安く、チョコの量が1・4倍になっていることを売りにしている。

ただし、枝の部分が折れやすい。

たけのこ党[編集]

たけのこの里好きが集まる党。

基本情報

  • 議席 76
  • 票 4,565,799
  • 党首 吉田沙保里美輪明宏・たけ里ブラザーズ
  • 公約 たけのこに力を。「夢のあふれるお菓子づくり」


前回惜しくもきのこの山党に負けた。

長さ2センチほどのタケノコ型をしており、クッキーの芯の頭をチョコレートが覆っている。

外側のチョコレートのコーティングはミルクチョコレートとビターチョコレートの二層になっている。

クッキーのサクサクした感じはきのこの山よりもおいしいと感じるものが多数いる。

きのこの山と比べ、内容量は若干少ないが、おいしいので誰も気にしないとされている。

どっちも党[編集]

どっちも党とはきのこの山、たけのこの里双方の発展を目指す新党である。

基本情報

  • 議席 37
  • 票 2,238,204票
  • 党首 キノ・タケコ
  • 公約 どっちも、主役。「絆をつなぐお菓子づくり」

戦績[編集]

  • 2001年 「きのこ・たけのこ総選挙」 たけのこの里
  • 2005年 「売れ行き」たけのこの里
  • 2010年 米Amazonできのこの山がたけのこの里よりも多くのレビューを獲得
  • 2013年 Yahoo!Japanのキーワード検索数で大半の都道府県できのこの山がたけのこの里を上回った
  • 2014年 家計簿アプリ ReceReco(レシレコ)の売り上げ たけのこの里がきのこの山のほぼ2倍買われていた。
  • 2016年6月18~19日 スプラトゥーンのフェスマッチ たけのこの里
  • 2016年11月27日 テレビ朝日『日本国民がガチで投票! お菓子総選挙2016』 たけのこの里が8位、きのこの山は30位圏外
  • 2018年8月18~19日 スプラトゥーン2のフェスマッチ「あなたはどっち派? きのこの山vsたけのこの里」 2-1できのこの山が勝利
  • 2018年 「きのこの山・たけのこの里 国民総選挙2018」たけのこの里
  • 2019年 「きのこの山・たけのこの里 国民総選挙 2019」きのこの山

関連項目[編集]

外部リンク[編集]