炎上
炎上(えんじょう)はものが炎を上げて燃える現象。建造物などの人工物が燃えるときに言うことが多い。それは美の対象であり、同時に我々はその様子を見たいという欲求を持っている。
文学における炎上編集
炎上する様子は人間にとって美しいと考えられる場合が多い。たとえば三島由紀夫の「金閣寺」では、主人公の養賢が金閣が炎上する姿に美を求めている。また川端康成の「雪国」でも最終章は映画の上映会場の火災と天の川の対比が実に美しく描かれている。あるいは芥川龍之介の「地獄変」に至っては、娘が火に巻かれる姿に絵師としての審美追求の姿が見て取れる。もっともこの作品は宇治拾遺物語に材をとっているが、その「絵仏師良秀」では絵師の良秀の家が火災の延焼を受け妻子が火に巻かれようとしているにも関わらず、火の手があがる家に美しさを見ている。
いずれの場合にも、国宝の焼失や愛する人間の焼死といった犠牲を伴ってまで、建物が燃える姿に美しさを見ている点が特徴である。しかもそれは極端に偏った思想の持ち主だけが感じる美ではない。芥川、三島、川端と日本でも指折りの文豪が揃いも揃って美しさを見ていることから、他の無名の作家も同じように炎の中に美しさを見ていることが容易に推測される。さらに言えば、炎上の場面の記述を認めているからこそ彼らが文豪と評価されるわけであり、われわれ読者も知らず知らずのうちに物が燃える様子に美しさを見ているのである。
絵画における炎上編集
絵画においても炎上の場面がしばしば描かれる。有名なのは速水御舟の「炎舞」であろう。これは炎に絞って描かれた作品であり、炎上の美しさをよく表現している。速水は近代日本画壇を代表する画家の一人であるが、この「炎舞」は彼の代表作となっていることは言うまでもない。
一方で近代西洋画壇を代表するフィンセント・ファン・ゴッホは直接には炎を描いていない。しかし彼は「炎の画家」の異名があり、火焔が渦巻くような筆致に特徴がある。炎をより抽象的に表現しただけであり、炎のもつ美を認めていたことには変わりない。
もっとも、上で挙げた「絵仏師良秀」も絵師の話であり、古今東西問わず画家も炎の美しさを認めていたことになる。
その他の芸術における炎上編集
その他の芸術においても炎上は重要な題材となっている。たとえば映画では爆発シーンと並んで炎上シーンは極めて重要な表現技法となっている。「吉原炎上」のように炎上自体が作品の核となっているものも多数存在する。「パリは燃えているか!」も有名な映画であり、これと同名の音楽はNHKドキュメンタリー「映像の世紀」で使われ高い評価を受けている。
彫刻分野ではおもに仏像で火焔後光を伴ったものが古来より多数制作されている。あるいは建築でも火炎をモチーフにした装飾が多くあり、ゴシック様式に至っては主要な装飾のひとつとなっている。日本では木造建築に火を連想させるものを配置することはタブーとされることもあったが、瓦の一部に火炎宝珠露盤を据えるなど、炎とは切っても切れない関係にある。
さらには工芸分野においても炎、あるいは炎上というものが重要な題材のひとつである。思えば縄文時代には我々の祖先が「火焔土器」を作っており、当然といえるのかもしれない。
芸術以外でも編集
炎に美しさを感じる者は、芸術家や芸術愛好家に限った話ではない。たとえば織田信長は比叡山の僧兵たちに対して「延暦寺の仏閣僧坊に火を放つ」と脅し、実際に燃やしてしまった。本来なら信長に対して反抗的な僧兵に対しては「全員磔にしてやる」と脅せば済む話である。それを燃やすと脅したのは、信長が一度は大寺院に火の手が上がる様子を見てみたいと考えたからに違いない。
楽市楽座の商人(あきんど)はその伝統を左義長魔釣りとして大切に保存している。中には女子が逃げていく様をモチーフにした男の娘の伝統芸能にまで高めた技術者もおり、戦乱期の記憶を今に留めている[1]。
もっと身近なところでは、キャンプファイヤーがある。キャンプ地に出かけてわざわざ山火事の危険があるようなことをしなくてもいいのに、野外で大きな火を焚くことは、たまには物がパチパチと燃える様子を見たいという欲求の現れであると言える。同様のことは、学校行事などで校庭で火を焚くファイアーストームにも当てはまる。
学校を卒業して日が経ついい年した大人であっても、火事が起こると野次馬となって炎上の様子を見に行く者が多い。幾つになっても我々は炎が上がる様子を見たいという欲求を持ち続けているのである。
脚注編集
- ^ (滋賀県近江八幡市・滋賀県観光情報・左義長まつり 祭礼日:3月14・15日に近い土日曜日・日牟禮八幡宮)