芸術
芸術(げいじゅつ)とは、古今東西人間の主要な営みのひとつである。しかし、ウィキペディアをその中心とする形式的で偏屈に凝り固まった知識体系の中では、芸術は軽視されてしまっている。まったくけしからぬ事である。ただのインテリの勘違いともいえる。日本人の場合、何がいいのか説明ができない。有名な作品だけをどこぞの本で読んだ批評を持ち出し説明する傾向にある。
上記のように、芸術は爆発物であるため、公共機関に持ち込むことはできない。
技術と芸術編集
まず、何万年か前から、この世には人間社会という悪意に満ちたカテゴリが存在している。我々はこの中で生命を維持し、セクロスし、子孫を産み、また面倒なことに心とか精神とかいうものも持ち合せているので、そういうものとも付き合いながら肢体を動かして生きなければならない。
そうした中で、人間のあらゆる営みに技術が関わってくるのは周知の事実である。技術があってはじめて、人間は集団生活することができ、しかもそれが持続する。まず何より、自分たちの言語を通じる程度に操る技術が必要だ(もっとも、最近の若者はこの技術レベルがとても低いのだが)。次に、集団生活にふさわしいおまんま・おべべ・おうち・その他諸々のおもちゃを作る技術が必要だ。次に、作ったものを使用主のところまで運ぶ技術が必要だ。使う技術も必要だ。保管する技術も。そのプロセスを文字にして書き記す技術も必要だ。それを読む技術も必要だ。運んでいる途中で怪我した人間を治療する技術が必要だ。いろんなことを大量にやりだしたらそのエネルギーや動力を何とかする技術も必要だ。もちろん、利害が対立する人間をサクッと殺っちまう技術も必要だ。要は、人間はみなとてつもない技術者なのだ。
一方、目的を合理的に達成するのが技術なら、相手の感覚・認知・欲・感情・記憶に働きかけるのが芸術である。まず、言語を使う場合を考えよう。
- いかに、言葉の意味を通じさせるか、または通じさせずあえてはぐらかすかが技術。
- いかに、気の利いた感動的なことを言うか、または徹底的に絶望させることを言うかが芸術。
次に、食事をつくる場合を考える。
- いかに、食えて栄養もあるものをつくるか、または死んでほしい奴に毒を盛るかが技術。
- いかに、見た目もよくおいしく楽しく食えるものをつくるか、または白米のおかずにお好み焼きを出すような前衛的基地外パフォーマンスをかますかが芸術。
これで、ウィキペディアンが大切にしているのが偽術、アンサイクロペディアンが大切にしているのがGay術だということが何となくおわかりだろうか。少なくとも、我々が忘れてはいけないのが技術と芸術のどちらなのかは、もう言うまでもないだろう。
無論、技術である。
芸術作品編集
人々が、「芸術」そのものを目的として作ってみちゃった作品である。作品というのは、何か他のものと差別化された表現によっているということである。
詩・小説などの言語作品、建築・絵画・工芸などの視覚作品、演奏用音楽・舞踊・演劇・落語などのパフォーマンス用作品、料理・人形などの嗜好品や愛玩品、漫画や映画やといったジャンルとしての確立が新しい総合作品などに分類できる。
一般的には、心が温まったり楽しくなるもの・息をのむような美しさをもつものなど、精神的な豊かさを引き出す作品の評判が高い。
しかし、我々はアンサイクロペディアンとして、精神的な不快感や絶望感を十二分に引き出すような作品をもっと大切にしなければならない。
以上をふまえると、芸術作品の制作には一般に以下の技法を用いる。
- 制作の前に、ストレス・悪意・敵意などを極限まで高めておく。
- 視覚的・聴覚的に不快感を与えるものをベースにする。
- 特に、時間がたつほど腐敗しそうな素材を用いる。
- 辛辣な皮肉の数々を織り込む。
- 容赦ない恫喝によってアクセントをつける。
- 有益なものは徹底的に危害を及ぼし、毀損・汚染・破壊する。
- とにかく、公共の利益などまったく気にしてはいけないのである。
- 最期の一筋の光を徹底的に消し去る冒涜、というシナリオを用意する。
なお、ウェブサイトにも、実用的なものと芸術作品と呼べるものとがある。ユーモアにあふれたこの事典は紛れもなく後者であり、しかも、以上にあげた悪意ある技法がふんだんに発揮された最高傑作といえよう。
関連項目編集