能
能(のう no)とは、アンチシアターのこと。その名が示すように否定の劇である。一般には日本の室町時代に、観阿弥、世阿弥親子によって大成された仮面劇として知られている。しかしその起源は古く、ギリシア、アッシリア、中国、エジプト、ムーなどの古代文明に淵源をもつ。たとえばアガメムノンの黄金のマスクが能面「中尉」のオリジナルであるというあまり知られない言及は、これら仮面のミスティック・スマイル(気が抜けたうすらわらい)の共通性からも説得力をもつ。なお、能が2001年にユネスコの無形世界遺産として宣言されたのは、古代世界文明の生きた遺産として認定されたためである。
日本における能(中世)編集
この時期の能については膨大な研究がある。代表的研究を概観するという百科事典の性質に鑑み、ここでは膨大すぎて代表などできないし、したとしても無視された意見の提唱者のことを考えると概観などしないほうがよいという点のみを記述しておく。なお劇(シアター)とは本来「研究」とは対極のところにある。劇とは研究するものではなく演ずるもの、観るものである。「エリザベス朝演劇」とならんで研究がずばぬけて多い能は、こういった意味できわめてアンチシアター的な性質をもつといえる。
日本における能(近世)編集
能は日本の戦国時代から江戸時代にかけて独裁政治に利用された。これは、古代ギリシアの劇場が民主政治(直接民主主義)の場であったのに対し、権力者の意思の間接的なおしつけを無意識に実現するという意味で、アンチシアター性を顕著にもつといえる。豊臣秀吉や、犬将軍といわれた徳川綱吉らは、自ら能を舞い、大名に見せ、これを各大名がどのように拝見するかを忠誠度のバロメーターとした。大名はどんなに退屈でも居眠りせず、また適切にほめる(大仰に「うまい!」と言ってもいけないし、正直に「下手です」と言ってもいけない)技術を磨くことに全精力を傾けた。これは、権力者→大名→臣下→御用商人(越後屋)→商人→丁稚へとヒエラルキーにそって同形式で踏襲され、落語「寝床」の題材にもなった。(ただし落語「寝床」は幕府に遠慮して題材を「浄瑠璃」にしている)
経済政策においても、江戸幕府は能を「式楽」とし奨励し、華麗な能装束、高額な免状料で各地の大名家の財政を圧迫した。また寺子屋(当時の学校)で能の台本である「謡曲」を教科書として普及させ、共通語の伝播をはかった。この政策によって全国どの地に行っても謡曲で会話が通じ、円滑な商品流通を推進した。ただし庶民は謡曲に親しんでも能を見る機会にはめぐまれなかった。そのような中で庶民が能を見るのは強制的にチケットを割り当てられた「勧進能」の場であった。そこではほとんどの者が寝てしまうか、お弁当を食べるか、おしゃべりに余念がなかった。これは典型的な観客の否定であり、能がアンチシアターといわれる大きな要因のひとつである。
日本における能(近代)編集
上記のような江戸幕府の政策により式楽となった能は、江戸幕府滅亡後衰退した。能の衰退、すなわちアンチシアターの衰退、すなわちシアター(劇 および 劇場)隆盛の時代である。明治期以降、日本の演劇界は能の呪縛から解き放たれ、歌舞伎、新派劇、新劇、文士劇、歌劇、少女歌劇、オペラ、ミュージカル、アンダーグランド、ミニマリズム、にながわ、ミニシアター、テント芝居、前衛劇、暗黒舞踏、笠智衆などで百花繚乱となった。明治初期、能役者は廃業するか転職するか細々と謡曲を教えて生計を立てるしかなかった。
しかし明治9年の天覧能によって、能は復活のきざしを見せる。この天覧能は岩倉具視が仕組んだものであるが、これは岩倉が自由民権運動に連動する川上音二郎のオッペケペ節などが劇場(シアター)でおこなわれるのを予見し、それを牽制するアンチシアターとしての能を保存するため企画したというのが、一般的ではないが非常に説得力のある説である。この説では、岩倉は能のもつマイナスのフォースを近代的な実証性をもって認識していたといわれる。
一方この時期において着目されるのは、能のシアター化である。すなわち明治14年、日本ではじめての屋内能楽堂が完成した。それまで能舞台はすべて屋外に設置され、高貴な身分のものだけが屋根のある桟敷や、能舞台に面する書院などで見物した。しかし能楽堂という施設ができたことによって観客すべてが雨にぬれずに能を観ることができるようになった。
この現象を、能がみずからのアンチシアター性を脱ぎ捨てシアターにすりよっていったとする解釈もある。しかし21世紀の能楽堂においても、屋内に設置されるにもかかわらず能舞台の上には依然として屋根があり、舞台前面にはわずかながら白州が残される。これを能は便宜上シアターの中でやっているようにみえるがやっぱり本来はシアターの外でやっているのよそこんとこ心得てねという表象と解し、この時期をセミアンチシアター(「中否劇」「蝉丸」などの試訳や「セミアン」などの略語がある)の時代と呼ぶかどうか検討中の学会もある。なお、能楽堂のなかに能舞台の屋根が存在する現象を「-τ×τ=-τ^2(アンチタウかけるタウイコールアンチタウの二乗 ※τはシアター)」であらわし、これはアンチシアター性を累乗的に強化するものであってセミアンチシアターの時代などという名称はもってのほかばかやろうという反論が21世紀にはいって力をもつようになった。
日本における能(現代)編集
能は、いまや伝統を脱し、あたかも日本以外の国外国から降って沸いたような珍しく新しい演劇としてとらえられている。こういった意味で能はいまやアンチシアターでなく、ヴィヴィッドな劇、まさにシアターだという見解がある。他方、Web の百科事典ウィキペディア日本語版では「能」の記述は49キロバイトを超えNetscape Navigator 4.x 等で編集すると問題のおきるものもある。先述のように能についての言及が多いことは、すなわち能が観たり演じたりする演劇ではなく、語られるものであるということを示している。これをもって依然として能は、アンチシアターであるという意見も存在する。以上、どっちが正しいともどっちとも間違いだともいえないし、どうでもいいともどうでもよくはないとうとうたらりとうたらりたらりら。たらりあがりららりとう。
能は何でないか編集
- 能はnoにあらず ※ (「諷刺瓜田」より)
※注:「風姿花伝」に「秘すれば花、秘せざれば花なるべからず」と書かれているとおり、世阿弥は能の本質を秘した。世阿弥が秘した本質を子の観世元雅がうかつにも書き残し、死の直前に 楠木正成の血統をもつ伊賀の上嶋家の瓜畑に隠匿した。この文書は20世紀中ごろ、瓜田に履を入れ発掘された。これはその文書の紙背に書かれていた文言である。